先週日曜から変わった私の日常について


小さな実家に、帰ってきた。

今も目の前は、多くの木が茂っている庭。ひたすらに広い空。

高い建物も、周りの騒音もない。これから仕事を始める人達が、電車ではなく車で集まる。


小さな実家。

こんな場所でも、誰でも、何かに対して毎日ストレスに出会って苦しむ時間があることを思う。

私のように、東京のベンチャーに就職して、ベンチャーが故に「走る」ことを当然として、それに苦しみながら働く人たちと。

家の中で、ここ以外行く場所の選択肢がなくて小さなコミュニティの中でやきもき・イライラを募らせる人たちと。

種類は違えど、自分の人生をネガティブにもっていく「ストレス」には変わりなくて。

状況はみんな違うし、どれが正解なんてない。

自分が何を選んで、選ぶことが出来て、何が合っているのか。何を大事にしたいのか。


先週の私は


東京の一人暮らしのワンルームで目を覚ました。

角部屋なので2面に窓があって、朝は眩しい。なのでアイマスクのようにマフラーで目の周りを囲う。

起きたいという感情と、「はやく起きて散歩にでかけようものなら、自分の人生を生きている感覚にひたれる、それが今の私に必要なことだよな」ってわかっていながら、起きれない。

二度寝の心地よさにかまけて、9時近くに起きる。

そこからのルーティーンは決まっていて、

「顔を洗って化粧水を塗る→2キロのダンベルで二の腕トレーニングをする→プロテインを飲む→就業15分前くらいを切るけどユーチューブとか観てる→10:30位から本格始動」

という感じだ。

今考えると、「仕事のために起きて、仕事に時間を使って、仕事に負けて自分のための時間を朝昼よる共にとれない状態」だったなと。


違う生活をしてみないと、わからないものなんだよね。


昼は、出かけることも面倒で、パソコンから離れることを考えると何かに焦ってデリバリーを割高で頼んだ。

夜は、ジムもなく飲みに行く予定もなく、オンラインで誰かにあう気力もなく、真新しいものに取り組む好奇心もなく。

そのまま、一日が終わる。

まだ調子がいいときは、4分間HIITをやって、夜ランニングに行く。ワイヤレスイヤホンを買ったのできれいな音楽を聞くことができるからだ。

そんな感じ。


実家について、4日目の私は


朝、変わらず二度寝が好きだ。今日もアラームが鳴って一度起きるけど、結局寝返して8時位に目が覚める。

東京と違うのは、「起きたい」という欲求が比べて強いこと。

「起きて何をするのか」が、少し違うんだなと思った。東京では起きたら「部屋の掃除/お散歩/洗濯/読書・・・」でも、それを「やりたい」って感情があるわけではなく「これをすると自分の人生に戻れるという理屈」だった。そもそも、やりたいと欲求として思える気力がなかった。

実家では、いろんな選択肢がある。「テレビをみる/パパと話す/朝、きれいな空気の堤防などをランニングもしくは散歩する/口に出して、自分と対話できる/ヨーグルトやプロテインなど食の選択肢が多い/朝でもジムに行ける・・」など、「その日の気分にあわせて、一日の始まりを選択できる」

それは、東京でもしコロナがなかったらかなっていたかというとそういうわけでもなくて、「冷蔵庫の中身」「料理をしたいと思える環境・設備か」「朝出かけたいと思える場所があるか」「人が少ないか」「空気が美味しいか」など、今すぐには変えることの出来ない「環境・設備の違い」も大きい

前は、東京にいるときのほうが選択肢が多かったけど、今はコロナの影響もあって実家のほうが選択肢が多い。

外に普通に出ることができる、運動をしたいので運動ができる、そういう欲求に沿った行動ができる事自体が、結構新鮮だ


なるべく自分の時間を、自分の心に沿って過ごすようにしている。

様々な選択肢から、今日は何をしたいかな?と選択できるような状態がとても心地良い。

今日は、このように朝からnoteに向き合う。これが必要だなと思ったし、やりたいと思ったから。


そうやって、仕事もスタートする。

どうしても集中できない日もあるけど、昨日は仕事部屋と寝室を変えた。実家にいるのに、ワンルームにいるときの感覚と一緒で、「場所での切り替えが出来ないから」。とてもスッキリとした朝を迎えられた。


お昼は、可能な限り動くためにもパパとでかけたりしていたが、それによって結構精神的にだらけて、午後はほぼ集中して仕事できない状態がここ2日ほど。

ここのバランスは、模索のしがいがあるっちゃある。「お腹いっぱいお昼ごはんを食べないこと/自分の集中力がきれるまで、午前中は仕事を続けること」とかね。自分のその時の感覚を大事にする。


夜は、ジムにいくということを昨日はじめて。運動を朝もできるけど、夜もできる状態で、ほぼ無人に近いジムで有酸素運動。最高かよ。

人がいない状態で、精神的にも空間的にも何にも気を遣わず、ラフにいれる。ランニングマシーンも2つくらいあるし、アリーナの周りを走ることもできるし、筋トレに励むこともできる。ジム自体が数ヶ月ぶり。やっぱりいいね。この「通える」っていう感覚、すごく痩せた(と言われた)学生時代のジム通いに似てる。

この感覚を、だいじにだいじにしたい。



生活をまとめると


・選択肢が増えたことによって、「私、今日何をしたい?」が実現できること前提に問うことができるようになったこと。

それに沿って行動することができるようになったこと。

・東京では、「できないこと」に縛られて、自分の感覚が鈍っていたこと。小さな世界の中で完結することで、それ以外を諦めていたこと。希望や好奇心など気力すらなかったこと。

・自然のチカラは大きいこと。空気が美味しい、人が優しい、という自分じゃ変えられないものの存在は、想像以上に大きな働きをすること。

・カエルや虫や花、空など、本当に久しぶりに触れて新鮮な気持ちになれた。「世界」の中に生きていること、私以外のすべてのものが進行しているのだと感じることが出来たこと。

・自分のネガティブ思考の癖は、アウトプットすることですぐにパパに「〜〜だからなぁ」と言われるなどで気づいて思い直すことができること。他者といるということはそんな力があるんだということ。

・仕事以外で「声を出す」こと、思いを発すること、(一人であっても)しゃべることが思考の整理や、自分の感情をみつける上で良いこと。

・やっぱり私は、「自分のペース」を崩したくないんだなということ。良くも悪くも。今まで他者を優先してきたからこそ、これからは「自分の欲求や心の声」を聞いて、それを優先したいと思っていること。

・自分の「好き」や、「心の安定」を大事にしながら、生きたいと思っていること。(それが、現実的に、経済的にも可能かどうかは、ちゃんと考える必要がありそうだな。旅行に関しても、好きを選択するにしても、お金はかかるし)

・・・・これは、一旦他の時間で探してみよう。



素敵な生活の習慣に出会えそうで、うれしい。

心が少しずつ、平穏を取り戻している気がする。

当たり前のように感じていたけど抑えていたことが、だんだんもとに戻ってきて(むしろ磨かれて)感情になっている気がする。

とても穏やかに、世の中と共存することができるような、気がする。



定期的に、自分と向き合おう〜。

自分のペースで、生きよう。他人のペースは、素晴らしいな素敵だなと思いながらも、それと自分は違うことを知ろう。

行動量が結果を分けるからこそ、今はたくさん行動してまで、「心から、結果がほしいのだと思っていない」ことを知ろう

何よりも、私の心の平安がいちばん。大事。少なくとも今は。