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「隠居っていうのも当たり前の選択肢の一つだよね」

なんとなく、隠居がしたいっていうふうに思った。

もし私が「何をやったとしても絶対に成功する」ってわかってるとしたら、例えば素晴らしい映画を作りたいって思うかもしれないし、アーティストになって音楽を作りたいって思うし、小説だって書きたいと思う。

けれども、世の中でそういう作品を作って、褒め称えられるような人って実際どれだけいるんだろうか。


全世界人口は80億人ぐらいいる。

その中でも、1億人はいない。1000万人。それでも多い。
100万人。

いや、10万人?

10万人ぐらいでやっとそのくらいかもって思うレベルだ。
それより少なくても全く不思議ではない。

じゃあ私はその 10万人側なのか?それとも残りの79億9990万人?

どっちだろうって考えた時に
「いやー、10万人の方にはなれねえだろうな」って思った。


成功する人は、例えば自伝を書いたりする。

昔の育てられ方とか、逆に不幸なアクシデントだったりとか言うのがある。

じゃあ私の場合はどうか?
恵まれた環境ではあったと思う。でも面白みがない。
特に何か大きなアクシデントはなかった。


大学に入って、コロナ禍になって。
それまで自分の人生について深く考えることなんてなかった。


ずっとしたいことなんかなかった。

小学校の時からずっと。
いや幼稚園生の時からだ。

卒園式の時に、『将来の夢を書きましょう』っていうのがあって。

周りの友達は野球選手だとかパティシエだとか、動物園の飼育員っていう人もいた。

私はどれも違った。
何も思い浮かばなかった。

確かあの時はパッと思いついて消防車って書いたんだった。
(消防士じゃなくて)

小学校の卒業式の時だって、『将来のなりたい自分を粘土で作りましょう』みたいな課題があった。

何にもなかった。
まだその時はブラックの職場とか、そういうことを何も知らなかったから、
学校の先生の像を作った覚えがある。

でも決して本当になりたかったわけではない。

高校に入った頃には、将来の像なんてある程度分かってくる。
運動部には入ってなかったから、アスリートになることはできないだろう。


部活には、中学から高校までずっとクイズ研究会に入ってたけど、
じゃあ何で入ってたか?って言ったら、ただ友達がいたからだ。

決してクイズが楽しいなんていうのはなかった。
結局友達と遊べれば何でもよかった。

それがたとえゲームをしているだけでもおしゃべりするだけでも。


だからといってたくさん友達を作るのはしんどかった。
一時期みんなと友達になろうと思った時があったけれども、
LINEの”友達”が増えていって、それが40 人を超えだしたあたりからしんどくなった。


大学に入ってから1回生の間は大学にほとんど行かなかった。コロナ禍で。

1 年間、暇で仕方なかった。
でもその頃には資格なんていう存在を知らなかったから、勉強することはないと思っていた。

だからといってずっとゲームをしたいという性格でもなかった。

だから、図書館に行っては本を借りて、それを 1 日 1 冊のペースで読んで、筋トレをして。

それを繰り返すだけの生活だった。
それで1 年間かけて分かったのは、私は成功者にはなれないっていうこと。

成功者っていうのは、
よっぽど運がいいか、
よっぽど頭のいい人がめちゃめちゃ努力して、そういう人たちが1000人とか1万人とかいて、やっと 1人なれるかなれないかだ。


世の中のインフルエンサーとかを見てると、成功するのって簡単、みたいな風を漂わせているけれども、実際にはほぼ不可能ということが分かった。

そして私には、そんなビジネスプランはおろか、したいこともなかった。

さっき言ったように、職業としてやりたいことなんていうのも別になかった。

じゃあ娯楽として野球だとかサッカーとかバレーボールとか、他にも囲碁だとか将棋だとか絵を描くだとか。ピアノを弾くとか、したいことはないのか?

だが、中学校高校、そして大学の間も、ノーリスクでお金を払わずにそういうことをできる環境があったのにそれに入らなかった。

別にしたくなかったから。



残った好きなことといえば文章を書くことと本を読むこと。

ビジネス書だけじゃなく、小説を読むことも好きだ。
書けるなら書きたい。
さっき言ったように、私がもし何をやっても成功するなら、
私はボディビルダーか小説家になる。

けれど残念ながら小説家というのは天才がなるもの。
美しい文章、論理だった文章をサラサラと書ける人がなれる職業だ。

『全てが F になる』という小説を書いた森博嗣さんは、
もともと大学の研究の傍らにバイトできないかなと思い、
出版社に書いて送ってみたらそれが超ヒットという感じだったそうだ。

対して私は小説を書いたことがあるが、3 ヶ月かけて、3000 文字行ったぐらいで止まり。
その 3000 文字を読み返しても面白くなかった。

才能がない。そういうことだ。



ビジネス書とかでよくあるアドバイスとして、
「今、自分が50億円持ってるとして、それであなたは何をしたいですか?」というのが結構ある。

私が1 年間かけて出した答えは、
『一人暮らしがしたい。』

どれだけ寝てても本を読んでても遊んでても文句を言われない空間が欲しかった。

今、それから少し経ってわかることは、それはただただ一人暮らしをしたかったんじゃなくて隠居がしたかったんだなということ。

ただ、一人暮らしして文句を言われないだけじゃなくて、仕事はしたくない。
毎日。同じ時間に起きて同じ時間に寝て、それでも貯金はたまらない。
仕事を中心にした生活は嫌だ。


どこかの本で読んだことだが、
終末医療機関で、死を間際に控えた患者に
人生で一番後悔していることは何か」と質問をする研究があった。

その答えで一番多かったのが「自分らしく生きればよかった


これだけ考えて出した答えが隠居だったのなら、それは私の自分らしさではないかと思う。

それは世間的には褒められたことでないかもしれないが。
でも隠居がしたい。

大した成功とか名誉とか、モノもいらないから。

ただただ平和に、穏やかに生きて、チューブに繋がれることなく、寝るように死んでいきたい。



もちろん、ある程度お金が必要ということも理解している。
雨風をしのげる家に住んで、ご飯を食べて冷暖房つけて。
そういう生活をするためには、超低く見積もったとしても月6万円ぐらいは必要。
節約して生きて月 8万円ぐらい。

それをバイトで稼ぐにしても、不労所得で賄うにしてもどっちにしろ、しばらくは働かなきゃいけない。そんなことはわかってる。

だから、今度の就職先には就職するし、きちんとフルタイムで働かせてもらうつもりではいる。

だが、必要以上の贅沢をするために、必要以上に働くつもりはない。
それは私の幸せにはつながらないから。



常にFIREや隠居は頭の隅に留めたまま、生きていきたい。

もちろん会社員として働き続ければ、年金だとかそういうのあるっていうの分かってるんだけど。

けれども。
例えば 30 歳で仕事を辞めたとして、その後の数十年静かに生きるのか。

それともその 30 年を仕事に支配されるのか。


体があんまり動かせなくなった60 歳以降のために頑張って汗水を垂らして働き続けようとは、私は思えない。

それだったら別に、ちょっとぐらい平均寿命より早く死んだとしてもいい。

というか人間の平均寿命なんて、医療のない時代には30年程度だった。
現代の人間が生き過ぎなのだ。


社会的な成功とかよりも、家族とゆっくり話す、心の通い合う友達とゆっくり遊んだり、街中で困ってる人に手を差し伸べるような。

そういう人生の方が豊かではないか。

いろんなアーティストが歌ってるじゃないか?
幸せはすぐそこにあったとか、すぐ隣にあるものが一番大切だとか、そういうことを歌ってる。

社会的な成功を褒め称えてる歌なんて『大都会』ぐらいしか知らない。


もちろん親とも適切な距離を持とうとは思ってる。
決して親の住んでる家にそのまま住まわしてもらって食事作ってもらって家事もやってもらって、なんてするつもりはない。

ずっと一緒にいるとお互いに不満も出てくるものだ。

だから基本的には自分一人で、生活を送っていけるようになりたい。

月に3日ぐらい、親に会いに行ってゆっくり話をする。
そういうのがいいんじゃないかな。
せわしなく仕事をしてたら、そういう時間も取れないから。



誰かの哲学者の言葉で『自然に帰れ』という言葉がある。
人間の社会に色々と歪んだ部分があるから、それを全部手放して野生の人間に戻ろうみたいなことだと思う。

それはそれで、今から人間がその理性を全部手放してっていうのは、またちょっと難しいんじゃないかなと思うんだけど。


そしてもう一つ、確か落合陽一さんの言葉で『都合のいい自然』っていう言葉があった。
自然、山や森の中に行くと、ちっちゃい虫がたくさんいたり、ツタが絡まったり、家でその草とか花とか育ててると管理がめんどくさがったり。

それをある程度管理して、不快感っていうのができるだけない自然っていうのを「都合のいい自然」って言ってたと思う。

だから、私が言うなれば『都合のいい自然に帰ろう』みたいなところだろうか。


働きたいなら働けばいい。
世の中の経営者には「本当にこれを実現したい!」という人もいる。そういう人は頑張ればいい。

でも、私みたいに働きたくない人は働かなくていいんじゃないかなって。


もちろん労働は必要だ。

狩猟時代だって、オスが餌を取りに行って、メスは子供を育てたり、服を作ったりとか、労働は存在したわけで。

餌を取りに行きたかったんじゃなくて、お腹を満たしたかったから、餌を取りに行ったんだ。
現代でも一緒だ。生きていたらお腹が空くからご飯を作らなきゃいけない。

現代だってご飯を食べるために、最低限の仕事はしなきゃいけない。


でも世の中働きたい人が大半ではないと思う。
「成功したいとか、そういうの全然ないから」みたいな人がたくさんいるだろうに、みんなが働かされてる。

そりゃ国の方は GDP を上げて欲しいと思う。
経営者は社員に働いてほしいと思う。
企業の方はたくさん消費してほしいし、そのためにはお金を稼いでほしい。

でもそのせいで、たくさんの人が損をしている。
日本の幸福度が先進国の中でも低いっていうのは、
働きたくない人もみんな働かせるようにできているっていうのが問題なんじゃないか。


だからといって生活保護を増やせとか、ベーシックインカムを導入しろとか(導入しては欲しいけど)、言うつもりはない。

ただ世の中で、
隠居っていうのも当たり前の選択肢の一つだよね」っていう風になってもいいんじゃないだろうか。


2 日とか 3 日とかその程度だけバイトして、あとはもうゆっくり過ごしてる、っていうのが当たり前でいいんじゃないかなと思う。

もともと、人間は自分が得たいものを得るために働く。

じゃあ自分が得たいものがそんなにないのにどうして週 5 でフルタイムで働かなきゃいけないのか?
そんなに働かなくていいんじゃ?っていうのが論理的な考え方だろう。

もちろん欲しいものが本当はそんなにないのに、消費行動が促されてるっていうのも問題だ。
それは広告だとか、SNS だとかそういうものによる影響だと思うけど。


本当に自分は何が欲しいのか?何を得たいのか?
そして、それを得るためには最低限自分はどれだけの労働をしなきゃいけないのか?ということをきちんと考えるべきだ。

この考え方に根拠があるというわけではないけれども、
みんなが本当に自分が欲しいものについて考えて、それを得るための最低限の時間だけ働いて、残りの時間は穏やかに過ごしていたら、

経済的には貧しくなったとしても、日本の幸福度って上がるんじゃないだろうか。

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