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子は親を選べない。

両親が大嫌いだ。

他の両親のもとに生まれていたら、もう少しまともな人生だったかも知れない。もちろん更に悲惨な人生だった可能性もある。

でも、私の人生は十分ひどいものだった。
そのことに今は全く疑いを持っていない。

自分の後天的な努力だけで何とかカバーできる範囲を超えていた。
あまりにも劣悪な遺伝子を受け継ぎ、最悪の環境で育てられた事実は重い。

学校では、論理的なことは一切理解できないので、丸暗記で点数を稼いだ。
大学にも入ったが、やはり丸暗記で辛うじて卒業した。

就職後は丸暗記では通じなかった。
事務仕事だが、迅速さと臨機応変さを求められる。

あっという間にボロが出て、「使えないヤツ」として馬鹿にされ始めた。
とても悔しいが、生活のためにも退職するわけにいかない。

歯を食いしばって頑張った。
普通の人の10倍は頑張ったはずだが、仕事の評価は平均の1/10だったな。

評価が間違っているわけではない。
正当な評価だと思う。

同期からは置いていかれ、後輩達にはどんどん追い抜かれた。
そして、周囲の目はますます冷たくなった。

でも、生活費を稼ぐために、辞めるわけにはいかない。
私は普通の人の20倍頑張ることにした。

仕事の評価は、年齢とともにどんどん下がっていった。
経験を活かしてリーダーになって貰わないと、会社としても困るのだ。

ついに、小さいチームのリーダーを任された。
私は普通の人の30倍は頑張った。

でも、必要なのは能力であり、頑張りではなかった。
チーム員たちからは相手にされず、上司からは見限られた。

そして、頑張りすぎの代償は大きかった。
完璧な不眠症になった。

不眠症は全身を静かに蝕んでいった。
疲れ切った身体が少しずつ動かなくなっていく。

それでも頑張って出勤した。
生活していくためには仕方ない。

ある日、職場の配転命令が出た。
不眠症で弱りきった身体では通勤できない距離だ。

さすがに、人事に相談に行った。
「あなたの能力などを総合的に勘案した最適な人事配置です」との答え。

私を退職させるための人事だった。
目の前が真っ暗になった。

通勤できる訳もなく、休職せざるを得なかった。
しばらくして、給料も出なくなった。

そして今、将来になんの希望もなく、不安だけを抱えた毎日を過ごしている。
まるで死人のように。

話を聞いてくれる友人すらいない。
私は生まれてこのかた、友達ができたことがない。

私はとても頑張ってきた。
でも、もう疲れた。

私は両親が嫌いだ。
あの両親から生まれたことを呪いながら、早くこの人生が終わることを望む。

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