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責任と応答あれこれ (短文)

「責任」は英語にするとresponsibility(応答可能性)とも読めるのだけれど、どちらかというと、すぐになんでも応答している人の方が責任感無いよなあと、わたしは思う。

わたしは手紙が好きだし、本も、詩も、好きだ。
それは、やっぱり書くことに時間も手間もかかる、非効率なメディアだからというのも、一つあるように思う。
(だからこそ、いまだに大学に残って、一つも役に立たない、芸術のコミュニケーションの研究とかしているわけですが・・。)

どんなSNSでもそうだけれど、なんだか、応答しなければいけない気持ちにさせられてしまう。
SNSの投稿って、好奇心に訴えかけてくるものも多いし、正義感や倫理観に訴えかけてくるものも多い。答えなければ、という気持ちになる。
パチンコにハマるのって、こういう感じなんだろうか。

いろいろな言葉のやりとりが、コミュニケーション能力だとかなんとか言われて効率化されて、ただの手段にされてしまいがちだけれど、わたしは、言葉のやりとりそれ自体を目的に据えて、時間をかけて、やりとりしてみたい。

いいねなり、RTなり、そういう応答の仕方ではないような、ゆっくりで非効率で拡散しないような、丁寧なやりとりを、今一度大切にしていければ、さいわい。



はじめて詩を書いて公開した。
言葉へのこだわりが私は強い方なので、うんうんと、言葉を選んでいる時間が面白かった。
詩は、折を見て、随時書いていくつもりである。

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