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VOL. 16 「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」

#事実に基づいたフィクション  #東京の公園 #健康寿命 #公園の楽しみ方 #認知症 #介護の職場 #60代の生き方 #やま #山下ユキヒサ

はらはらと
ひらひらと

少女たちが桜の樹の下で舞(ま)っている。
ひらひらと舞い散る花びらを、無心になってつかもうとしているのだ。

ときどき空(くう)をつかみ、ときどき花びらをつかむ。
開いた手のひらには小さく薄い桜色。

何かに見い出されたように、両手を空に伸ばし花びらを追いかけている。
溢れるような笑みが揺れている。

はらはらと
ひらひらと

あんなに無邪気に踊る少女たち。
風が吹き、舞い散る花びら。
少女たちの細い指と腕が、タクトとなって花吹雪を指揮する。

タクトの動き一つに従い風は強弱をつける。花びらは余韻を残しながら落ちていく。
これはきっと、誰が見ても微笑ましく美しい光景にちがいな。

躍動する肢体は歓喜に包まれている。
少女たちのダンスは生きる命に溢れている。

はらはらと
ひらひらと

蕾から五分咲き、七分咲きそして満開へ。
桜前線が人々の話題になる。
人々はこれから迎える季節の演出に胸ふくらませる。
やがて幕が上がり、宴(うたげ)が始まる。

そして、やがての花吹雪。
ピークからエンドへ移りゆく様がまた美しい。
古来より日本人が愛した「美」がここにある。

咲き誇る美しさ。
散り去る美しさ。

人は咲く様を、散りゆく様を習いとし、人生に重ね合わせる。
そして人の生き様、死に際につなげてみせる。

はらはらと
ひらひらと

少女たちの舞いは続いている。
だが、もし、と思う。
桜の老木。
太い幹から長く伸びた枝。
もし、それをタクトに見立てるのなら、その老木こそが少女たちの動きを指揮しているのだとしたら。

散りゆく花びら。
その美しさと動きを誘惑として。
だとすれば、少女たちは踊っているのではなく、踊らされていることになる。

そうなら、少女たちのそれはなんと滑稽で残酷なのだろう。
見えない糸に繋がれたマリオネットのように。
操(あやつ)られるように踊っているとしたら…。

今まで眺めていた景色が色を変え反転する。
安心して眺めていた風景の中に、恐ろしい何かが隠れているのを見つけてしまったら。

ただ、これも人の世の常。

光あれば闇がある。
闇の中に光を見つける。

だから恐れずに、光ある方へ、気をつけて歩こう。
闇に隠れている何かに怯(おび)えている人がいたら、今出来ることを私はしよう。
たとえ私がどんなに小さなともしびだとしても、それが燃えてさえいれば、誰かの光になることができる。
その火を他の誰かとシェアできる。



やっぱり春はいい。
冬の寒さに耐えた春の到来はやはりいい。しばれるような北国のそれとはおおよそ比べようもないが、それでもやはり、春はいい。
それもコロナ禍の忍耐の3年分がある。

ひらひらと
はらはらと

人の世の儚(はかな)さなどまだ遠く知らず、少女たちはまだ踊っている。
喜びに満ちた笑みを天に向けながら。
その腕を空に伸ばしている。花びらをつかむようにも、光を求めるようにも見える。

輝く笑みは、花吹雪にも負けないぐらい可憐で、美しい。

やがて少女たちは光に包まれる。
心の内に光が差し込む。すると光が心に満ち。闇に勝つ。
少女たちの振るタクトの方が、古老の枝のタクトより、つよくなる。

古老の闇が振るタクトは折れ、少女たちの指揮だけが残る。

クルクルと回されたタクトは点を指し、光を巻き込み渦となる。
だけれど、少女たちはそれに気がついてはいない。

ただただ舞い散る薄い桃色を追いかけながら、
無邪気に、
美しく、
可憐に踊っている。

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