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○○せずにいられない

書くかあ。書いていくことでギリギリ生きている感を醸し出していこうよ。そうでもないと、僕たちは、もう…



年明けて半月経った。流石に嘘。こんな使い古された話はしたくないが、でも、いくらなんでもなあ。

結局何にもしてない。バイトもしてなければ運動もしてない。絵とか動画の練習はしてるからそれは割と偉いかも?iPadを買ってから結構絵が描けるようになってきた。これiPadのおかげなのかそれとも普通に描けるようになってきたのか。これどっちだと思う!?


一人称問題。
多分俺を使っている(noteだと私とか自分とかに意識的にしてる)けど
わりと不評らしいじゃん。僕とかなんとかに切り替えていいかもしれないけど、今更変えるのにもちょっと恥ずかしさがある。あと今だとちょっと五条悟をなんとなく思い出してしまう。五条悟はかっこいいけど五条悟を人生のモデルにするのは流石に違う。あれは彼の最強性があってのものだからさあ…



運動して無さすぎたからコンビニに行くついでにちょっと自転車で走った。7キロくらい?139キロカロリー消費したらしい。カップヌードルと味が飲みたくなったピンクのモンスターが400カロリーなので-300キロだ。
まあまあ近所に長い橋があるから、渡ってすぐ折り返して帰ってきた。橋からは東京が見えた。東京のとにかく情報量の多いビジュアルは圧巻だ。都会としての密度が何度も新鮮に驚ける。
比較的寒くない日だったように思えるけど、それでも手がまともに動かないくらいには寒かった。手袋欲しいけどやっぱまた無くすんだろうし割と買うのに躊躇する。


ついに三体を読み終わってしまった。寂しい〜!後半の怒涛のSF展開が良かった。いやずっとSFなんだけど、最終巻はより純粋なSFだった(曖昧な概念なのであまり深く考えないでください)。それに伴ってより専門的になっててわかんないところは「わかんね〜w」と思いながら読んでたけど、そのわからなさを自分なりになんとなくこうかなって読むのも含めてSFでよかったな。個人的にはⅡが好きです。あのスケール感は小説ならではだと思う。実写化本当にどうなるんだろ?

次はハーモニーを読み始めた。人類が病的なまでに健康になっている世界の話なんだけど、そんな政府のことを「生府」と書いてヴァイガメントと呼んでたのがかっこよかった。自分が何か本を書くんだとしたらそのくらい大胆に新しい言葉を作ってみたい。伊藤計劃の本はやっぱり好きだ…まだ積んでる本が山ほどあるから読んでくぞ〜


iPadを買ってからというものの、ほぼ毎日絵を描いている。これは偉い。
そして割と着々と腕が上がっている。そうは言っても模写の精度が上がったくらいのことだったりはするんだけど、腕を、手をどのように動かしたらだいたいこんな感じの線が現れてくれる、みたいなのが掴めるようになってきた。なんとなく模写が大切だと言われているわけが前よりわかるようになった気がする。



と、思った。私は少なくともめちゃくちゃ、めちゃくちゃ喋る方の人間で、本当に喋らない人たちがいるのか懐疑的なほど頭の中でしゃべっている。なんというかその人の頭の中で「喋っていない」という認識があるだけで喋っているんじゃないかな、と思っている。(だって喋らないわけなくない?わかんないけど…)今こうやって文を打っている時もかなりしっかり頭の中で声に出しながら書いている。指を媒介とする音声入力みたいなのだ。

だからこそ目を瞑ってなにかをする、というか何かをしない瞑想のようなものが本当に苦手だ。常に頭の中で今書いてるみたいな雑記をもっと雑にした文章みたいなのが次から次へと浮かび続けて、ついには集中ができない。

それは音楽を聴いているときにも例外ではなく、音楽だけを楽しみたいときにも目を閉じたとして、常に目の真ん中ににぐちゃぐちゃの思考の塊みたいなものがあって、それが蠢きつづけているから純粋に音楽だけを楽しめない。この感じあるよね。

でももし喋らない人がいるなら、音楽だけに集中して聴けるのかな…とふと思った。それは多分いい事だ。

でもいなさそうだなー。結局それは、脳内で「で喋る」と感じているか否かの違いなんじゃないかな。



意外と書いちゃったな 今から寝るぜ(おわり)

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