【短編小説】白ない顔 ④

思い出したのは夏のあの日の悪夢。そして、それを思い出した途端に寒気を感じ、恐怖心に襲われました。あの時とは違い、まだ家の中だから大丈夫だと根拠のない理由で落ち着かせようとしましたが、そもそも助けを求めるために、扉の外にある漆黒の世界に足を踏み出す勇気はありませんでした。何を根拠にそう思ったのか、怖がっている姿を見せてはいけないと勝手に思い込んだ私は、怖じ恐れていた自分を誤魔化すために自分にこう呟きました。

「あはは… K (弟)って、忍者だったのかなぁ」

私の絞り出したセンスの欠片も無い冗談は目の前の暗闇に消えていきました。

「あはは… はは… 私、大丈夫だよ」

無理やり笑おうとするも作り笑いのようになりました。そんな乾いた笑いも目の前の暗闇に吸い込まれていき、このまま私も呑み込まれると思ったので、慌ててその闇を拒絶するようにドアを閉めました。

夏のあの日に無くしたオーディオプレイヤーに代わり、部屋に可愛いCDプレイヤーを買ってもらった私は、現状の沈黙に耐えきれず、少しでも心を落ち着かせようと軽快なJ-Popを流し始めました。部屋から出られない籠城作戦の中では、音のない時間はただただ苦痛でした。

「夜食持ってきておいて本当に良かったー」

毎日遅くまで勉強をしていたので、ちょっとしたお菓子とお茶は用意していました。今思うと、ところどころ出てくる自分の浅はかな思考や行動は子どもならではの考え方だったと感じます。特に、「籠城作戦には兵糧が必要」という安直な思考から、そのお菓子やお茶があるから私は大丈夫だという結論。歴史の知識がそうさせたのかもしれませんが、そのよく分からない理由で自分を落ち着かせていたのはあの時の私にとっては良かったのかもしれません。


部屋から出られない現状に恐怖もありましたが、単純に怖がっているだけでは時間が勿体ないと、吹奏楽部時代の思考が顔を覗かせ、なんとか机に向かいました。惰性で開いた数学の参考書は、どの単元だったかも覚えていませんが、ノートの端には今の自分に宛てて書いたのか「Don't be afraid(恐れるな)」の文だけがカッコ良く綴られていました。とは言え、勉強は全く進まなくなってしまい、これ以上だらだら勉強しても身につかない気がしてたので、少し落ち着きを取り戻すまではベッドで休憩しようと横たわりました。


(はは… 笑えないって…)

目を閉じて、リラックスしようとしました。部屋の目覚まし時計が刻む秒針の音と心音。単調なリズムで落ち着きを取り戻し始めたその時、先程まで軽快にCDプレイヤーのスピーカーから流れてきた音楽が消えた刹那でした。

アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ

!?

沈黙を破るかのように聞こえて来た笑い声は、まるでヘリウムガスを吸った時のような渇いた笑い声でした。いきなり訪れた危機的状況に鼓動は一気に加速され、体の震えが止まりませんでした。突然の出来事に驚き、思わず目を見開いてしまいました。ベッドに横たわる右手に壁があり、そこには両開き窓がひとつ。遮光カーテンの隙間から溢れる光は、夏のあの日に見た薄い緑色。笑い声も窓の外から聞こえて来ました。怖さのあまり金縛りにでもあった様に身動きが取れない私の前に、あり得ない現象がさらに畳み掛けました。鍵をかけているはずの窓が少し開き、ふわっと捲り上がったカーテンの隙間から見えた窓の外に何かがいました。それはいつか見た道化師のような真っ白な顔、ソレでした。

!?

あまりの驚愕に声は押し潰され、動かない体に必死に抵抗しました。部活で鍛えた腹筋をフルに活かして仰け反ったような体勢になり、金縛りが解けるや否や、そのままベッドから転げ落ちました。すると次の瞬間、体感的にあり得ない事が起こりました。咄嗟に起き上がった時には既に朝を迎えていたのです。

(…え? 何が起こったの? 夢オチ?)

酷い悪夢を見たなと項垂れながらも安堵していましたが、次の瞬間、背筋が凍りつきました。カーテンを開けた窓の外側には成人男性よりも大きな手形が残されていました。そして、驚きと恐怖に後退りし、背中にぶつかった勉強机の上には、置きっぱなしにされた参考書とノート。そのノートに書いたはずの英文は乱暴に消されていました。


夢と現実がマーブル模様みたいに混ざり合った思考状態で私はその場に座り込んでしまいました。

「M(私)ー? 朝だよー?」

どれくらい経ったでしょうか。母親の声に正気に戻され、気付けば午前8時を過ぎようとしていました。つけっぱなしの部屋の照明と、CDプレイヤーから流れる軽快なJ-Pop。窓に付いていたはずの手形もいつの間にか綺麗に無くなっていました。しかし、雑に殴り消されたノートの英文や、まるで今の私のように口が開きっぱなしのカバンがそのまま残されており、現実に起きたのだと再認識しました。

「よし、お祓いに連れて行ってもらおう」

気を失った年越し。最悪のコンディションで迎えた新年。それでも高校受験は私のローテンションなんてお構いなしにやってきます。

私は母親に今回の体験を話し、初詣と合格祈願に加え、お祓いをしてもらいに行きました。弟にも今回の事を確認するも、やはりあの日はずっと幼なじみの家にいて、その時間帯は年越しそばをご馳走になっていたとか。私の気持ちも知らないで呑気に年越しそばを食べていた事にイラッとしたので、今回の件は弟の部屋も関連していたという理由で、無理矢理弟も連れて行きました。
オカルト系が苦手な弟は、この日を境に少しだけ大人しくなりました。お父さんやお母さんは「不幸中の幸い」とか言ってますが、私には不幸でしかなかったのでなんとも歯痒い心情です。

お祓いを受けてからは怪奇現象など全く起きず、無事に志望校へ合格しました。元々霊感は無いので、普段から見ることはありませんが、それでも恐怖の体験をこの後もする事になるのですが… それはまた別の話。

あれ?
そういえば…… あの時に無くしたお気に入りの、オーディオプレイヤー。

シラないうちに私のカバンの中にある…

「白ないかお 終」

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