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think a lot, but don't care a lot.

高校を卒業してから、考えることをあまりしなくなった気がする。
そのおかげで、ストレッサーに対して鈍感になったし、幸せだなって感じたり
発見することも確実に多くなった。

3年前の幸せの定義「様々なことを感じられること」だった。だが、うわ、いい〜。と思うことはたくさんあっても、所詮、そこまで力を注ぐことなく感じることができた「うわ、いい〜。」なのである。なんというか、達成感とか、充実感、印象に欠けている。それはきっと些細な幸せを感じつつも、幸せな負荷をポジティブとした時のネガティブな負荷をそこまで追うことなく、感じたものだからなのかもしれない。ネガティブな負荷を例えるとしたら、プールで息がギリギリのところまで泳ぐことだ。そして充実感のある幸せとは水中から顔を出した時の一発目の呼吸が何か印象に残るような感じに似ている気がする。

そう、考えなくなった分、苦しむことも減った。考える力も衰えてしまった。
なんか心と頭の中はお尻の重くなってしまったおばさんのような覇気のない感覚になってしまっているのだ。

あまり考えなくなったのはきっと、20年間という人生で自分の考えたこととの周囲のギャップを気にしすぎていたり、考えをを周囲の人に押し付けてしまって関係性がギスギスしていたからだろう。

「考えすぎ」だと思っていたことはきっと「気にしすぎ」なだけだったのかなとふと今日、すなおな人に言われて気がついた。

考えすぎてもいいのだ。それはいつかどこかで使えることだから。
でも、気にしすぎなのは、自分を臆病にしてしまう。
考えすぎても気にしすぎない。楽しく、楽しみ、楽しもう。



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