好きな写真
※ 好き嫌いと良い悪いの区別をつけてお読みください。
好きな写真ってのが何か答えられないなーっていう思いがありました。撮りたい写真もいまいち言語化できない感じ。
そんな中この写真集を購入してようやく自分の答えが出た気がします。
ベタではありますが今さら買いました。
一応軽く説明すると、ヴィヴィアン・マイヤーはいわゆる写真家とはちょっと違って、そもそもアマチュアです。ベビーシッターをする中での余暇で撮影をしていたそうです。
しかしその撮影はあまり現像、ましてやプリントはされておらず、後年発見されて価値を見出されたというパターンです。デジタルの今で言ったら大量のRAWファイルがHDDから発見された、みたいな話ですね。
故にヴィヴィアン・マイヤーは狭義の写真家ではないという主張をする派閥も一定数存在するようです。そもそも死んだあとだから本人からしても知らんがな、という話だとは思いますけど。
まぁその辺はこの先のことを語るための前提なのでどうでもいいんですが、撮影自体はかなり狂気じみていたことが伺えます。
人物が写っているものは「このあと殴られてない?」「女がどこ歩ってこれ撮ってんの?」「喧嘩が強くないと成り立たないスタイルじゃない?」と心配になるレベル。
かと思えば道端で死んでる猫撮ってたりして、地域の変わり者的ポジションだったんだろうなーっていう感じ。
イタリア語版を買ったのでどういう解説がついているかはさっぱりわからないんですが、この写真集を見て僕は「この人は撮らずにいられない、ヘキで撮る人なんだろうな」と感じました。
究極の記録写真。否、記録撮影。見たことを残したいだけ。だからそこに現像やプリントはさして意味を持たない。家の収納にネガが積み重なっていくことで悦に浸れる。
そんくらいじゃないとこの写真集説明つかないだろってのが今の感想です。
(ただプリントというフィードバックなしでそこに撮影スキルの高さもあるのがすごい)
で、最初の話。好きな写真にようやく帰ってくるんですが結論として
撮りたいモノを記録していて、撮影者が見えてくる写真
という感じになりました。言葉にするとなんかまたベタな雰囲気ありますが、これにはちょっと補足が必要で、えー無闇に敵を作る言い方をしないように努力するんですが……
よくSNSや動画とかである
「いい写真は工夫、努力、スキルで撮れる!」
「自分次第! 被写体は無限にあるよ!」
みたいなの。僕はあれがちょっと性に合わなくて。写真の後先問題なんですけどその辺はこのとき語っています。
身近なものから発想、着想を得て素敵な写真を撮ることを否定するわけじゃなくて、そういう方向での『上手さ』は人の写真、鑑賞する写真に求めていないって感じです。自分のスキルとしては得ていきたいかもしれないけど。
写真とはただでさえ分かりにくく、伝わりにくく、わりに記録性はめちゃくちゃ高く客観的な表現だから、僕はやはり記録してほしい。
そして小説や映画じゃないのでそこにストーリーを求めていない。ナラティブな写真ってあまりピンとこない。
写真を通してお前を見せてくれ。本当に見たいのは写真じゃなくてお前!
ってのが僕が理想とする写真の鑑賞なのかもしれない、そんな思い。
取り留めのない乱文長文でした。ここまでお付き合い頂いた方に感謝を。
仮に頂いたら……フィルムを買うか写真の本を買うなどしてレビューします