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子どもに見せるアニメは、子どもの人権とくにジェンダー意識に大きく影響しているのではないか…?

昨年の秋に、息子たちが大好きな(長男はそろそろ卒業だが)「きかんしゃトーマス」について、興味深い報道を目にした。それは、アニメの新シリーズで、主要なキャラクターの男女比が3対3になるというもの。しかも、加わる女の子のキャラクターの中にはケニア出身の機関車が加わるというのだ。

そういえば、2年ほど前に公開されたトーマスの映画にも、中国やインドといったアジア出身の機関車が男女ともに活躍していたことを思い出す。それだけ男女の平等や、人種の平等に敏感だということなのだろう。

ジェンダーや人権にしっかりと配慮されている世界のアニメ

我が家では、特に意識していたわけではないが、海外のアニメを見せることが多い。

たとえばディズニーが手掛けるアニメである「ドッグはおもちゃドクター」。ドッグはアフリカ系の女の子で、パパが専業主夫、ママがお医者さんという設定だ。おそらく、日本で作られるアニメであれば、人種の問題はともかくとして、あまりない家庭の役割分担だと感じた。

アニメに出てくる人種も多様だし、男女の役割分担も従来の固定観念にとらわれてないし…これからの時代を生きる子どもたちは、こういう世の中で過ごせると良いなと希望を感じさせられる。

Netflixで公開されている韓国アニメの「スーパーウィングス」やもなかなか素敵だ。主人公であるロボットは男の子だが、仲間のロボットには男の子も女の子もいて、どちらも大いに活躍する。ロボットたちに指示を出す人間も、女性という設定だ。(日本で現在公開されていない第1シーズンは男性だったようだけれども)

スーパーウィングスは世界中の子どもたちに荷物を届けるという設定で、アジアの子どもも、ヨーロッパの子ども、アフリカの子どもも登場する。お隣の国のアニメだけれど、こんなにも人権意識が進んでいるのかと驚かされる。

近年のディズニープリンセスが大きく変わってきていることは、多くの人が知っていることだろう。わたしが子どものころのプリンセスたちは、最終的に王子様に守ってもらったり、王子様に助けてもらったりすることが当たり前だった。けれど、最近のプリンセスたちは「アナと雪の女王」のアナとエルサをはじめ、自分たちで戦い自分たちで幸せをつかんでいく。そこには女の子たちに、主体的に生きていこうというメッセージが込められているようで心強い。

昔ながらの男女役割分担から抜け出せない日本のアニメ

一方で日本のアニメは…と見回すと、わたしが子どものころの男女役割分担から抜け出せていないものが多いように感じる。

ドラえもんの野比家も、サザエさんの磯野家も、クレヨンしんちゃんの野原家も、妖怪ウォッチの天野家も、みんな専業主婦家庭なのである。どれもご長寿番組だから、作られた時代背景として専業主婦が多いのは仕方がないのかもしれない。しかし、専業主婦家庭が半数に満たない現在、こんなに専業主婦家庭ばかりがアニメに出てくるのはどうなんだろう。

最近長男が好きなアニメ「新幹線変形ロボ シンカリオンでも、同じような疑問を感じる。

主人公の速杉ハヤトの母は特別に描写はないが専業主婦だろう。そして父親の設定がひどい。父はハヤトの所属する新幹線超進化研究所総合指令部の指導長なのだが、とにかく忙しすぎて子どもとの時間がない。京都鉄道博物館に単身赴任させられるうえ、ゴールデンウィークにハヤトが会いに行ったのに、鉄道博物館が混雑しすぎているせいで手伝いに駆り出されて、結局子どもと会えずに終わる。

いつの時代の家族像だよ!共働き家庭が半数以上になった現代において、家族を犠牲にして仕事に没頭する父親がカッコいいと子どもに思わせる描写って、本当に良くないなと思う。子どもたちに、「男は家族に我慢をさせても仕事をするもの」「女は家にいない男にかわって家を守るもの」というイメージを知らず知らずのうちに刷り込んでいるのではないか。

ストーリー自体は面白いし、新幹線がロボットに変形して悪から地球を守るなんて、新幹線やロボットに憧れる子どもからしたら夢のようなアニメだ。だからこそ、登場人物の家族構成の設定は、もう少し配慮してくれたらなと思う。

わたしは、自分にまつわる家事くらいはできるよう、子どもを持ったらパートナーと50:50で育児を分担するように、子どもたちを育てていきたいと思っている。しかし、アニメやドラマ、本などの影響で、昭和時代の家族像に知らずに染まってしまうのではないかということが心配だ。

アニメから女性への性的差別が小さいころから刷り込まれるのでは

さらに心配なのが、女性を性的に差別する風潮だ。

たとえば、多くの世代に愛されてきた「ドラえもん」。主人公も主人公の周囲の友だちも、多くは男の子だ。男の子が多いということだけを見れば男の子向けのアニメと考えれば納得はいくのだが、女の子のメインキャラクターであるしずかちゃんやジャイ子の扱いが今も昔も変わっていない。

のび太がしずかちゃんの入浴シーンを覗いて「きゃー、のび太さんのエッチ―!」と怒るシーン、本当に女の子の扱いってそれでいいの?男の子が女の子の入浴シーンを覗いて喜ぶ、楽しむって、女の子の立場からすると傷つき怒る内容なのに。本当に、この時代に、そぐわないのではないかなと思う。

ジャイ子は容姿が悪いということだけで、あの扱いだ。女性は容姿が悪いとあんなに馬鹿にされなければならないのか。

昔から下品だと批判されることの多い「クレヨンしんちゃん」も、わたしは子どもに見せないようにしている。うちの子どもたちは男の子のため、ああいった下ネタ系は大好きだ。だから以前にクレヨンしんちゃんを見せたときはゲラゲラと大笑いしていた。子どもがうんち、おしっこといった下ネタが好きなのは、特に問題なことだとは思っていない。

それよりも問題なのは、女性のお尻を触る、嫌がる女性の前でお尻を見せるといったことだ。確かに、クレヨンしんちゃんのエピソードには感動的なものも多いようだ。それでも、子どもたちに女性の身体を勝手に触って、それをギャグにして良いなんて、絶対に思わせてはいけない。

男の子向けのアニメや漫画で、女の子をこのように扱い続けること、その先には何があるのか。男性が女性を性的に見ても問題ないという感覚だったり、女性をひとりの人間としてではなく「女性とはこういうもの」と扱うことだったりするのではないか。子どもたちは、自分が女性を差別しているということにも気づかずに、自然と女性差別をするようになるのではないか。

日本の子ども向けアニメの設定が見直されますように

別に大人向けのアニメであれば、どのようなものを作ろうとゾーニングされていれば問題ないだろう。大人であれば自分で見たいものを選べるし、自分で正しいかどうかの判断だってつくのだから。

しかし、21世紀になってもうすぐ20年が経つのに、いまだに子ども向けアニメの制作サイドの意識が変わらないのは、本当に残念でならない。子どもというのは価値観が作られる時期なのだ。世界で人権やジェンダーが見直されている時代に、日本のアニメは何十年も同じ価値観でいて良いのだろうか?

日本の子ども向けアニメの現状を考えると、親として子どもに見せるアニメについてちゃんとチェックしなければいけないなと感じる。そして、ささやかではあるけれど、親としてこうやって声を上げていかなければいけないなということも同時に思うのだ。

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