考えるということ

仕事で考えることが増えた。
基本的に考えることは好きだし、ともすれば一般的な人よりも色々なことを考えながら生きてきたはず、などという傲慢な自負もあり、考える仕事は苦にならないだろうと高を括っていた。

しかしながら実際は、どうしてこうも思考できないかね、と自分で自分が信じられなくなるくらいで困り果てている。どうも単調な感想とか思考しか浮かび上がってこない。それこそ「ヤバい」と大差がない。

ノートに向かって必死に思考をまとめようとしても、どうしても浅はかな単語のオンパレードになってしまうので、どうしたものかとふと思い返すと、高校生の頃熱心にやっていたブログのことを思い出した。考えるときにはきまってキーボードを手にしていたんだ私。紙じゃなかった。年の割にデジタルネイティブっぽい性質に気付いてしまい、ギリ昭をなめるなよという気持ちになったりした。

ほら、「考えること」なんて深みのありそうなタイトルをつける割に、このように大したことのない内容になってしまうのが、どうやら私の本質である。ヤバい。悲しい。