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レポート第10回レタスマインドフルネスワークショップ4

(続きです)

「あなたの『面倒くさい』はどこから?」 大友風太郎

今日はプレッシャーと面倒くささについてお話しようと思います。

お釈迦様は経典の中で「不放逸appamadaでいなさい」というお話をされているので、原始仏教やテーラワーダ仏教で修行をしている人たちはみな「なまけないようにしよう」「精進しよう」と頑張るんですが、今日は角度を変えて「面倒くささ」について考えたことを。

或るメカニックの話を、新聞か何かで読みました。
先輩に「仕事をしていて、面倒だという気持ちが出てきてしまう」といったところ、何の仕事をしていても、経験を重ねると「面倒くささ」は出てくるものなんだと言われた、という話です。
例えばエンジンを分解して掃除するなど、初めて取り掛かるときには緊張もするし面白くて夢中になって手順を進めていくでしょう。
それを何度も繰り返していけばプレッシャーや興奮はなくなって、代わりに自分の仕事のアラが見えてくる。
もっとうまくやる方法が見えてきて、手順を考えたり、下ごしらえをしたり、やればやるほどやっておくべきことが増えてくるし、きめ細かい配慮もせざるを得なくなってくる。
スキルが上がると、面倒なことが増える。
だから、仕事が面倒くさいと思えるのは熟練してきた証拠だから、それはいいんだよと先輩に言われて、ホッとしたという話でした。
「面倒くさいと思ってはダメだ」と誰に言われたわけでもないのにそう思い込んでいて、先輩に「面倒くささは悪いことではない」と言われてほっとした、というあたりが面白いと思いました。

プレッシャーを感じるのは大切なことです。うまくやりたいという志の高さがあるからプレッシャーが出てくる。
そして向上するほど面倒くささが増してくるので、面倒くささを否定することもありません。

さっき言ったような経典に書いてあることも、それを解説する人によって印象はずいぶん変わってくるし、とくに原始仏教というのは(成立から年数がたっている分)その辺り難しいと思います。
不放逸も「怠けることはダメだ!」と一面的に受け止めるのではなくて、「怠けること」とはどういうことか、自分にとって「不放逸でいること」とはどのようなことかを問う。
分からなければ誰かに問いかけてみるし、自分にも問い続けていくのが私たちのような在家にとって大切なことではないでしょうか。

最近私も、与えられた時間に対して量が多いうえに、かなり難しい作業を命じられたことがあったんです。
出先だから時間を延長してもらうこともできない。与えられた時間は五時間。クリアすべき作業は7つ。ものすごいプレッシャーです。
最初の作業は完璧にできたんですが、一時間かかってしまった。(もうだめだ、絶対終わらない)と思ったんですけど、そこで落ち着いて、細かな手順や作業場の配置を検証して、次は10分短い時間で仕上げた。そして7つ目の作業は30分で終えて、無事に時間内で終えられました。「大友さん、よくこんなにうまく、素早くできましたね」といってもらえたんですが、私のほうはもう、手が震えるくらい緊張しました。
私がやった最適な手順を探すとか動作の無駄をなくす、道具の配置を変えるといった工夫も、わからないところから向上してゆこうとしているからテンションを上げてできました。
けれども30分でできるようになってから毎日同じことを繰り返せと言われたら、そういう工夫も面倒と感じるようになると思います。

昔は「面倒くさい」と思うことを仏教徒としてダメだ、と思っていたけれど、いまはやるべきことを的確にやることが優先になりました。


(続きます)