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映画「アマデウス」とクリエイティビティ。途中からガンダムになっちゃいました。あれ?

サリエリだけが理解した、モーツアルトの神がかり的音楽の才能

 映画「アマデウス」は1984年9月に米国で公開され、日本では翌年に公開された映画で、ハリウッドのアカデミー賞でも主要8部門を総ナメにした当時の話題作です。
 僕は映画としてこのアマデウスをそんなに好きなわけではありませんが(悲しいお話しなのでね)クリエイティビティというものを考える上では非常に印象深い内容だったと思っています。

 「アマデウス」は、作曲家のモーツアルトが生きた時代、18世紀から19世紀のオーストリアを舞台に、かの天才作曲家アマデウス・モーツアルトと、モーツァルトと同じ時代に宮廷音楽家として生きたサリエリという人物を描いた作品でした。
 サリエリも相当な音楽の才能を持った人物でしたが、モーツアルトにはかなわない。モーツアルトがどれほど優れているかは、同じ作曲家であり、宮廷作曲家にまで上り詰めた才能を持つサリエリだからこそ、その真価がわかる。他の音楽的一般人よりモーツアルトの才能のすごさがわかってしまうわけです。
 しかし、そのモーツアルトは非常に下卑た男なんですね。下品で粗野な男。だからサリエリは、「この凄まじい音楽の才能をなぜ自分ではななく下卑た男モーツアルトに授けたのか!?」と、神を呪うほどだったんです。嫉妬したんですね。それでサリエリは、遂にはモーツアルトを死に追いやってしまう。

 もちろん、モーツアルトの才能は、宮廷でも評価され、大衆にも評価されているんですよ。しかし、違うんですね。「うまいうまい!」と年代物のワインを飲んでいても、実はその味の微妙なところまでは多くの一般人は解らないのと同様に、モーツアルトのクリエイティビティの鬼がかったというか、神がかった領域は、サリエリほどの人にならないと解り得ない。

 クリエイティブって、そういうところがあるんだよなぁって。
 ある作品を、Aさんがいいですねって言って、Bさんも本当にいいねって言って。でも、Aさんは90点評価でいいねって言っていて、Bさんは120点評価でいいねって言っていて。でも、二人とも同じようにいいねって言って作品を褒めているんことになるんだけど、その理解度は全く別次元っていう事はあり得ますよね。

 作品を作っているチームの中でも、そういうことは多々起こっている。
 それは、例えば、僕らの世代の僕と近しい趣向の人に紹介するなら、「ガンダム者」っていう初代ガンダムの制作者たちへのインタビューをまとめた本。

ガンダム者―ガンダムを創った男たち

(ここでは、敢えて、ガンダムとは何かについては説明しませんよ。笑)

ガンダムで富野さんがやろうとした、とんでもないこと

 これを読むと分かるんだけど、富野由悠季というガンダムの監督。この人がどれくらい他のクリエイターと比べてぶっ飛んだクリエイティブを持っていたかがよく解ります。だから、インタビューも8人中7人まではすごく面白いんです。でも、最後の富野さんだけは、インタビュアーが、もう富野さんのレベルについていけてなくて、なんだこの内容? みたいなことになっていて。それがまた、富野さんのすごさを伝える結果になっているというね。。。

 富野という人は、子供向けの、玩具を売るための土曜の夕方に放送するアニメというメディアで、人類の進化とはなんぞや! っていうものを描こうとしたんだよね。そんなもん、当時は誰も理解できなかった。
 だから、ガンダムの台本ね。これが、スタッフのクリエイティブの出力が一周するまでは富野さんも様子を見るんですよ。で、「ふんふん君たちはそういうことね。じゃ、僕は本氣出すよ」って、途中からガンダムって戦争ものからスピリチュアルものに変容するんですよね。で、ニュータイプ=人類の次の形態、を描いていくことになる。
 僕は、アニメでも、漫画でも、映画でも、小説でも、そんな人類の未来のあり方を描く作品なんて見た事がない(他人様よりとんでもなくたくさんの作品を観ているわけじゃないですが、あくまで自分内資料参照の域なんですが)。それは、未来世界を舞台にした作品はいっぱいありますよ。でも、人間自体の変容を描くのって・・・。
 
 例えば、「ブレードランナー」で、アンドロイドも夢を見るのだろうか?! とか。「攻殻機動隊」で、外部記憶装置が埋め込まれたりネットにダイレクトに脳がリンクするようになった時代の人間の有り様みたいなことは描かれたりしていますけど。哲学的なテーマに踏み込んでいる作品はたくさんあると思うけど、ガンダムのニュータイプはちょっとそれらとは一線を画すもでした。

 だから後に(約20年後)、僕がフルフィルメント瞑想というものに出会い、自分も少しその修行をして行くと、その教えの中で出てくる深い瞑想イメージの話が、ガンダムでアムロとララアが宇宙空間で精神感応する時の映像とそっくりなんですよ。氣付いた時はびっくりしました。あのおっさん(富野さん)は子供向けのアニメで一体何をしようとしてたんだ! って。笑

 先日見かけた富野さんのインタビューでは、「僕はあのアニメを通して子供達の中からニュータイプが出てくるだろうことを期待していたんですが、出てこなかったですねえ。失敗だったとは・・・」と、発言しているのを聞いて。ホントにすごい人だなと思いました。ぶったまげました。オウム麻原尊師どころの騒ぎではない!
 これって、ガンダム放映から40年経って、世の中が少し進化して初めて、ちょこっと見えてきた内容なんですよね。だから、40年前に作っている最中なんかもう、説明しようとすらしなかったんでしょうねきっと、富野さんは。

まとめ

 で、今、これらをもう一度思い出しながら思う事は、
 「解る人にしかわからない」・・・事があると。
 だから、解っている人が魂込めて、それなんの意味があるんだよ! 無駄だよ! と、言われながらもなお込めて、作っておくという。それしかない。そういう領域があるんだよなって。
 クリエイティブは孤独な側面があるよねって事ですよね。

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