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レポート第11回レタスマインドフルネスワークショップ3

(続きです)

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少し休憩の後、次のお話。

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「共感することの難しさ」大友風太郎

こんにちは。暑いっすね。
最近仕事の内容が変わりまして、より高いスキルを求められるようになって、しかも大きな組織になったのでいろいろ複雑な手続きを要求されたり、プレッシャーでストレスが重なっています。
そういう時にこそサティを入れなきゃいけないのに、あまりにつらいとサティが飛んじゃうんですよね。
キャパオーバーしてるし、プレッシャーきついし、「俺もうだめだ」と思ったりしてるんすよ。

以前、若い人が過労死したニュース、本人も残された家族もかわいそうにと思っていたんですが、今こうやって自分が精神的にも肉体的にも追い詰められて、(あの時の俺は分かってなかった)と分かったんです。
俺は本当に人の気持ちがわからない、共感できてない……って思ったんでこのテーマにさせてもらいました。

そういう話をした時に坂井さんが「完璧な共感なんて、そもそも出来ない。だからこそ、自分は共感できないと知っていることが大事」と言ってくれて。
確かに他の人の痛みを知ることって難しいですよね。同じ目に遭ったことがあったとしても、同じ気持ちになるとは限らない。切り傷一つとっても、自分が治った後に他の人が同じような傷をしても、同じ気持ちにはなれません。
それでも「自分は共感が苦手だ。それはダメなことだ」と思っていたら、今日しのさんに「共感って、正しいことでしょうか?しなきゃダメですかね?」と言われて、ポーンと何か一つ外れた感じがあったんです。
自分の「共感は無条件に良いことで、それがない俺はダメ」という思い込みが外れた。
さっきも坂井さんが言ってましたが、善友って本当に修行の全部だって思ったんですよね。

ただ、昔から共感がダメな俺でも人から良く言われることがありました。
「あの(苦しかった、あるいは悲しかった、落ち込んでいた)時に、ただ何も言わずに一緒にいてくれてありがとう。」
本当はそういうとき(ああ、何か言わなきゃ)と思うんですけど、どうすればいいか分かんなくなってパニックになっちゃって、でも相手を置いて逃げるわけにはいかないし、ただ黙ってそばにいただけなんですよ。
相手が動き出すまでじーっと待って、せいぜい言えても「お腹空いた?なんか食べる?」ぐらいだったんですけど、それが良かったって。

逆に自分がうまいこと言えたと思ったのって、あとになってみるとダメです。
昔「夜眠れないんです」っていう相談に「じゃあ瞑想すればいいよ」って、その時はちゃんとしたことを言ったつもりでも、自分が初めて不眠症になってみて本当に後悔しました。寝られない時ってへとへとで苦しくて、そんなときに瞑想しようって気力があるわけない。なんであんなこと言ってしまったんだって、申し訳なく思っています。

ただ共にいるだけのほうがずっと人の心を癒していたというのは、不思議です。

(続きます)