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「ゆいかおり」と私 ~ゆいかおり10周年にあわせて~

ゆいかおり10周年

2020年5月12日、今日でゆいかおりメジャーデビューから10周年。ついに2桁年になった。おめでとう。
でも、祝うべきユニットは今はもう活動していない。どんなにめでたい言葉も、それを正面から受け取ってくれる存在がいなければ、ただ空虚に消えていく言葉になってしまう。これは本当に悲しいことだと思う。

でも、救いとなることはいくつかある。
まずメンバーである唯ちゃんと夏織ちゃんの両方が今も表舞台で活躍し、輝きを放っていることである。私達「栽培係」(注:「ゆいかおり」ファンのこと)の言葉を受け止めてくれる存在はいる。私達のお祝いの声は単に空虚に消えていくわけではない。
そしてもう一つがゆいかおり10周年をお祝いする栽培係がいっぱいいるということだ。これを書いているときにはまだ10周年を迎えていないので「いっぱいいる」ということの確認はできていないが、各種SNSでのお祝いの言葉が飛び交っていることを確信している。栽培係のみんな、栽培したゆいかおりはきちんと成長して、今もキラキラ輝いているよ。

さて、最初はこの節目の日に、私なりにゆいかおりの魅力を語ろうと思った。でも、それは読む人をあまり幸せにしないと考えたのでやめた。もし読者が今ゆいかおりの魅力を新たに知ってしまったら、その人は私と同じようにゆいかおりの活動休止を悲しみ、延々と活動再開を祈り続けることになる。私はこの営みをごく当たり前のように捉えているが、積極的に広げることでもないとも思っている。

そして何より、ゆいかおりの魅力は言葉で伝えるよりも、ゆいかおりのYouTubeチャンネルにあるような映像を実際に見てもらうほうがわかりやすいと思う。

そこから1つのライブ映像を選んで貼っておこう。

もはや私の言葉などいらない。彼女たちの魅力を最も説得力を持って伝えることができるのは、他でもない、彼女たち自身だ。

なので、私はゆいかおりの魅力を語るのではなく、私自身のゆいかおりとの思い出をここに綴ろうと思う。この文章は読んでなにか新しい知識が手に入るわけではなく、感動的なわけでもなく、文学的でもなく、そして読み終えたら時間を無駄にしてしまったと思うものだろう。でも、ゆいかおりとそのファンたちが作るゆいかおりファミリーの隅っこで、1人のファンが経験したこととして、記録に留めておきたいと思う。

これはゆいかおりと同世代(※)である一人の栽培係が綴る、悲しい思い出である。
※後述するが唯ちゃんは1995年生まれ、夏織ちゃんは1993年生まれ、私は1994年生まれ

「ゆいかおり」の基本情報

「ゆいかおり」は「小倉唯」と「石原夏織」の2人よるユニットであり、2010年5月12日に「Our Steady Boy」でメジャーデビューした。(インディーズでも活動していたため結成自体はもう少し前である。)2017年6月30日、音楽活動を休止した。
小倉唯 (本文では主に「唯ちゃん」) 1995年8月生まれ
石原夏織 (本文では主に「夏織ちゃん」) 1993年8月生まれ
その他詳細なプロフィールは公式ページ http://www.yuikaori.info/profile/ などを参照されたい。
普段、私は石原夏織ちゃんのこと「キャリさん」呼んでいるが、ここでは分かりやすさのために、上記「夏織ちゃん」で統一する。また、冒頭で注釈をつけた通り、ゆいかおりファンのことを「栽培係」と呼ぶ。

なお、私は1994年7月生まれであり、2人の間の年齢となる。

私にとってのゆいかおり

「私にとってのゆいかおり」、これを端的示す単語を3つ選ぶと「夢」「輝き」そして「現実」である。

ゆいかおりは私に「夢」を抱かせてくれた。「輝き」を教えてくれた。そして、ゆいかおりは「現実」だった。

この3つをテーマに、私がゆいかおりを知ってから活動休止を迎えるまでを語ろうと思う。

ゆいかおりとの出会い

私がゆいかおりを知ったきっかけは、2011年7-9月に放送されたTVアニメ「ロウきゅーぶ!」であり、デビュー当時から知っていたわけではない。ゆいかおりが直接このアニメに関わっていたわけではないが、ロウきゅーぶ!に声優として出演していた唯ちゃんのことを初めて知ったのと同時にゆいかおりのことを知ることになった。おそらくWikipediaか何かで見たのだろう。
当時、私は神戸の普通科高校に通う2年生、唯ちゃんは高校1年生、夏織ちゃんは高校3年生である。この頃にアニメを見始め、声優という職業を認知し始めた時期であったと思う。自分は普通の高校生なのに、自分と1歳違いの人が声優をやって、アーティストとしてCDを出しているのを知って、すごいなと思ったのを覚えている。
(実は当時の自分は業務委託契約を結び記事の執筆を請け負ってたので、まったくもって「普通」ではなかったのだが…。自分のことは自分でも良くわかってないものである。)

ただ、そこからゆいかおりのCDを手に取り、きちんと楽曲を聴くに至るのは半年ほどたった2012年3月である。梅田に行く用事があったのでついでにTSUTAYAでゆいかおりのCDを借りたのが最初である。思い返してみれば、当時の私はこういったエンタメ領域に関して情報の見通しが非常に悪かったようで、今のようにすぐにCDを手にしたりということはできなかった。音楽に馴染みがなかった、自由に使えるお金が少なかった、今みたいに音楽サブスクリプションサービスがなかったなど色々な要素があったのだろうと思う。
その時に借りたのがゆいかおりの最初のアルバム「Puppy」である。当時の私は「アルバム」と「シングル」という区分けすら知らなかったので、曲がいっぱい入っているなぁ、といった程度の感覚で選んだのだろう。TSUTAYAの料金表で「CDシングル」の意味がわかっておらず、レジで予想外の料金で出てきて驚いたことを覚えている。懐かしい思い出である。

そして、この1枚が自分の未来を変える事になった。ドハマリしたのである。可愛らしい2人の声はもちろん、PUPPY LOVE!!などのおちゃめな曲があったり、VIVIVID PARTY!!のようなテンションが上がる曲があったりと、曲の多様さにも惹きつけられた。中でもShooting☆Smileがすごい心に刺さり、今でも私の中で1,2を争うお気に入りの曲である。
ちなみに、このときのPUPPY LOVE!!のMVがこちらである。

東京に抱いた「夢」

ところが、ゆいかおりのCDを初めて手にした当時の私は、あまり資金的な余裕がない、受験まで1年を切っている、その他多くの問題を抱えていたなどの理由で、そこからゆいかおりを追うということはできなかった。今はTAやRAなどの仕事でまとまったお金を得ている。それでも、ライブに行くというのは気軽な支出ではない。しかも当時の所在地は神戸であるために、ライブに行くには遠征が前提となる。会場との往復交通費だけでチケット代を優に超える。そのため、どうしてもこういったライブなどは「東京という遠く離れた地で行われているイベント」という認識になる。

ゆいかおりに限らず、アニメロサマーライブなどの各種大型イベントは東京近郊が主な開催地である。ライブツアーであれば大阪の可能性もあるが、単発イベントであれば東京近郊のみというのが普通である。東京を中心とした周辺地域を含む「東京」は、文化芸術をはじめとした多くの分野における中心点であり、なにもかもが東京を中心に回っていることを痛感させられた。東京近郊以外にお住まいの方であれば、似たようなのを実感したことがあるかと思う。

もちろん、ゆいかおりに出会う以前からも東京への憧れというのは持っていた。私の大好きな日本科学未来館があったり、アニメのイベントの開催があったりするのも東京だからである。一応親戚が東京にいるため、時々家族で東京に行く機会自体は度々あった。ただ、この状況では趣味のイベントと日程が合わない上に、偶然合ったとしても当日の行動も自分で管理しきれず読めないため参加は難しい。そんな私が東京に行って街を自由に回ることができた数少ない機会が、コンピューター関係の交通費宿泊費が出るイベントである。私がコンピューターサイエンスの道を進むきっかけとなった、IPAが主催する「セキュリティ&プログラミングキャンプ2010」への応募した最初の動機も「無料で東京に行ける」だった。またその後も、学生向けに交通費宿泊費を支給してくれるコンピューター関係のカンファレンスに、自身の技術研鑽の成果をスライドを作って東京に発表しに行くことで東京に行く機会を確保していた。「東京へ行ける」という動機で苛烈な書類選考を戦ったり、徹夜でスライドを作ったりできたのである。それぐらい東京への憧れというのは強かったのだ。

ありとあらゆるものの中心地である東京に行くという「夢」、それを決定的に重要なものにしたのはゆいかおりの存在であった。そして、研究者志望である高校生の私にとってその「夢」が意味するところは「東京圏にある大学に合格、進学」することだった。なお、2012年11月のライブツアー「WAKE UP!!」でついに大阪でのゆいかおりライブが実現するが、2013年1月にセンター試験を控える受験生がそれに参加できるはずは当然なかった。(カレンダーを振り返るとライブの日は模擬試験が入っている。)

最終的に1年間の浪人生活を経て2014年4月に横浜の大学に進学し、夢を果たすこととなった。しかしながら、2年に渡る受験ブランクによりゆいかおり熱が冷めてしまっていた。また、大学1年生の間はあまりに忙しく、趣味を広げることができなかった。この2014年というのはゆいかおりにとってはファンを増やしライブの会場も一気に大きくなっていった重要な年であるが、この年の私はゆいかおりを追うことはなかった。死ぬまで後悔するだろう。唯ちゃん、夏織ちゃん、ごめんなさい。

ゆいかおりとの再会

趣味というのは一旦熱が冷めると簡単には戻らないものである。だが、相応のきっかけがあれば別である。私がゆいかおりと「再会」するきっかけとなったのは2015年7-9月に放送されたTVアニメ「城下町のダンデライオン」である。このアニメはOPテーマをゆいかおりが、EDテーマを唯ちゃんが担当するという明らかにバグった布陣で放送されたアニメであり、ここで久しぶりにゆいかおりと出会うことになる。私に衝撃を与えてきたのはその時の楽曲「Ring Ring Raibow!!」のミュージックビデオである。

2人の絶対的な魅力というのはもちろんあるが、私が知っていたPuppyの頃からの成長が何よりも感動的だった。20歳前後の年齢というのは色々吸収して大きく変化する時期だとも言われている。その期間の3年間あれば大きく変わるのも当たり前である。そして、それはゆいかおりだけでなく私自身にも言えることであった。私もゆいかおりの2人もほとんど年齢は変わらない。生きている社会は別であるが、同じ人間である以上このあたりは皆共通である。私も受験や勉学、プログラミングなどで自分を成長させようとしていたように、ゆいかおりの2人も当然その間に努力を積み重ねスキルアップやファンの獲得を行っていったのである。いや、アーティストとして仕事をしていくのは普通の学生である私なんかと比較するのはおこがましいぐらい大変なことであるだろう。ゆいかおりが大きく成長した2013-2014年を私が見ていなかったがゆえに、Ring Ring Rainbow!!はより衝撃的だったのである。
これは私の中のゆいかおり熱を生き返らせるのに十分すぎた。私はゆいかおりの音楽をもっと楽しみたい、2人のパフォーマンスを見たいと強く願い、その直後に3枚目のアルバム「Bright Canary」発売決定と同時に発表された ゆいかおりLIVE TOUR「RAINBOW CANARY!!」に参加することを決めた。最初の抽選結果が2015年9月に発表で、ちょうど私がフランスにいるときだった。愛知公演、神奈川公演1日目に当選し、とても胸が踊った。海外の携帯電話回線から後ろにビクビクしながらクレジットカード番号を入れたのも懐かしい思い出である。ホテルに戻るのを我慢できなかったのである。

初参加のライブで見た「輝き」

初めて参加するゆいかおりライブは、私にとって人生2回目のライブであった。私にとっての人生初回ライブは2011年10月の「RO-KYU-BU! LIVE TOUR 2011 -Fantastic Game- 大阪公演」であり、実に4年以上ぶりのライブとなる。このRO-KYU-BU!のライブはスタンディングの会場だったので、きちんと座席が割り当てられているライブというのはこのゆいかおりライブが初めてのため、ドキドキしながら3ヶ月ほど開催を待った。

そして、12月上旬、ついにライブのチケットが届く。ゆいかおりの最速先行のチケットは今は廃止されてしまったヤマト運輸のセキュリティパッケージで送られてきた。その中に今回のライブツアーのためにデザインされた封筒に入れられたチケットが入っている。

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この様な封筒である。否応なしにライブが楽しみになる、最高の招待状である。ちなみに、今もきちんと保管している。

迎えた愛知公演のライブ当日、早めに会場に行きグッズを買って開演を待つ。ペンライトを持って応援するというのも初めての経験だった。マニュアル通りきちんと点灯するかを確認して、席につく。座席は2階席後方でかなり遠かったが、ホールなのできちんとステージは見えた。ドキドキしながらついに迎えた開演時刻。オープニング映像が流れ、ついに私は初めて生でゆいかおりのライブパフォーマンスを見る。
そこにあったのはまさに「輝き」だった。2人のシンクロした卓越したダンスパフォーマンス、素敵な歌声、楽しいトーク、何もかもが輝いていた。席が遠くてもはっきり感じ取れた。事前に過去のライブツアー「HEARTY PARTY!!」のBDを買って何度も予習はしていたが、画面越しで見るライブと実際に会場で体験するライブとでは全く質が異なることを実感した。

年が明けて正月三が日に行われた神奈川公演1日目。こちらは8列目という前の方の座席で、ゆいかおりの2人の表情がはっきり分かるほど近かった。間近で見ると2人のダンスパフォーマンスは更に際立って見える。まず個々のダンスが指先まで本当に洗練されている。2人ともダンスが特技と標榜するだけあり、動きがきれいなのだ。そしてゆいかおりならではの2人でのシンクロしたダンスが見てて本当に幸せになる。ゆいかおりの楽曲は2人で交互に歌うパートが多い。ライブBDなどの映像だと歌っている側にカメラが向いていることが多いが、実際のライブでは歌ってない側は歌っている側と対になるようなダンスをしている。広いステージを使い交互にシンクロしたダンスをしていく2人は本当に美しく輝いていた。これは2人組ユニットならではの演出であり、ゆいかおりの真骨頂とも言える。2人で作る美しいシンメトリーはパシフィコ横浜 国立大ホールですら小さいと思わせてしまうほど大きな輝きを放っていた。ステージ上で離れたところにいても2人は繋がっているのである。

翌日の神奈川公演2日目、私はチケットが取れなかったが、そこでライブツアーの追加公演、そしてゆいかおり初の武道館公演の開催が発表された。心をゆいかおりに奪われた私は当然即時にこれにも参加すると決めた。

布教とゆいかおり初の武道館

ゆいかおり武道館公演決定の報を聞いたとき、私は友人数人と喫茶店にいた。そこで互いに直前のイベント類で手にしたパンフレットを持ち寄って輪読していた。私はゆいかおりライブで買ったパンフレットを持っていった。その途中、Twitterを見ていた友人が「ゆいかおり武道館?」と発したので、すぐに私もすぐにTwitterを確認し、ゆいかおり武道館公演決定を確認した。日程も2ヶ月後の3月ということもあり、すぐにチケット応募も始まる。すぐに目の前にいる友人に声をかけて、その場で私を含め3人の参加を決め、さらに追加で高校のときの後輩も誘って合計4人での参加となった。この武道館公演をきっかけとして私はゆいかおり布教に取り組み始めることになった。(ちなみに、私自身の申込みは落選していたため、このときに友人と共同戦線を張っていなければ武道館公演に行くことすらできなかった可能性もある。本当に助かった…。)

この武道館公演は先の「RAINBOW CANARY!!」の追加公演ではあるが、『「RAINBOW CANARY!!」~Brightest Stage~』と銘打たれており、グッズはすべてこの武道館公演向けのものが新しく作られていた。

ゆいかおりLIVE TOUR「RAINBOW CANARY!!」ライブグッズページ http://www.yuikaori.info/special/2015/rainbow-canary/
ゆいかおりLIVE「RAINBOW CANARY!!」~Brightest Stage~ ライブグッズページ http://www.yuikaori.info/special/2016/brightest-stage/

何一つとして同じグッズがないことが分かるだろう。そして、どれも最高にかわいいのである。
ライブの基本構成自体はRAINBOW CANARY!!本体を引き継いでいるが、演出や各種コーナーはグレードアップしており、すでにツアーに参加した私も全く飽きることはなかった。こちらの公演はBDに収録されているので、ぜひご覧頂きたい。本当に素晴らしい。
http://www.yuikaori.info/discography/1709/

「Dive into ゆいかおり World!!」で未来を語るゆいかおり

武道館公演後のしばらくは毎週放送されている「ゆいかおりの実♪」が主なゆいかおりとの接点となる。次の大きな動きは2016年8月の12枚目のシングル「Promise You!!」の発売ではあるが、その直前の2016年7月にBSスカパー!にて「Dive into ゆいかおり World!!」が放送された。ゆいかおり一色の90分特番であり、ゆいかおりの2人の対談形式で2人の出会いから、ダンス、初ライブなど様々なトピックを話し、そして直近で行われた大きなマイルストーンである武道館公演というように、幅広くゆいかおりのこれまでが語られた。そして、最後のテーマが「未来」である。2人が仲睦まじく未来について色々語り「みんなと一緒にゆいかおりの未来を作っていけたらいいね」と締めて、新曲である「Promise You!!」のMVが公開されて番組は終わるのである。

武道館公演を終えたゆいかおりを特集した、永久保存しておくべき素晴らしい特番ではあるが、その時はあくまでその程度の認識であった。当時の私はこれを見て、次のシングル、そして開催されるであろうライブを楽しみにしたのである。だが、活動が休止してしまった未来から見ると、本当に、本当に胸が苦しくなる。見ている映像は全く同じなのに、涙が出てきてしまうのである。最近、録画を整理していてこの番組を見つけたので、恐る恐る再生してみた。正直にいえば真正面からこの映像を見られなかった。打ち砕かれるとわかっている未来を語る2人を直視できなかったのだ。湧いてくる感情は「どうして」、ただそれだけだった。

「Promise You!!」発売、そして2017年ライブツアーの開催決定

話は戻り、2016年8月に待ちに待った「Promise You!!」が発売される。しっとりしたメロディーで未来への希望、約束を歌い上げる歌であり、ゆいかおりからファンへのメッセージであり、そしてファンからゆいかおりへのメッセージでもあった。私も当然そのCDを何枚か買った。そして、そのときに応募した2016年9月に開催される発売記念イベントに当選した。

2人のトークやミニライブ、2人が箱根旅行に行った映像の上映などが行われ、イベント最後に2017年のライブツアーとその日程が発表された。愛知、宮城、大阪、東京を回るツアーであり、最後の東京公演の会場は武道館クラスのキャパである国立代々木競技場第一体育館である。もちろんとても喜び、すぐにカレンダーに予定を書き込んで日程を抑えた。そして、すべてのツアー会場を回ることを決め、可能な限り新規の友人を連れていき、ファンを増やそうと心に決めた。

そこから資金確保や周りの人を誘ったりするなどして、ツアーに備えた。

ツアー全通と不穏な動き

RAINBOW CANARY!!の時と同様に2017年のツアー「Starlight Link」にも最速先行で申し込み、すべて無事に当選した。当初、確保したチケット枚数は愛知1、宮城2、大阪1、東京4だった。ところが、私の頭が狂って「ゆいかおりの実♪」で追加で行われた実ラジ先行に「枚数増やせば良席が引ける確率も上がるんじゃね?」などという常軌を逸した発想で応募して当選した結果、愛知1、宮城2、大阪1、東京6となった。「ちゃんと新規を誘えなかったらライブ会場に謎の空席を作ってしまう」という状況に追い込むことで、より布教のモチベーションが湧くというものである(?)。冗談はさておき、私自身は全通しつつ、武道館公演に同行した3人+新規3人をゆいかおりの「Starlight Link」に連れて行くことができた。自分で言うのもあれだが、1人で1年間に6人追加で連れていけたのはファンとして素晴らしい布教成果だと思っている。このツアーでは宮城公演から帰ってきて数日後に私がインフルエンザを発症するなどいくつかハプニングはありつつも、2017年2月に千秋楽である東京公演が国立代々木競技場第一体育館を無事に終え、その時点の私に取って最高のツアーとなった。

でも、気がかりなことがあった。CDが出てないのである。過去のCDリリースのスケジュールから、私はこのツアーの千秋楽である東京公演でニューシングルリリースの告知があると踏んでいた。東京公演の時点でもPromise You!!の発売から半年が経過しており、この時点で発表しても発売はさらに2,3ヶ月先となるためすでに普段よりもリリース間隔が長い。このライブが終わったあと友人にぼそっと「次のCDなかなか出ないな…。いつ出るんだろう」という話をしたのを覚えている。

翌月2017年3月5日、私は「KING SUPER LIVE 2017 TRINITY」に参加したが、その帰り道、そこにゆいかおりの存在がないことを少し不自然に感じた。そもそもこのライブは上坂すみれ、小倉唯、水瀬いのりの3人だけの出演であり、例えば水樹奈々といったキングの大御所もいないので、ゆいかおりがいない事自体は変ではない。出演者の告知自体も2016年12月であり、まだゆいかおりのツアーが始まってもいない段階である。でも、先のCDの件があったため、唯ちゃんだけがいて夏織ちゃんがいない状況というのに小さな不安を覚えてしまった。

だが、その数日後、2017年3月10日発売の声優アニメディアでかなり強い不安を覚えることになる。声優アニメディアで6年以上続いてきた連載「ゆいかおりのハムスター☆ハウス」が唐突に最終回を迎え終了したのである。見落としかと思い慌てて2017年2月発売のものを確認したが、特に連載終了の告知やそれらしい記述はない。でも、不安を感じつつもまた新しい連載をやるためかな、と考えた。今振り返れば明らかに正常性バイアスである。
しかし、2017年3月25日のAnime Japanで行われた、Animelo Summer Live 2017の出演者発表でさらに追い打ちがかかる。「小倉唯」の名前はあるのに「ゆいかおり」の名前がないのである。ゆいかおりはAnimelo Summer Liveには2012年から5回連続で出演しており、発表を後回しにする理由がない。この時点で名前がないとなると、出演自体がないと見るのがごく自然だ。
ただ、不安を感じても何もできないのがファンの悲しいところである。一緒にAnime Japanを回っていた友人にその不安を口にしただけで、特に何もできなかった。

活動休止という「現実」

今も忘れない。迎えた2017年3月31日夕方、ちょうど晩ごはん時で家の近所のラーメン屋でラーメンを注文して、ラーメンを待っていた。どこのラーメン屋のどの席で、何を注文したかも覚えている。(そのお店自体は改装されてしまったので今はもう配置が違うが…。)ふとTwitterを開いたらとんでもないツイートが目に入ってきた。もうここに書きたくもない。私は最初はデマだと思った。というより、1日早いエイプリルフールだと思った。でも、直接ブックマークから公式サイトを開いたら書いてあるのである。「ファンの皆様、関係者の皆様へ」と題された音楽活動の休止を発表する文章が。頭を殴られたような衝撃だった。よくこういう衝撃的なニュースを見ると「頭が真っ白になる」というが、むしろ私は全力で頭を回転させて「それが嘘である証拠」を必死に探し始めた。

まずURLを点検する。間違いない。公式サイトだ。TLS証明書は…そもそもhttpsじゃない。なら通信が改ざんされている?

と考え始めたらラーメンが来てしまったので、急いで食べようとする。でも、まともに喉を通らない。食べることに集中できない。普段より長い時間をかけてラーメンを完食して急いで帰る。帰り際に公衆無線LANでもゆいかおりのサイトを見る。同じだ。そもそも携帯電話のネットワーク経由の通信を改ざんするのは相応の組織的攻撃を行っても非常に困難であるのに、それすらを疑い検証し始めている時点で相当頭がぶっ壊れている。でも、その時はその微々たる可能性をも探していた。

自宅に戻り、自宅の回線をはじめ自分の管理範囲にあるありったけのネットワークを経由して公式サイトの内容を確認したが、どこから見ても同じだった。「ファンの皆様、関係者の皆様へ」同じページが出てくる。次に考えたのがドメインの乗っ取り。だが、IPやWHOISを引いたところで、正しい値がわからないと意味がない。次に考えたのがウェブサイトの改ざん。管理用パスワードが漏れるなどして乗っ取られたかと考えた。でも、もうここまで考えると自力での検証が困難な上に、特に公式Twitterも動きがないため「受け入れないと行けないのか」と考えるようになった。

そこから数日はラジオ番組「エジソン」などからも情報が入ってきて、ちょっとずつこれは疑いようもなく事実なんだと理解していった。でも、それゆえに「ゆいかおり」という言葉を思い浮かべることが自分の心を締め付けてきて、あまり言葉できなかった。現実逃避である。

そして迎えた2017年4月2日 24:30からの「ゆいかおりの実♪」放送、覚悟を決めて視聴したが…耐え難かった。毎週楽しくてあっという間だと感じてたこの時間が本当に耐え難かった。何があったかは語られなかったが、話している二人から本当に、本当につらい感情が流れ込んできて、私もラジオを聴きながら泣きそうになっていた。もしかしたら泣いていたかもしれない。
今でもどういう理由でこの結果になったのかは明かされていないし、本人たちが語らない以上、栽培係は触れるべきではないと思う。ましてや邪推したりとやかくいうべきでないと思っている。でも、この機会だから少しだけ触れるが本音をいえば今でもすごい気になっている。正直この疑問を墓場まで持っていくのは嫌だと思っている。でも、やはり触れるべきではないと自分に言い聞かせ納得させている。

今でも唯ちゃん、夏織ちゃんの2人とも大好きだし、2人のライブやツアーには欠かさず行っている。(ツアーは全通ではないが最低でも1公演は参加している)もちろん、それぞれのソロとしてのパフォーマンスは素晴らしく、魅了される。でも、どうしてもゆいかおりが2人で紡ぐペアでのダンスが頭をちらついてしまう。この2人は2人そろって2倍じゃなくて3倍、4倍ともっと大きな魅力が出せるんじゃないかって。互い違いに歌いながら位置を変えながら舞う2人は本当に素敵で、あのシンクロとシンメトリーはゆいかおりの2人じゃないと出せない。もう一度、もう一度だけでいいから2人のパフォーマンスを見たいと切に願ったが、それが叶うことはなく2017年6月の活動休止を迎えてしまった。

5年前に夢を見せてくれたゆいかおり。でも、ゆいかおりを愛した私は、ゆいかおりが、そして栽培係が直面する「現実」を受け止める必要性に迫られてしまった。ゆいかおりという「現実」とどう向き合うのか、これが私がまともに生きていくために避けて通れない課題となってしまった。

ここまでが、ゆいかおりとの私の思い出である。この思い出を綴るのに何度涙を流しただろうか。何かを書くというのにこんなに悲しい感情に襲われたことはない。それでも、どんなに辛く悲しい思い出でも、ゆいかおりとの思い出はこの機会に書き留めておくべきだと思ったのだ。

私の「現実」への向き合い方と私の中での「ゆいかおり」

ゆいかおりとは無関係に、私が現実とどのように向き合っているかについて述べよう。人生を歩んでいれば、例えば親しい人が亡くなったり、事故に巻き込まれたり、失職したりといった大きな「現実」だけでなく、物をなくしたり、コップを割るなどと言った小さな「現実」とも向き合うことになる。ただ、これら「現実」というのはもう起こってしまったことなので、それ自身を巻き戻すことはできず、その結果「後悔」し、過去の自分を責めることになる。

私は「その時に可能な悔いなき選択を」と考えて現実と向き合っている。同じスタイルで現実に向き合っている人は多いのではないだろうか。「後悔先に立たず」ということわざがあるほどである。ただ、私は「悔い」に普通とは少しだけ違う意味を与えて「その時に可能な悔いなき選択を」と考えている。私にとっての行動選択とは未来の自分を説得する行為であり、未来の自分がその時の判断を振り返って「その時の最適解だ」と納得させられるかを考えることである。つまり、その時に予見できそうもないことは「悔い」には入れないという考えである。過去の自分に対して刑事裁判を行うイメージが正しいと思う。わかり得ないものに関しては、過去の自分を責めることはしないとしている。一種の割り切りである。この方法はある程度はうまくいく。全力を尽くしてなお客観的な判断基準を見いだせなかったとしても、未来の自分に対してプレゼンを行うことで自分に対して納得させ、その結果に関しては仕方がないとして受け入れる覚悟ができるからである。

だが、自ずと「予見できなかった現実」がより際立って記憶に刻まれてしまうことにもなってしまう。そして、「ゆいかおり」はまさにその予見できなかった現実として私の記憶に刻まれてしまった。私のポリシーに従えばゆいかおり活動休止は仕方がないとして割り切るべき、予見できなかった現実である。ただ、直接的には予見できていなくても、自分の事情で将来ライブツアーにいけなくなる可能性自体は想定していた。そのため、2017年のツアー発表時に、その時に持っている時間と資金を計算し、大学やサークル、他の自分が関わるプロジェクトの予定を確認し、きっちり計画を詰めた上でタイトなスケジュールの中でツアー全通をこなしつつ、グッズを買い揃えた。それらのグッズは今でも愛用しており、あの時の選択に特に修正するべきだった点は見当たらない。間違いなく満点だったと今でも言える。

でも、心の持ちようはどうだったのだろうか?結果的に最後のライブとなってしまった国立代々木競技場第一体育館での公演の景色、もしゆいかおりの活動休止を予見していたら少し違って見えたのではないか?もちろん、まったくもって無意味な問であるのはわかっている。でも、考えてしまうのである。当時の私に未来を見せたら、なにかもっと違う行動ができたのではないかと。私は無意味な後悔を避けるために、先のポリシーを胸に刻んできた。でも、ゆいかおりという存在が私にとってあまりに大きくなったがゆえに、もう私の手に負えなくなってしまったのである。

代々木第一体育館という呪縛と引けない線

今でも最後のライブの会場である国立代々木競技場第一体育館に対して少しトラウマのようなものを抱いている。先日(2020年1月)、その会場で行われたアニメ「魔法少女リリカルなのは」15周年記念イベント リリカル☆ライブに参加した。これには唯ちゃんも出演しており、より強くゆいかおりの最後のライブを連想させてきた。もちろんライブ中はライブをきちんと楽しむことができたが、家に帰り落ち着くと悲しい気持ちに襲われてしまった。もしあの時の自分が未来を知っていたら、もっとなにかできたのではないか。例えばアンケートに書く内容を変える、応援の声を少しでも大きくする、もっと多くの友人を呼ぶなどなどである。これらの行為がゆいかおりの活動休止を阻止できるとは到底見えないが、でもゼロではないバタフライエフェクト的なものを考えてしまう自分がそこにはいた。
そして「あぁ、これが世にいう本当の後悔なのか」とも思った。先に述べた私の現実への対処法は、要は現実と自分の間に線を引き、現実に起きることを客観的な「現象」として捉えて、その影響から逃げ切ろうとする方法である。真には現実に向き合えてはいないのだ。結局の所この3年間、私はゆいかおりと自分の間に線を引いて逃げ切ろうとしていたのだ。でも、自分がゆいかおりを好きになってしまった以上、それはもうできない。この身が潰えるまで向き合い続ける必要があるのだ。ゆいかおりと私の間に線を引くことはもうできないのだ。

未開封の「Y&K」

栽培係の皆様は最後のアルバムである「Y&K」を聴いただろうか?実は私は聴いていない。というより、ビニールカバーがついた状態のままである。トップにも設定したこの写真はここ数日に撮ったものである。

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理由は簡単、「怖い」のである。

Y&Kはベストアルバムなので、大半のトラックは過去にCDに収録されており、当然楽曲自体はすべて聴いている。ただ、BONUS TRACKであるソロバージョンはライブで披露されたのみで、CD音源はこのY&Kにしか収録されていない。そして、このBONUS TRACKを聴いてしまうことで、私はゆいかおりの新しい曲を楽しみに待つということができなくなってしまう。それが本当に怖いのである。

冒頭でゆいかおりを「現実」と言った割には受け入れられていない自分がひどく惨めである。でも、この記事を公開したあとはきちんとその現実に向き合おうと思う。今日の残りの時間はゆいかおりとともに。

改めて、ゆいかおりメジャーデビュー10周年、おめでとう。

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