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203万円で買った1ヶ月の愛(3)

夫婦の共同作業と投資営業

「世の中には金の稼ぎ方が3種類あるぞ」と彼が突然語り始めた。
わたしは金儲けに興味がない。自分の得意分野について語りたがる男性っているよねーと思いながら聞き流していたが、いつの間にか彼はわたしに投資を持ち掛けていた。
「投資をしたことはあるか?」と彼はわたしに尋ねた。
「あるよ」
「何の投資をしたんだ? どれくらい利益が出た?」
「FX。200万の損失」
「うわー、何をやらかしたんだ」
「2011年の震災の時に暴落して、耐えきれなかったの」
「ああ、そういうことか」
彼は納得して、投資の営業を続けた。曰く、結婚後は必ず金銭の問題について向き合わなければならない。お金があれば豊かな暮らしができる。自分たちの好きなものを買い、好きな場所に旅行に行こう。子どもに良い教育を受けさせることもできる。また、彼は仕事の上で多くのことを学んできたから、わたしにその知識を教えることを誇りに思う。一緒に投資の勉強をしよう。

わたしに投資の営業をしてどうしたいのかなーと思って相変わらず聞き流していた。

わたしは、仕事が終わって帰宅したら彼にLINEするのが日課だった。投資営業を受けた翌日も、夜の11時に仕事を終えて帰宅し、LINEしたら、「今から投資の勉強をするぞ」と彼が言い出した。
夜の11時だぞ。わたしは半ギレで言った。
「わたしは今やっと仕事から帰ってきたんだ。疲れてるからやりたくない」
「やるって言ったじゃないか。言ったことを覆すのか」
「わたしがいつ今日からやるって言ったんだ。自分の都合で勝手に決めるな」
「僕はやると決めたらすぐ実行するんだ」
「わたしの都合を聞かずに勝手に決めるな。あんた仕事でもクライアントの都合を聞かずに勝手に決めるの?」

しかしその翌日の彼は、非常に静かだった。1日4回連絡してくるのに、その日は自分から一言も発さず、わたしから話し始めるのを待っていた。
わたしは「投資をやりたくないとは言ってない」とLINEを送った。「だけどわたしは、自分のためにお金を使うことには興味がない。ものを買うとか、旅行とか、そういうものには興味がない」
すると彼は言った。「うん、僕たちは、自分の興味のあるものにだけお金を使えばいいんだよ」
わたしは続けた。「2年前から、外国の貧困地域の子どもの教育支援のために寄付している。今はお金がないから一人しか支援できてないけど、お金があれば、もっとたくさんの子どもを支援できる。わたしはそういうことのためにお金を使いたい」
「うん、それは一番良い考えだ」
彼はひたすらわたしを肯定し続けた。昨夜のあの勢いはどこへ消えたのだろう。別人のようだった。

その翌週、「投資の勉強」が始まった。
暗号資産、仮想通貨と呼ばれるものの取引だった。
「夫婦は共同作業に取り組むことにより、より強い絆を得る」という彼の主張のもと実行されたが、巻き込まれたわたしは迷惑だった。
彼の指示は次々に飛んでくる。
「bitFlyerに日本円を送り、イーサを買う」
「Cryptoの画面を開いてスクリーンショットを送ってくれ」
指示に従ってアプリや各種サイトを開き、スクショを送る。次はここをクリックしてこういう操作をしろという指示が与えられる。
非常にめんどくさい。
「これ、ZOOMかGoogleMeetで画面共有したほうが効率いいんじゃない?」とわたしが言うと、
「どっちでもいい」と彼は言いつつ、そのまま指示を継続した。
「今この取引で750USDTの利潤を得た」などと解説されるが、なぜこんなにあっけなく利潤が生まれるのかわからない。
わたしは日本円と米ドルと暗号資産を行ったり来たりしなければならない理由もわからず、グラフを読むこともできず、市場がどういう状況にあって何を根拠に取引額を決定するのかもわからなかった。
理解できないことを質問する余裕もない。仮に質問したとして、日本語で説明されても理解できないであろう内容を中国語で説明されても、何も理解できるはずがない。
「元金の10%を使い、60秒間の取引において50%の利潤を得る」ということだけを理解した。
彼は必ずキスやハグのスタンプを送って来るが、わたしは少しもロマンチックな気分ではなく、そのスタンプが目障りなので削除していた。
わたしがドン引きしている顔を見せてやりたかった。あの顔を見たら彼もキスやハグをやめるだろう。
しかしながらわたしは抵抗しなかった。抵抗すれば彼を失うからだ。わたしのほうも重症だった。

今ならわかるのに。
なぜあんなに読みづらいグラフだったのか。
なぜ50%の利潤が確約されているのか。
なぜ彼は手間暇かけてわたしに説明したのか。

都合の良すぎる話

暗号資産取引は彼と毎日約束した時間に行っていた。やらないと彼がうるさいから。「今やらないでいつやるんだ」と言われ、かつての流行語を今さら中国語で聞かされたことに笑ってしまった。恐らく彼は、これがかつて日本の流行語だったことを知らない。
わたしは相変わらず取引の仕組みを理解していなかったが、彼の言う通りにやれば利潤は出るので、彼に言われるがままやっていた。
わたしは、この取引で稼いだお金を使って両親の借金を返済したいと思っていた。

わたしは仕事が終わって20時ごろに帰宅し、彼にLINEを送った。
「今家に帰ったよ。今日は何時から取引するの?」
しかし、返事が来なかった。彼は毎日、18時には退勤し19時に帰宅する。20時に連絡が取れなかったことはない。いつも、待ち構えていたのかと思うくらいの勢いの即レスが返ってくる。
彼は帰宅後も仕事をしていることが多い。忙しいのかもしれない。
わたしはとりあえず先にお風呂に入ったり食事をするなどの用事を片付けた。
21時を過ぎても返事が来なかった。

わたしはLINE交換をした時点から自分が犯罪に巻き込まれるかもしれないと警戒していた。
きっと裏があると思っていた。
自分とは無縁だったはずの別世界の高収入の男性が求婚してきて、高学歴ワーキングプアの自分を救ってくれるなんて、有り得ない。
その上、投資で儲けさせてくれるなんて、なおさら有り得ない。
話がうますぎる。

投資の過程で、わたしたちは際どい個人情報スレスレのものをやり取りしていた。
あの情報の中に、投資に疎いわたしにはわからない、利用価値のある情報が含まれていたとしたら?
わたしはどれくらいの損害を被るのか?
そういう不安が増大していった。

22時半、ようやく本人から連絡が来た。曰く、スマホをなくした、前に使っていた古いスマホで今わたしに連絡したと。
わたしは彼をなじり倒した。彼はわたしをなだめようと努力していた。
わたしがまあまあ落ち着いた後、彼がハグをしようとした。わたしはそれを拒否した。
彼はいつも文字とスタンプだけだ。電話で声を聞かせてくれるわけでもなく、ましてや会えるわけでもない。文字だけで感情を共有することには限界があるし、わたしは何の意味も感じなかった。
やっぱりこいつはわたしを騙している。わたしはそう思った。

この次の日、わたしは彼に言った。
「また突然連絡が取れなくなったらわたしはとても不安です。だから今後会う日まで、連絡を取るのをやめたい。あなたから連絡が来ないとわかっていれば不安にはならないから」
すると彼は言った。
「二人で暮らせるように僕たちは今頑張っているんじゃないのか? 君は諦めるのか?」
しかし、彼のこのLINEはすぐに取り消され、次のような文章が送られてきた。
「君が繊細なのは僕も知ってる。でも大丈夫だ。男性が女性を守るのは男性の責任だ。僕は君を守る。どんなことがあっても僕たちの気持ちは変わらない」
それから何事もなかったかのように、「僕は今日、夕食に麻婆豆腐を食べた。中国式のやつだ。中国には美味しいものがたくさんあるんだ。君を中国に連れていって美味しいものをたくさん食べさせてあげたい」という話題に変わった。

この時にわたしが連絡を断っていれば、後日の被害を防ぐことができた。
警戒していたつもりだったのに、その警戒は何の役にも立たなかった。
結局わたしは、自分の弱さに負けたのだ。

初めて会う日に「バラの花束と婚約指輪を渡します」宣言

これはまた「あなたに会いたい」とわたしが泣いて騒いだ時の出来事だ。
彼がLINEでどうにかわたしをなだめようとしていた。

「あなたに会いたい。東京に行きたい」
「僕も君に会いたい。だけど君が東京に来るとなったら、僕は君が無事に来れるか心配だ」
どういう思考回路なんだ。37にもなって東京に一人で行けないわけない。
「僕は君が心配なんだ。できるだけ早く仕事を片付けて君に会いに行くから、待っていてくれ」
「どういう予定なの?いつ会えるの?」
「今月末には会える」
今月末。この会話をしたのが月初め。つまりあと4週間。
彼は続けた。
「昼はカフェでたくさん話そう。それから買い物に行って、夜はレストランでキャンドルディナー。その後はテラスで赤ワインを飲みながらゆっくり過ごそう。バラの花束と指輪を渡すつもりだよ」

わたしは絶句した。
ロマンチックすぎて引いた。
初めて会う日にそんなテンションの高いことをされてもついていけない。
日曜日にちょっと一緒に出掛けようとかそういう段階はないのか?

わたしは言った。
「それ日本では最終ステップだよ。日本人はその前に何回か会うんだよ。それでお互いの相性とか確認するんだよ」

今度は彼が絶句した。数分後、返事が来た。どう返事すべきか悩んだのだろう。でも結局、バラと指輪を渡すらしい。

「中国の恋愛は結婚が前提だ」と、かつて知り合いの中国のおばちゃんが言っていた。だから、出会って2日目でプロポーズされたことを、結婚を前提に付き合ってくださいという意味だと捉え、今まで過ごしてきた。
それにしてもこの状況は一体何なんだ? 

「あのさ」とわたしは言った。「わたしが本当に大学院卒で、大学講師っていう証拠をあなたは見たことないでしょ? わたしがあなたを騙してる可能性は否定できないでしょ? わたしにとってはあなたも同じだよ。あなたが本当にあの会社に勤めてる証拠がどこにあるの? それを確かめてから話を進めるべきなんじゃないの?」
すると彼は在留カードの写真を送ってきた。
「これで少なくとも、僕が日本で仕事をしていることは証明できるだろう? 自分の身分を証明したい。君の不安を少しでも軽くしたいんだ」

しかし、わたしは何をもってこいつを信用すればいいのか全くわからなかった。日本在留は、無犯罪であることが確認されて初めて許可される。ならば彼は潔白なのか。それはもちろん重要なことだ。だけど、わたしが最も必要としているのは、そういうことではない。会ったことのない人間との婚約は、どう考えても非現実的だった。その計画をどんなにロマンチックに語られても信じ切ることはできない。わたしの考えをどうすればこいつに理解させることができるのか、わたしは全くわからなかった。

そういうことを考えていたので、わたしはうっかり、在留カードのスクリーンショットを撮り忘れた。
彼はきちんと在留カードを削除した。
今冷静に考えると、あのカードは明らかに偽造だった。わたしは家業の事務を手伝っていて多くの外国人従業員の在留カードを見てきたが、彼のカードは記載の内容が不自然だった。

その1週間後、彼は理解に苦しむ発言をした。
「僕たちはまだ会ってない。だから僕たちの関係のことは誰にも言わないでくれ」
どういうことだ。毎日4回LINEで連絡を取り合い、あれだけ仮想夫婦生活で盛り上がり、彼は毎晩私を胸に抱いて眠りたいと語っているのに、これは口外してはいけない関係なのか。
「ちょっと待って。っていうことは、今この状況は、宙ぶらりんってこと?」
「そうじゃない。口先で言うだけではなくて、行動して初めて現実に婚約したことになるんだ。行動というのは、つまり、花と指輪だ。だから実際に会うまでは、誰にも言わないでくれ」
中国式のプロポーズで花と指輪が欠かせないのは知っている。理屈もわかる。
しかし、月末まであと3週間ある。わたしは面識のない相手との仮想夫婦生活を既にしんどいと感じているのに、これをあと3週間続けろと言うのか。面識のある人間との遠距離恋愛は別に構わん。しかし、37にもなってなんであんな仮想夫婦生活を続けねばならないのか。
今なら口封じのために言ったのだと理解できる。せっかく着々と彼の計画が進行しているのに、口外されては困るのだ。わたしは暗号資産取引が矛盾だらけであることに気づいていなかった。

でも彼はわたしの性格を的確に理解してくれていた。欠点も知った上で結婚したいと言っていた。わたしには断る理由がなかった。指輪を受け取るかどうか最終判断は会ってからだと思ったが、この時点では受け取るつもりだった。
また、わたしの父は妻や娘を守ってくれる人ではなかった。
彼はわたしを一生守ると言う。中国人男性が求婚する時の常套句らしいが、それはこの際どうでもいい。わたしがどれだけ情緒不安定になって泣き喚いても彼は受け止めてくれた。仕事の悩みを言うと相談に乗ってくれた。人間関係の悩みも聞いてくれた。深夜にLINEを送っても怒るどころか丁寧に返信してくれた。わたしは果てしなく不安定だったが、彼は常に安定していた。こんなにできた人が、なんでわたしを選んだのか全く理解できない。

結婚に関して非常識なまでに性急である点を除き、彼に欠点は存在しなかった。

わたしのやっていることは依存と同じだった。
依存していたから、信用できない人間の言うことを聞いていた。

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