生身の私は、少しだけ防衛服を着ている。


今日も今日とて、モヤモヤすることがある。

もやもやについて吐き出したり考えたりするときは、「広い場所」のほうがいい。

空は高いほうがいいし、雑音も聞こえる場所のほうがいい。神経が常に、どこかに向くか向かないかの状態がベスト。

雑音とは別に、大音量で音楽を流す。目にはいる人の目や景色は、何も気にせず、パソコンの画面をひらく。


今日は、深夜の外。バスの止まらない時間帯の、バス停。



心のなかには、「自分がコントロールできないこと」がいくつか渦巻いている。

MTGにてできなかったことを代表して指摘されたこと、本当は仕事なんてしたくない(って思っていた)のに仕事に向き合うことげポジティブな気持ちが発生してきてそれの処理に困ったり、自分の求める仕事でのハードルが高くなることでそれが出来ていない自分に嫌気が差してしまったり。

気持ちはポジティブな方向に向かっているのよ。確実に。

この会社に長居しない。ことも、この前傷つくというかショッキングに感じた瞬間と同時に気づき前進だと感じていたのに。



でもきっと、私は怖いのね。

こうやって覚悟を決めて、自分が仕事に向き合ったとき、本気であればあるほど、そこで起きることに傷つく。振り回されてしまう。出来なかった自分にモヤモヤする。責任を取らないといけないことが面倒。負荷も大きい。

怖いのね、また傷つくのが。こわいのね、心が揺さぶられるのが。


こわいのね。心が死んでしまったような時期がここ最近まであった。パソコンを前にして涙が溢れた。

去年は、自分の中にうずまく得体のしれない寂しさを解消することが出来なかった。社員のことを考えていない自分勝手な経営者の言葉に、傷つくことが多かった。期待するものと期待しないものを明確に分けた。


「私は、この会社に期待をしていた」

優しい人がいると思っていた。自分が壊れたことや苦しんだことを受け入れてくれると思っていた。もっとお互いを思いやる気持ちでチームとして働くことを重視してほしいと願った。

でも期待をしても、そこにそれはなかった。

そもそも、自分じゃない他人の作った組織にジョインし、全く異なる考え・バックボーンをもつ人たちが集まっている時点で、期待する・求めるって自分のスタンスが間違っていると思った。

雇用契約書に書いてあること以外は、基本「自分がコントロールできることをコントロールする」「他人を動かそうとするのではなく、自分ができることを考えて行う。それができれば十分OK」なんじゃなかろうか。



組織というのは、あくまで「他人が同じ場所にいるだけ」で、利益を生み出し目標を達成するために協力する。

隣人と仲良くするためではない。楽しく生きるためではない。

会社の存在は、目的は一つ。



そこから考えて、役に立たない、気持ち的に乗れなくなった。そんな社員が出てきたら、そりゃあ共倒れすることなどなく。

個より集団。優しさより利益。それが循環する、と言う。



それには反して、私の人生は「私が楽しむために」存在している。(と思っている)

誰かのために生きる必要はない。目的の選択肢は様々あるけど、いつだって主語は「私」。


「私」が、自分勝手に生きる。選択する。有限な時間を使う場所を選ぶ。だって、私が主役だから。


でも、これが上手く出来ていないときは、自分が上手く自分のために生きる心のバランスを取れていないときだ。


そんなときは、こうやって吐き出せばいいんだけどね。




いつの間に、「自分が傷つくこと」を避けるようになったのか。

自分が傷つくことを察し、自然と予防線をはるようになった。


それがおとなになった、とも言うし、物事を学んだ、とも言う。

きっと私はおとなになった。

上京して、右の左もわからない頃の私はもういない。色んな服にチャレンジして、一人になることを恐れて、怖いもの知らずの私は、もういない。



全裸で、人にぶつかってコトに向かって、涙を流す私はもう、いないの?


きっと全てはバランスで、一気に何かを変えることでバランスを崩すことだってある。自分が不幸になってしまう感情の変化やアラートは、前よりじっと健全に感じられるようになった。


生身の私は、少しだけ防衛服を着ている。

26歳の私。




自分の人生がフィールドになる場所でくらい、今まで以上にわがままになってもいいような気がしている。


ここの責任は、私が最初から最後までとる。逆にいうと、私以外の人が取れない。


私はわがままに生きたい。一回きりの人生。一回きりの26歳。一回きりの、26歳夏。

音楽が好き。だからDJを始めたいと思った、機材を買った。

ラジオを始めた。声を扱うことがやっと叶った。こだわりが出てきた。

あと、何をしたいかな。

筋肉をつけて贅肉を落として、もっと「女」をわがままに楽しみたい。普通ではない服でそれが似合うカラダに、もっと自信を外部からもつけていきたい。

食べたいと思ったもの、行きたいと思ったところにわがままにお金と時間を使ってみたい。(今は音楽ライブと、自然との触れ合い)

妄想の中の私を、もう少し現実にしてあげたい。


発言しにくいんだったら、もっと別のやり方を考えればいい。いくらだって可能性はある。

生き方にだって、いくらだって道があって、自分なりの正解がある。生きる気持ちさえあれば。



自分のために。うまく棲み分けて、謳歌することを学んで、少しずつだって全裸になろう。