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自分軸で生きる ~おかしいと思うことには、おかしいと言いたい~

「民主的な学びのつくり方」Manabeeプログラム。
第2回目は、「自分の人生は、自分でつくる。(自己決定)」でした。


このプログラムをつくるにあたって、プログラムを一緒に運営してくれるManabeeサポーターのみなさんに共有した内容を、せっかくなのでnoteでもシェアしてみます。

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実は、大学を卒業してすぐに公立小学校の教員として採用され、公立学校で3年間勤務したことがあります。その頃、周りの教師と価値観が合わず、自分でいいと思うことをやったり、発言したいことを職員会議で発言しているうちに、先輩教員二人に湯沸かし室に呼び出されて、「会議で言いたいことを発言するな」みたいに言われて、教師なのに不登校になってしまった…ことがありました。

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手短に話すとそんな感じなのですが、もう少し詳しく話すと、そこには、ある「障害をもった子どもとその保護者の人の存在」というのがありました。その子は、重度の身体障害と知的障害をもっていて、自分で意思表示をすることも困難な状態でしたが、その保護者が望んでいたことが、「支援学校でも、支援学級でもなく、地元の子と一緒に普通学級で学ぶ」ということでした。

それに対して、管理職を含むほとんどの教員が反対し、学校側は「支援学級で加配の教員を付ける」という提案をしていたのですが、保護者は、支援学級ではなく普通学級で、どの時間もみんなと一緒に学ぶことを要望していました。

学校の教員の中で、その保護者側に立った教員が二人だけいて、そのうちの一人が私でした。管理職を含むほとんどの教員は、「その子の将来のためだとか、その子の学びの質が保てないとか、障害があるんだからその障害に応じたケアや教育を受ける必要がある」というような主張をしていました。

それに対して私が思ったことは、「当事者主権」という考え方でした。
教師や医師といった専門家に決定権があるのではなく、子どもや保護者、患者側に「どんな教育を受けたいのか、どんな医療を受けたいのか」それを決める権利がある。専門家は、アドバイスや提案はできても決定はできない。障害などがあり、本人の自己決定が難しい場合は、保護者の自己決定が優先される。そんな風に考えていたため、そういうことを職員会議で主張していました。その結果、先輩教員二人に湯沸かし室に呼び出されたのです。

このように対立関係になったとき、これは一体「誰の問題か」と考えるとわかりやすいのですが、加えて、「だれに権利があるのことなのか」を考えみる。すると、「当事者としが言いようがない」とも言えると思いました。

「それでも、そこのルールだったら仕方ないんじゃない?」と思う人もいるかもしれません。「ルールで決まっていたら、従わないといけない」。本当にそうでしょうか?

そもそもオルタナティブスクールに子どもを通わせるのは、憲法と学校教育法から見た場合に、「親の就学義務違反」だと見なされます。「保護者は、子どもに普通教育を受けさせる義務をおう」というような内容が明記されているからです。教育委員会や文科省は、普通教育を提供している場は、同じく学校教育法で定められている一条校(第一条で定められているので)に限ると解釈していますが、それはただの解釈であり、普通教育は一条校でなければならないとどこにも明記されていないのです。

そのため、普通教育の解釈を広げて、オルタナティブスクールやフリースクール、外国人学校などを含めようという運動が広まり、まだそこまではいっていないものの、こうした流れが教育機会確保法の成立に結び付きました。

私ごとではありますが、結婚式をしてから20年ぐらいになりますが、夫婦別姓を選択しているため、事実婚を選んでいるので、法律上夫婦として認められているわけではありません。
婚姻届を実際に見たこともないし、子ども二人も婚外子にはなります。日本では法律上、夫婦別姓は認められていませんが、海外では認められている国がたくさんあります。
なぜ、私がそうした選択をするのかと言えば、「自分はそうしたい」あるいは、「納得ができないものに従いたくない」という意思があるからです。その意思が、私の場合は、自分軸の現れなんだと思います。

ちなみに、この選択は、私の両親からは大反対され、祖母は理解できなさゆえに泣き出すほどでしたが、夫の両親は初めから理解して受け入れ、応援してくれるほどでした。そういう意味では、私の両親と祖母は、結婚・名字とはこうあるものだという枠に囚われていたけど、夫の両親にはそういう囚われがなかったために、私の自己決定を快く尊重できたのだと思います。

今では、私の両親もすっかり諦め(手放し)、父親なんか、親族紹介でも堂々と的確に夫婦別姓の説明ができるぐらいにまで変容しているので、Manabeeには参加していないけど、いろいろ学んだのでしょう(笑)

コロナ禍の中で、自分軸で自己決定していくことが難しいことが増え、「国に決めてほしい」という声があったり、メディアの報道に左右されることがあったり、人がもつ不寛容さが露呈したりしています…

こんな時代だからこそ、「自分で考え、自分で決める」自分軸をもちたいと思うし、それを育む学びの場を創っていきたいと思います。

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