帽子

最近になって、帽子をかぶるようになった。
今までずっと、自分は頭が大きいから、帽子が似合わないと思っていた。
帽子がおしゃれの幅を広げてくれるのはわかっていたから、帽子が似合う人がうらやましかった。
けれどいつからか、「自分は絶対に帽子が似合わないから、帽子という選択肢は私の人生には与えられていないのだ」と思い込んでしまっていた。

会社の先輩に、とても帽子の似合う人がいる。
いつも違う帽子をかぶっていて、おしゃれで似合っていて、いいなあと思っていた。
ある日、「〇〇さん、今日のニューエラ似合ってていい感じですね、僕には似合わないんです」と話してみた。すると、「〇〇さんも似合いそうですけどね。」と言われ、被せてくれた。そして「似合ってるじゃないですか!思い込みですよ〜」と言ってくれた。そうかなあ...とかなり疑心暗鬼になりつつも、その場の会話は終わった。

数週間後、フジロックを控えていた私は、帽子を探していた。
似合わないとは思いつつも、真夏の日差しを避けるには帽子は必須である。見てくれよりUV対策を重視した私は、いかにもフェスっぽくて、自分がこれは好きだなーと思えるものを購入した。なんとなく先輩のことばも頭にあって、えーい買っちゃえ!と、勢いで買った。

フジロックでかぶったその帽子は、フェスマジック効果もかなりあったと思うけれど、自分的にもまあまあアリなんじゃないかと思えたし、周りの人にも、「っぽいね〜いい感じ」などと言ってもらえた。
とはいえ用心深い私は、その帽子以外に挑戦できないままでいた。これはたまたまフェスという環境も相まって許容値に滑りこんだだけであって、すべての帽子においてそれは当てはまらないと。

そのまま9月に誕生日を迎えた。親しくしている友人から、なんと帽子をプレゼントしてもらった。(しかもお手製の刺繍が施されてある!なんて素敵!)彼曰く「最近帽子をかぶるようになったって言ってたから」これにしてくれたそうだ。これまたとっても素敵な帽子をいただいたので、被ることにした。意外と大丈夫な気がしたし、何よりその帽子がすごく気に入ったのである。

それ以来、いろんなタイプの帽子に挑戦するようになって、なんで似合わないなんて思っていたんだろう?というくらい、今やほぼ毎日かぶっている。
思えば私は自分に「私は帽子が絶対似合わない」という呪いをかけていたのだと思う。今回はたまたま、先輩の言葉とか、フジロックとか、誕生日プレゼントとかで、環境や周りの人のおかげで、ひとつずつその呪いを解くことができたけれど、他にもたくさん自分で呪いをかけている気がする。そしてそれが自分の首をしめているのだとしたら、一刻も早く呪いを解いてあげたい。

2019年はそういう自分に絡みついた呪縛から自分を解放する一年にしたい。