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ピカソから学ぶ、ローカルの価値の上げ方

こんにちは、元ダブル正社員で、今は週4社員/週1富山フリーランスという生き方をしています、ミノです。今週は『地域の価値を高めるには?』について考えたことを描いていきたいと思います。

それを考えるきっかけをくれたのは、インテリア雑誌ELLE DECOでした。いつもは買わないのだけど、表紙を覗き込むと『日本のクラフト新時代!The New Era of Nippon Crafts』というタイトルがあり、パッと手に取りました。

世界のデザイン関係者が一目置く、日本のものづくり

雑誌の中では、各国のデザイナーズアイテムが紙面を美しく埋め尽くしています。1ソファー 数百万。1鏡、数十万の値打ちとなっている商品の数々を見ると、これは家具ではなく、もはやアートなのだろうという感覚になっていきます。

その中で特集されていた『日本のクラフト新時代!The New Era of Nippon Crafts』。こちらは日本国内の職人さんが、海外のデザイナーと組んで、デザインの聖地とも言うべきイタリアミラノのデザインウィークで作品を展示していく様子が美しく描かれていました。紙面では、私も仕事でよくお世話になっていた千葉県南房総に工房を構える木工、竹工職人さんたちが、登場しています。

地方の山に生えている
ただの木。
ただの竹。
生活者にとっては、なんにも価値がないと思えるものが職人という人たちに出会うと、生き物のように自由自在に形を変える。

また、日本にいると気づかない職人たちの価値を遠くから称賛する世界各国のデザイナ−集団。世界は違えど、同じものづくり/デザインに携わる人が出会うことで、日本の伝統工芸が世界に挑める商品にアップデートされるシーンは、まるでシンデレラストーリーだなと思いました。

私はその特集を見ながら、私は『地方の潜在力に、世界の競争力を』という言葉が頭をかすめました。

この特集の事例は、ほんの一例だろうし、しっかりとした売上が立つのは、まだまだ先かもしない。でも、日本人が当たり前に思って見過ごしている中で、世界のプロフェッショナルたちが率先しコラボレーションしていくことは、私たちに再度、日本の価値を再認識させてくれるきっかけをもたらしてくれる。そしてそのような世界は今後どんどん増えていくといいなと思わずに入られませんでした。

(写真:ELLE DECOの特集ページより)

世界が日本にやってきてくれる10年がやってくる

インバウンド、インバウンドという言葉を聞いて久しいですが、実際に、その波は更に今後10年加速するといいます。

じゃらんリサーチセンターが発表しているデータを見ると日本人国内旅行市場における、外国人観光客の存在感は、2030年には、日本人に匹敵するといいます。

詳しくデータを見る見て比較すると2017年の今は、観光客数 (日本人:訪日外国人) 2016年→7:1の割合で、圧倒的に日本人が多いですが2030年→2:1の割合になっていく。宿泊日数でいうと2020年には1:1のほぼ同数に並ぶとい
う。

言い換えると日本人観光客と外国人観光客の数が今後イコールになっていくというのです。

今後は、どのホテルに泊まっても、隣人は外国人。そんな世界になっていくということに!

この潮流を先程の伝統工芸士達の視点で見てみると、これは、自分自身がわざわざ海外に乗り込んでいかなくても、自身の地域を訪れる外国人が増えていく、つまり自分の工房に来てくれる人が増えて行く可能性があるということになります。

自分たちが忘れてしまった価値を再認識させてくれる、そんな視点を持っている外国人観光客。

地域のフィールドを世界と据えて、そんな彼らの声をできるだけ多くの伝統工芸士の方々が聞ける機会が増えていったらと思う。

同時に、この声は、ぜひ、職人さんたちだけでなく、地域に住んでいる人もにも語り、そして彼らの声を聞いてほしいなと思います。

外国人観光客は、その地域にいる人々が守ってきた景色や、文化をきっと違う視点で評価してくれる存在だと思う。

だからこそ「若い人の人口流失」「消滅可能都市」という言葉を嫌ほど浴びた地域の人たちが、今一度、地域の誇り(Civic Pride)を取り戻すきっかけに繋がっていったらどんなにいいかと思う。

話せないから無理って!?

自分が話せなくても、周りを見渡せば話せる人話したい人なんてたくさんいる。翻訳技術も恐ろしく進化してきた!そんなツールを使える人を見つければ言語の壁は超えられる。

むしろそうしなくては行けないと思わせてくれる事例があるのでぜひ紹介したい。

語る、語る、語る。物語を語ることで価値を高める

地域の価値を高める方法を考える時に、地域を2人の人物に置き換えて考えると面白いと思い、ここに二人の天才画家のお話ができればと思う。

一人目は語らない画家ゴッホ、二人目は語りの画家ピカソ。この二人の偉大な名声なら、誰もが知っていると思います。でもこの二人の生前の境遇には天と地ほどの差があったというのはご存知でしょうか?

ゴッホの人生には多くの苦労がありました。多くの職を転々としながら苦労して画家となったが、後に信頼していた仲間との共同生活も破綻。みずから耳を切り落としてしまったエピソードはあまりにも有名だと思います。そんな中ゴッホは、2,000点にものぼる作品のうち、生前に売れた絵はわずか1点のみだったらしい。

う、不毛すぎる。。。。

一方のピカソは、画家としてはもちろん、私人としても成功していました。
91歳で生涯を閉じたピカソが手元に残した作品は、7万点を超え、その遺産評価額は、日本円にして約7500億円にのぼり、これほど儲かった画家はいないということらしい。

この両者の命運を分けたのは何だったのか?『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』という書籍によると、ピカソが、『価値の本質を見抜く、センスを持っていたからだ』と言われています。

それが何かとうと、ピカソは、新しい絵を書き上げると、馴染みの画商を数十人読んで、纏雷会を開き、作品を描いた背景や意図を細かく説いた。絵が素晴らしいのは前提だが、人は作品にという「モノ」にお金を払うのではない、その「物語」を買うのだと彼は知っていた。というのです。さらに、たくさんの画商が集まり議論が巻き起これば、自然に競争原理が働き、物語の価値も釣り上がるといった事を知っていました。

語らない画家ゴッホ、二人目は語りの画家ピカソ。この二人の何が違ったかというと、自分が携わる商品や地域を周りに伝えていたということかなと思います。



この二人の対極的な人生は、地域に置き換えても、多くの気づきをくれると思まいませんか?

地域にとって当たり前に見える景色や、食事、景観、そして伝統。先人が守ってきたこれらの資産を、しっかりと「物語」として語ることで、その地域の価値は少しずつ上っていくのだとピカソが教えてくれているような気がします。

そして今、日本の各地域の「物語」を聞きたいとやってきてくれる外国人がまさに増えようとしているのです。もう、絶好の機会にしか感じられません。

地域の価値を上げたい、届けたいと考えた時、ゴッホのようになくなってから評価されたのでは遅い。

語るなら、町が生きているうちに、声高らかに語るべきだなと思う。

『地方の潜在力に、世界の競争力を』

ローカルの潜在力を活かすための一歩は、わたしを含め地域に関わるものが、そこで流れている普段の生活を自らの言葉で語ること。

価値があると信じて周りに伝えていくこと、その積み重ねが、世界での競争力になっていくのかもしれないと考えた休日でした。



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