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20代のツケを払いながら暮らす30代女とロマンスと子育ての年度末

最近、勤め先の学習塾で10歳の生徒に言われた。
「マッチングアプリ使って早く結婚しなよ」
10歳に言われたとて腹は立たないが、余計なお世話だ。わたしにだって事情がある。
「余計なお世話じゃないよ。正しいお世話だよ」と教室長は言った。
教室長によると、わたしはこの一年で随分人間らしくなったし魅力的になったそうだ。
「今なら良い結婚ができると思うよ。マッチングアプリ使ってみなよ。うちの社員も何人かマッチングアプリで結婚したんだよ」
なぜそんなに勧める。
「話の合うパートナーは大事だよ」
それはわかりますけど。
そんなに簡単じゃないです。

仮にマッチングアプリで婚活したとして、わたしを選ぶ人の気持ちがわからない。
20代は6割くらい間違っていたと思う。道を踏み誤ろうと思って踏み誤ったわけじゃないけど、とりあえず6割は間違っていた。なんであんなことをしたのかわからない。わからないけど、当時はそうするしかなかった。
その一つ目は摂食障害である。食べられるものが非常に限られていた名残りが今でもある。子どもを産める体かどうかわからない。
あとは、死のうとしたこととか。友達が亡くなったことが理由。わたしは救急車で運ばれて助かった。それ以来、わたしにとって生きていることは当たり前のことではない。常に頭の隅で死を意識しながら生きてきた。
わたし以外に、若くて健康で、子どもを産んで育てることができて、素直で穏やかな女の子はいくらでもいるのに、わざわざわたしを選ぶ人の気持ちは絶対にわからない。
直近一年で、本気でわたしに求婚してきた男性は一人いるが、わたしは詐欺だと思った。ごめん。疑い深くなっちゃったんだ。

37歳の5月、わたしは大学非常勤講師の仕事の合間に、家業の飲食店で働いていた。隣で父親が癇癪を起こして物に当たり散らしたり大声を張り上げて怒鳴っていた。この怒鳴り声を聞きながらわたしは37年生きてきた。しかしその日、わたしの中で何かの堰が切れた。
わたしは長生きしないと思った。
たぶん2、3年で死ぬだろうと思った。
死ぬ前にやりたいことは何か考えた。少なくとも、このまま父親の怒鳴り声を聞き続ける生活は望まなかった。わたしは大学の学生たちに思いを馳せた。子どもたちを育てる仕事をしたい。死ぬ前に伝えたいことがある。わたしの家庭環境は24年間変わっていない。しかしわたしはもう13歳じゃない。37歳の自分だから伝えられることがある。
そう思った。
人生二度目の転職活動を開始した。まず、教育業界への転職を目指した。わたしの職務経歴は華々しく、教室長ポジションの書類選考は簡単に通った。一次面接も通った。しかし必ず二次面接で落ちた。わたしはマネジメント向きの人間ではなかったし、経営の責任を負う仕事もしたくなかった。
次に、ある大手教育系企業のアルバイトに応募した。その企業はいろんな事業を手掛けていて、そのうちの3つで働いた。応募して1ヶ月目、営業から電話が来た。
「お住まいの近くに当グループの塾があります。応募なさいませんか?」
わたしは、来た話は断らないと決めていた。紹介された塾に電話したら、やたら生命力に溢れた力強い声の男性が出た。面接に行ったらその男性が応対してくれた。その人が教室長だった。
「この経歴だったらどこ行っても引っ張りだこでしょ?」と教室長は言った。
「うーん、どうですかね」とわたしは濁した。
とにかくわたしは採用された。「あなたは海外経験が豊富だから、子どもたちにそういう話をしてやってほしい」と言われた。
それが2023年3月のことだった。
それから一年経った。
家業は未だにわたしを頼っている。拒絶したらわたしは家庭を失うのだろうか。家族は最も身近な暴力だと思う。家庭を人質にしてわたしを家業に拘束するのをやめてほしい。わたしはあの店で働きたいなんて思ってない。手伝いたいとも助けたいとも思ってない。経営上の課題を抱えながら何ら抜本的な解決策も打たずにわたしを利用して数ヶ月寿命を延ばすことに何の意味があるんだろうと思っている。
家族は身近であるが故に遠慮がない。理性の制御が利かない。わたしは彼らを相手に怒りを抑えることができないし、彼らもわたしに容赦しない。しかし相手にしたことは必ず自分に返ってくる。相手を粗末に扱うことは、自分を粗末に扱うことと同じだ。わたしは嫌だ。お願いだ。わたしを家業から解放してくれ。わたしは他人の職場で働きたいんだ。
わたしはあの塾という職場を大切にしたい。生徒とも同僚とも良好な関係を築いて生産的な仕事をしたいし、人として支え合い成長できる関係でありたい。
それは、家業ではできない。わたしがあの店の経営者の家族である限り、それはできない。

2023年10月、わたしを慕ってくれていた生徒がよその塾に移ることになった。わたしがその子の担当になったのは7月の終わり。およそ3ヶ月の付き合いだった。出会った当初、わたしはその子の夏休みの自由研究のレベルの高さに度肝を抜かれた。大学でもここまで完成度の高いプレゼンをする学生には滅多にお目にかかれない。しかしその子は、学校の成績は振るわないタイプだった。そのせいで学校では劣等生として扱われていたし、親も味方ではなかった。わたしは、親がその子を潰してしまうことを最も恐れた。しかしわたしにできることは何もなかった。その子は親の意思でよその塾に移った。
12月、期末試験を終えた生徒の一人がふて腐って寝るようになった。思うような成績を出せなかったので親御さんと喧嘩したのだそうだ。しかしその子は、起きている間は猛烈な勢いで勉強していた。わたしは、もしこの子が自分の子だったら何と声を掛けるだろうかと考えた。しかし、この状態の子どもに親の声は届かないだろうと思った。だとしたら、わたしがこの子にしてやれることは何もない。

わたしに心を開いてくれた子でも、ここには留まれない場合がある。
ここに留まった子でも、わたしの声が届くとは限らない。

難しいなと思い始めた頃、対照的な二人組を担当した。
一人は自分の考えを躊躇せず口に出すタイプで、勉強はお母さんのためにやっていると明言した。学校の成績にお母さんがうるさい、だから自分は勉強する、だけど自分はお母さんのために自分の時間を使っているんだから、良い成績を取れたらご褒美が欲しい、とのことだった。
もう一人は精神的成長を重視するタイプで、体調が悪くても決して休まない。真面目すぎて間違った方向に自分を追い詰めている時がある。自分の中に理想の成功像があって、そうならなければならないと思っている。
どちらの考えも理解できるし、ありがたいことに、どちらもわたしの言葉が届く。前者の子には「もしわたしが親だったら、そう思ってることを言ってほしいな」と伝えた。するとその子は,「でもママは、わたしの言っていることに納得はしても、ママもそうやって育てられたからって言って、結局何も変わらない」と言った。これは親子の問題であってわたしに介入できることではないので、わたしはその子の話に耳を傾けるにとどめている。
後者は本人の生き方の問題なので、なるべくその子が自分を追い詰めない方向へ導くよう努めている。

わたしは今年39歳になる。今塾で教えている生徒たちの親世代だ。
わたしに自分の子どもはいない。でもこの塾で、たくさんの子どもたちに出会えた。子育ての一部を担えただけで半ば満足している。
仕事としては、まだ結果を出したとはいえない。良い仕事をしたい。長生きしないだろうから死ぬ前にやりたいことをしようと思った時点からもうすぐ2年。たぶん、自分で納得できる結果を出すまでは、わたしは死なない。

教室長、わたしのプライベートの幸せまで願ってくださるのはとてもありがたいことですが、とりあえずわたし、ここで働けてるだけで十分幸せです。

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