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警戒心デトックス。

中学生の時、僕には将来の夢がなかった。
それに気づいたのは「中学生の頃の自分の将来の夢は?」という質問に対しての自己分析をする時間を設けたからだ。

当時の僕にとっての「幸せ」というのは
「不幸」を最大限に排除する事だったということに気づいた。
「幸せの追及」よりも「不幸の排除」だった。

世界が狭いと感じながら生きてきた。
自分だけでなく多くの人々は自分と同じように世界の狭さに従って生きているのだと思い込んでもいた。

中学校を卒業して大人になり今よりもどれだけ遠くの外の世界に出て行ってもだ。
「不幸」を被らない為に
「警戒心」を尽くさずに持ちながら毎日を生きていかなければならないものなんだと思っていた。

実際に深く自己分析をしてみると
いくら今とのギャップに不愉快をおぼえても
今の自分に活かせるようなエッセンスを学ぶ事が出来た。そして自分をさらに深掘る為の新たな質問なんかも沢山出てくる。
今行っている事を次に繋げる事ができる。

当時の僕にとってあらゆる物事に対する
「警戒心」は使命感を持って抱くべき義務的なモノだった。
でもこの自分の過去の事実を実際に言葉にして
可視化する事で客観的に自分を見つめ直す事が出来た。

「警戒心」は必要性の低く意義のない
所詮副作用的なモノだという意識を持つようになった。
「警戒心」もまた「笑顔」と同様
『感情』の手段である。
「持つべきだ」という警戒心をデトックスするべきだ。

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