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VOl.9「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」

#事実に基づいたフィクション   #東京の公園 #健康寿命 #公園の楽しみ方 #認知症 #介護の職場 #60代の生き方 #やま #山下ユキヒサ

「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」VOl.9

(2580文字・6.5枚)

※これはシリーズものです。




新年を迎えた。

1月に入って、今年初めての給与が振り込まれた。

今月も使い切れないほどの金額が、通帳に印字されている。

思わずため息が漏れる。
大丈夫なのかうちの法人?
私にこんな額の数字を振り込んで、他の職員にもちゃんと給与は行き渡っているのか?

とても心配だ。

施設長はちゃんともらうもの貰ってるのか?
事務長は大丈夫なのか?

どうしたらこんな数の桁を、減らすことができるっていうんだい?

悩みは尽きない。

今月も頭を抱えている。


(嘘です。)

今月も感謝して。生きていこう。

2023年1月25日。

10年に一度の寒波到来。
新東名高速では18時間以上の立ち往生の車。開通の目処は立たず。

JR西日本では、雪で止まったままの電車に閉じ込められ、10時間とか…。
10時間って、、、。

命に関わる寒波です。

ご安全に。

さて、

1月も25日を過ぎたが、我がホームにはまだ正月が終わっていない方がいる。

山田照子さん(仮名83才)。
お元気な方で、ホームの家事労働をバンバンこなす。


「動いてないと私ダメなのよ。ゆっくり休むなんてできないわ」が口癖。

まるでカツオのような人だ。
カツオはエラブタが動かないため、酸素を取り入れるために泳ぎ続けなくてはならない。
そして時速60km以上のスピードで泳ぐ。

山田さんも仕事は速い。
「遅い仕事なら誰でもできる」。
これも山田さんの口癖だ。

そんな生活ぶりに、山田カツ子さんとでも呼びたくなる。

アクセルばかりの山田さんにはブレーキが必要で、「ちょっと休みましょう」と職員が声掛けし、水分補給と休憩を提案する。

冬になったからまだいいが、夏の暑さの盛りに庭に出て洗濯物を干してくれる。
だが、ひとつ済むと休まず次々と動くから、気が気ではない。

「飲んで、飲んで」
「休んで、休んで」と声を掛ける。

山田さんも動きが止まると死んじゃうと思っているから、必死だ。
スタッフだって、カツ子さんが熱中症にでもなって本当に具合が悪くなったら大変だと思い、必死だ。

ただ、冬の季節でも油断は禁物。ホームの暖房。汗っかきの山田さん。休み知らずのカツ子さん。
「飲んで、休んで」の声掛けは続く。



山田さんの年越し。
ホームに入居するまでは、家族のためにおせち料理を準備し正月を迎えた。昭和の肝っ玉母さん。

全て手作りのおせち。
特に黒豆にはこだわりがあった。年の瀬には血が騒ぐらしい。

「私こんなことしている場合じゃないの。買い物に行かなくちゃ」と何も手につかない。家に帰る、との訴えが続く。

買い物とは正月を迎えるための食材の買い出し。
シドも経験があるが、12月31日の夜勤。大晦日。ホームでの年越しは大変なときもある。

ホームでは特に外泊制限はしていない。(コロナ禍の数年は別)家族から外泊の申し出があれば応じる。

今年は家族からの外泊希望はなかった。
山田さんの、年の瀬の、家に帰る、の訴えが続く。

そりゃ当然だ。
誰だって家には帰りたい。だが、ご主人は入院中。そのことを伝えるとじゃ仕方ないね。と、納得される。

だが、しばらくすると、落ち着かなくなる。次はおせちだ。
もうやってもらうことは全て終わっている。でも落ち着く様子はない。

苦し紛れで「じゃ、山田さん。黒豆煮て」と依頼する。
山田さんはニッコリして。
「まかせてよ〜」と途端に機嫌が良くなる。みんなで食べる黒豆はもう準備済み。整っている。

今鍋の中にあるのは山田さんのためのもの。作業することで落ち着いてもらうための鍋だ。

火を入れ、冷まし、また火を入れを繰り返している。訴えがあったタイミングで。

年が明け新年を迎える。
新年の挨拶。職員に丁寧に挨拶される山田さん。
「明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします」
この挨拶は1月10日ぐらいまでは続いたはずだ。そしてまだ、山田さんの正月は終わっていない。

高齢で食べるのが遅い方の食事に黒豆(レトルト)を見つけると、正月の煮豆が艶々で綺麗に煮てあるね。

お正月だから、おめでたいね。と、声を掛けていた。それが15日。

それから数日後の18日には、新聞広告を眺め「やっぱり、お正月だから広告が多いね」の発言があったという。

そして先日も「正月」というワードが出た。
山田さんの正月がなかなか終わらないのは、見当識障害が起こっているから。

見当識障害とは、認知症の中心的な症状の一つ。
新聞を読んでいても、テレビを観ていても、今日が何月何日かわからなくなる。
だから1月25日を過ぎても、「お正月」と思い込むような見当違いなことになる。

見当識障害とは、時間・場所がわからなくなる状態のこと。
今がいつで、自分が今どこにいるのかわからなくなのだ。

まず、「時間や季節」に関する見当識障害が現れます。時間の感覚が薄れると現在時刻などがわからなくなり、長時間待つことや予定に合わせて準備することが難しくなっていきます。やがて、時間だけでなく日付や、季節がわからなくなると、「今日は何日か」と何度も聞いたり、季節感のない衣服を着たりする、といったことが起こります。
健達ねっと

まだ1週間前のこと。
山田さんがシドに近寄り、申し訳なさそうに口を開いた。
「悪いけど今度の土日休ませてくれる?」

ホームで生活していることをこの時は忘れ、昔働いていた大手スーパーの惣菜部、その担当者に休みを伝えるような口ぶりだった。

これも見当識障害。
ここがどこなのか認識できない。
僕は「はいはい。分かりました。大丈夫ですよ」と担当者になりすまし、答えておいた。
山田さんは笑顔で、安心した様子。

先日、別の方、酒井さん(仮名)と楽しく雑談していた時のこと。
シドはしれっと聞いてみた。

「今、何月頃ですかね?」

酒井さんは顔色も変えず、「10月か11月ぐらいじゃない?」とすぐに答えた。

ありゃりゃ、酒井さんは新年どころか、クリスマスもまだだった。

(うんっ? だが…まてよ。)

ひょっとすると酒井さんはまだ正月を迎えてないんじゃなくて、もう1月なんかとうに飛び越し、一人だけ桜の季節を迎え、夏を駆け抜け、一人だけ秋を感じてる?

もう10ヶ月先の、秋の人なのか?

そうすると、「まだ」の世界ではなく、「もう」の世界に生きてるのかも?

さかいさ〜ん。
本当は、今どこにいるの〜?

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