義母の生き方から学ぶ絶対やってはいけないこと
夫の母と出会ってからもうかれこれ30年。
私が彼女から学んだことは、計り知れない。
なぜ、こんなにも喧嘩売ってくるのだろうと不思議だった。
気が強く負けず嫌いの義母は、今まで誰にも「負けたことがない」と自慢していた。何をどんな争いをしているのだろうと疑問ではあるが、彼女はもうすぐ84歳になる。
世の中、嫁と姑とは仲が悪いものだとされている。
嫁と姑、つまり一人の男を挟んでのポジション争い。
義母からすれば、かわいい手塩にかけた息子、嫁からすれば生涯を誓った愛する夫。
この男を中心にした勢力争いなのだ。
この要になる男がしっかりしていればさほど大きな問題にはならないのだろうが、だいたいどちらにもいい顔をしてどっちつかずの態度をとるから争い事は収拾が付かなくなる。
日本の男はとにかくマザコンだと言われている。
男に限らず皆、いつまで経っても親から自立できないでいる人が多いのだ。
たちの悪いことに、親の方こそいつまで経っても子供から自立しないでいる。
自立しないことを「親孝行」だと本気で信じているのだから、どうしようもない。
私の義母もそうだ。
自分は物分かりの良いすごく大人の女性だといいながら、私のことを一人の人間だと全く認めない。
義母がこうしてもらいたいという勝手な理想を、さも当たり前だと押し付けてくる。
私の人格や考えなんてどうでも良いのだ。
こうあるべきという勝手な妄想を押し付けられ、迷惑千万だ。
私も最初は若かったから、その「こうあるべき」に付き合ってきた。
夫の母に嫌われたくなかったから……
でも、無理だった。「こうあるべき」は永遠に続き次々に課題が終わらなかった。
最後はいい加減にしろと離婚一歩手前までいってしまった。
こんなことなら最初から、夫の母に寄り添うなんて到底無理なことをやめておけば良かった。
そう、そんなことは最初から無理なんだ。
だいたい自分の子供ですら、母親の言う通りになんて育たないのに、嫁が理想通りにいく筈なんてないのだ。
「こうあるべき」に従わないと「親不孝もの」だと怒鳴られ、絶縁された。
義母からの絶縁に万歳をした日、初めて私が私になれた気がした。
肩の荷を降ろせて清々した。
考えてみたら、「こうあるべき」という思い込みに、どれだけの人生を縛って生きてきたのだろう。
「こうあるべき」という縛りがきつい人ほど、傍目には「いい人」とか「常識のある人」だと見えるが、実は不平不満の多い人でもあるように思う。
義母は常に愚痴の多い人だった。
今も恐らく愚痴や悪口を言い続けていると思う。
そんなに不平不満を言うぐらいならやめたらいいのに、「こうあるべき」をやめることはできないらしい。
そんなに不満な人生を押し付けられた私は、溜まったものじゃない。
「こうあるべき」だと、自分自身が不満でいっぱいの生き方を押し付けてくる危険な人からは、とにかく距離をおかなくてはならない。
そういう人は、だいたい正義の仮面をかぶって近づいてくる。
人との境界線を踏み越えて「こうあるべき」を押し付けてくるのだ。
ひと昔前は、義母には従うのが当たり前だったかもしれないが、今はそんな間違ったことがまかり通る時代じゃないのだ。
義母は、数年前私に「絶縁」を言い渡しておいて、今更何もなかったようにまた近づいてきている。
年齢と共に弱ってきて不安になってきているのかもしれないが、まず自分の考えを改めないことにはこの「絶縁」宣告をなかったことにすることはできない。
私の悪口ばかり言っていた義母。
あれだけ悪口を言っていたのに、また近づいてくるなんて。
「嫁なんだから、介護して当たり前」だという価値観を押し付けてきて…
悪口、不平不満、愚痴の多い人は、「こうあるべき」に縛られ、果ては他人の人生も支配しようとしてくる。
自分の人生は自分が決めて生きていきたい。
自分自身が納得のできる生き方をしたい。
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