見出し画像

現実と虚構の狭間で揺蕩うバーチャルな存在たち

2017年末からずっとバーチャルYouTuber、略してVTuberを見続けている。

最近は徐々に興味のない人にも認知が広がって、この話をしているといろんなことを言われる。否定的に言われることが結構多い。そういうものかなと思っている。

僕がよく説明するときに使う表現が「テクノロジーとネットカルチャーとエンターテインメントと面白びっくり人間が総集合した実質大乱闘スマッシュブラザーズまたは実質アベンジャーズインフィニティウォー」である。いったいこのすごい技術や異常な才能はどこに眠っていたんだ、そんな気持ちにさせられる日々が続く。

僕は昔から異常な技術と才能を見るのが大好きで仕方がなく、そのため異常なテクノロジーの上で異常な才能がわちゃわちゃして異常な空間が顕現してしまっている状態に眩暈を覚え続けている。

この世界では、可愛らしいアイドル志望の少女のキャラクターがDbDをプレイしながら「殺人鬼の才能があるかも」と嬉しそうにつぶやいたり、仲良し3人組キャラクターのうちの2人が仲良くしている様子をコメント欄で教えられた残りの1人が生放送中に嫉妬でグチャグチャになったり、5人のアイドルが紆余曲折を経て完璧な3DモデルとリアルタイムトラッキングでVR空間上を歌い踊ったり、イケメン2人組が駄弁りながらも熱いラップでライムを刻んだり、中学生がバーチャルな皮膚を纏って凄まじい歌声を披露したり、現実のシリアスな事情で去ってしまった天使を追い続けた魔王と機械が深夜の生放送中にVR空間の橋の上で天使の名を冠した素体を見つけ出してしまったり、する。

バーチャルな皮膚を纏った彼らは、その世界の存在として振る舞いながら、時に現実がオーバーラップし、仮想であるが故にまた現実へと影響を与える。現実ではないが虚構でもない。仮想の存在が織り成す夢幻の日々は、現実と虚構の狭間で揺蕩う。

これが、2017年末から2018年にかけて起きたことの、ほんの一部だ。

2019年。たぶん、この世界が未来へと拓けていくかどうかは、今年が勝負だと思う。願わくば、バーチャルな皮膚を纏うことで可能となる表現たちに、幸せが多からんことを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?