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時の宙づり

4年前の夏、三島にあるIZU PHOTO MUSEUMで
ジェフリー・バッチェンによるヴァナキュラー写真展を観た。

写真展の詳細はこちら

それからしばらく、『ヴァナキュラーな写真』というものに夢中になる。

上記サイトでバッチェンが述べているように、写真というものについて真剣に考えなければならないならば、わたしたちは有名なフォトグラファーが撮った有名な被写体の写真以外にも、さまざまな視点で写真を見る必要がある。

ヴァナキュラーな写真とは、アート写真としての写真以外の、もっと人々の暮らしに密着した、無名な人々の、たわいもない写真たちのことである。写真というものが生まれてから今までの、ある時代や土地の人々の慣習のなかで愛され、そして手放されてきたある形式や様式をもつもの、そこから今わたしたちが受け取れるものはどんなものであるかという問いや新たな視点を与えてくれるものがヴァナキュラーな写真であるといえる。

(より詳しくはサイトにて説明がしてあります。あえて重複を避けるために概ねの大事な説明をサイトの文章に委ねます。ご了承ください)

たとえば、展覧会では撮影者が影となって写りこんでしまったスナップ写真のコレクションが印象的だった。
その写真を見るとき、わたしたちはその写真の撮影者までもを刻んだ写真を目にすることになる。


こちらを見て笑う家族や美しい若い女性、そして影となり写りこむその家族の父や女性の夫など。
そこから、被写体と撮影者の関係性が生み出す微妙な表情の具合や雰囲気にまでわたしたちの思いはめぐらされ、またひとつの写真という存在自体もまた違う意味をもつものへと変化していく。

パリに住んでいた頃、毎週日曜日に近くでやっていた蚤の市で見つけてきたヴァナキュラーな写真たち。

当時は本気でキュレーターのバッチェンに送ってあげようかと考えて血眼で探していた(笑)

昔から蚤の市で見つける、古い写真や絵葉書、手帳など
人が大切に持っていたものや人の手書きが残された紙媒体のものが大好きで、それはフィンランドに引っ越した今でも、変わらず続いている。

その写真展でのほかの展示品には、被写体の少女の豊富な髪を写真を入れた額のふちいっぱいに入れたものや、実際にその写真で被写体が着ている布を写真に付着させたものなど、それぞれ今は忘れられ、記憶からも葬り去られたその被写体の写る写真を、かつて人々は故人の思い出とともに身につけ、大事にしていた様子が伺える写真たちが、大切に展示されていた。

時を超えてわたしにも、大切にされていた思いが伝わるようだった。パリの蚤の市でも、そのようなものを見つけたのでつい購入してしまった。

この写真の中にいる女性たちは、いつか遠い国からきた遠い遠い時代のわたしがこの写真を手にして家に持ち帰るなんて、想像もしていなかっただろう。

わたしはいつまでも、死してもなお、この写真の中で生き続ける彼女たちを生かし続ける。彼女たちの壮大な人生に思いを馳せて。

別の日の蚤の市ではヴァナキュラー建築の本も見つけて、それもつい買ってしまった。2010年頃はヴァナキュラーがとてもわたしの中では熱く、それはそれがきっとロマンチックだからなんじゃないかなと思う。

ヴァナキュラー人類学というのもある。

友人にもらった、ZERO SITE No.3|2010年6月1日発行『ヴァナキュラー・イメージの人類学 Anthropology of Vernacular Image』の中で、長谷正人氏によって寄せられた『「ヴァナキュラー・イメージ」と「メディア文化」―シミュラークルとしての「ルー大柴」をめぐって』という論考はとても面白かった。

まとめると、

1.

モダニズム芸術論の閉塞を抜け出すためにヴァナキュラー・イメージについて人類学的に考察する、という試みは一見奥行きの深い議論に見えつつ、近代西欧美術史に通低するような倒錯的な事態なのではないか、という疑問が浮かぶ。モダニズム芸術論者たちがデュシャン以降の芸術運動の趨勢を念頭に置きつつ、芸術が芸術として成立している社会的機構を自己反省的に問うていくうちに、とうとう芸術であることを制作者自身は意識していないような、芸術以前の土着的なイメージを、それが前衛的なものであるかのように錯覚してしまっているのではないだろうか。

例えばジェフリー・バッチェンが「ヴァナキュラーな写真」として紹介しているような、死んだ配偶者の髪の毛とともにロケットに収められた肖像写真などは美術館に展示されたアートとしての写真を見るときとは全く異なる土俗的とでも呼ぶべき触覚的な感動を呼び起こし深く感動を覚えるだろう。そして、われわれが写真というテクノロジーのイメージとは何なのかという問いに対して取ってしまいがちな、無意識的なモダニズム芸術論的な態度とは別の態度を持つことを要請するヴァナキュラーなイメージは肯定的に捉えられて然るべきである。それでも、「ヴァナキュラー」という言葉をアカデミズムの世界に導入したイリイチの考えをもう一度見てみるならば、それは反近代・反資本主義的な、私的で自律的な、土着的で閉じた共同体での営みであり、そういったものに積極的な意味を与えることはテクノロジーとしての写真イメージが持っていた近代の民主主義的な意味を断ち切る可能性も同時に帯びているといえる。

写真の民主主義的な意味とはすなわち、たとえば社会の貧困状態を公的に晒してしまう社会派ドキュメンタリー写真や君主やスターのアウラを破壊してしまう報道スナップ写真などに代表されるような、人間が伝統的に持っていた充足的な共同体に守られた自己イメージを無効にしてしまうような、新しい自己の「生」の可能性を開かせるという写真の存在である。

つまり、いまわれわれが暮らしの中のヴァナキュラーな写真を肯定的に扱おうとすることは、モダニズム的な社会の変革運動が停滞した挙句にとうとう反対側に折り返されて、むしろ自己充足的な共同体のイメージのなかへと回帰したいという退行的欲望(反グローバル化)に寄り添っているようにさえ見える。

そのような危険性を念頭に置きつつも、われわれが伝統的に育んできた「ヴァナキュラー」な文化が、けっして自閉的・自己充足的な意味を帯びているだけではないとうこと、むしろ「ヴァナキュラー」なイメージはわれわれが自己充足的なイメージから自らを解き放とうとする潜在的欲望を秘めているということを示していこう。

2.

イリイチは「ヴァナキュラー」という概念を説明するときに、「言語」を例にし、国民国家の公教育によって標準化された公式言語(国語)の読み書きを教えられるようになる以前には人々は「規則なき、自由な話しことば、すなわち人々が実際に生きていくうえで、またその生活を営むうえで、拘束されることのないことば」を話したり書いたりしていたと述べる。つまり、各地の民衆たちが土着的な生活のなかで生き生きと話してきたヴァナキュラーな方言と国民国家が人工的に作り出してきて強制的に普及させた標準語=国語を対比させて考えており、この考えはベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の議論とも相まって一見したところ極めて説得性があるように感じられる。しかしながらこの二項対立はあまりにも単純すぎるのではないだろうか。

松本修『全国アホ・バカ分布図―はるかなる言葉の旅路』に拠れば、民衆は標準語を強制される以前のヴァナキュラーな生活のなかでも、中央の都市から到来する新しい流行語を使うことで自分たちの生活を潤いのあるものに仕上げていたようである。本書では日本全国の「アホ」や「バカ」に類する方言がどのように分布しているかを丹念に調査していった過程とその結果を一般読者向けにわかりやすく記した本であり、柳田國男の『方言周圏論』を立証するものになっている。方言周圏論とは、日本各地の方言がその土地に自生したものではなく、京都で流行した言葉がそのたびに周囲の地域へとゆっくりと伝わっていったために、さまざまな方言が幾重にも重なった同心円的に分布しているという学説である。いちばん古くに京都で流行った言葉は同心円の一番外側の円(九州や東北)に今でも方言として残り、一番最近に流行った言葉が内側の円内(関西圏)で話されているということになる。

この主張は、われわれのヴァナキュラーな文化に関する常識(たとえば東と西では文化圏が違うといったような)を覆す、かなり驚くべきものだといえるだろう。方言が決して「土地に根付いた」ものではなく、中央から到来した流行語に過ぎないというのだから。しかも「アホ・バカ」表現はけっして非日常的なよそいきの場面や儀式ばった制度的場面ではなくて、反対に民衆たちが最も生き生きと互いの心を通わせる親密な(ヴァナキュラーな)場面で使われるものである。その最も親密な人間関係のなかで交わされる感情豊かな表現が、その地方の内側で土着的に生まれた言葉ではなく、京都から次々と入ってきた流行語によって、何百年にも渡って入れ替わり立ち代わり語られ続けたという事実を知ることとなったわれわれは、つまり、ヴァナキュラーに(土地に根ざして)暮らしていた人間たちといえども、生活の実利的な目的とはあまり関係しない遊戯的な会話を楽しむ場合においては、あえてその土地に根ざした言葉ではない流行語を使って、自分たちがその土地から離脱できる可能性を楽しんでいたのではないかと考えることができる。いわばヴァナキュラーな文化は、最初からヴァナキュラー性を超えようとする欲望をその内側に畳み込んでいた。おそらく人間は、いまここに生きる人間であると同時に、いまここから離脱できる潜在的な可能性を感じることによってこそ、逆にその土地に根ざした暮らしが可能になるのだろう。

このことは現代社会のメディアとそれを享受する子どもに置き換えて考えることができる。「残念!」とか「そんなの関係ねぇ!」といった自分がバカになったり他人のアホを笑ったりするような、次から次に興隆しては消えていく流行語を子どもたちが喜んで使っている背景には、彼らが学校や家族や地域に根づいてヴァナキュラーに暮らすしかない存在だからではないのか。彼らは意味も分からない呪文のような言語表現を用いて互いに互いをバカにする遊戯的コミュニケーションを楽しみながら、自分が今ここから離脱できる自由の可能性を密かに感じ取っているのではないだろうか。その意味で現代のメディア文化は、遠い昔に各地で最新流行の「アホ・バカ」表現を楽しんでいた人々の暮らしとどこかで響き合っており、つまりメディア文化とヴァナキュラーな文化は決して対立するものではないのだ。

3.

常識的には、ヴァナキュラーなイメージはテレビや雑誌やネットを通して流通する、アイドルや観光地やラーメンなどのメディア・イメージ(=シュミラークル)とは対立させて考えられるべきものかもしれない。しかしヴァナキュラーな文化はそもそもヴァナキュラーであることを超えようとする欲望を孕んでいるし、逆にメディア文化が作り出すイメージもわれわれのヴァナキュラーな文化や感覚と深く結びついて流通しているはずである。だから「ヴァナキュラー・イメージ」についていま考える意味があるとすれば、メディア文化と土着的な文化を対立させて考えるような従来の思考様式からわれわれが解放され、メディア・イメージとヴァナキュラー・イメージが交錯するような場面でイメージが人間によってどのような意味を帯びてい働いているかを、より深く考え直すためでなければならない。

松本修の制作したテレビ番組「探偵!ナイトスクープ」の、「おじいちゃんはルー大柴?!」という回は、「中学二年生の自分の娘が9年前に亡くなった祖父(自分の父親)のことが忘れられずめそめそ泣き暮らしているので、その祖父にそっくりなルー大柴をわが家に呼んできて娘を慰めて欲しい」という依頼のもとに、ルー大柴がその娘さんの思い通りに馬乗りをしたり夕食作りをして、最後には「もう泣いたりしない」と約束させるというものだった。

ここでは、死んだ祖父のことが忘れられない娘さんは、仏壇の遺影に話しかけるというヴァナキュラーなことをせず(写真はもはや呪物としての役割を果たしていない)、またルー大柴に「おじいちゃん」と話しかけ、「おじいちゃんごっこ」をするための道具として彼を利用しているという点ではルー大柴のファンとして彼と会っているわけではないのでメディア文化の領域でない部分で事態は起こっている。幽霊としておじいちゃんが出てくるよりももっと気軽に、フィクションという前提に安心して祖父との再会を楽しむことができるという、メディア文化を通して実践される新たなヴァナキュラー文化がここにはある。その地域の伝統に根ざした文化ではなく、電波によって外部から到来する空虚な記号(シュミラークル)を利用することによって、人々は日常的な実践では感じられないようなリアルさでもって、自分たちのいまここで生きている世界と交流し直すのである。

われわれには、フィクションを通してだからこそ形作られるような現実もあるのではないか。メディア・イメージとは、そのようなリアルな現実と出会うために人間が普及させてきた呪術的な装置ではないか。むしろ土地に根ざした自律的な暮らしが、メディア上の幻想や資本主義に抑圧されてしまうと考えるイリイチの方が、よほど幻想的な思想家なのではないか。
つまりヴァナキュラー・イメージの探求とは、生活に密着した私的イメージを見出すことではなく、われわれが生活の真ん中でメディア文化を通して欲望している超越的なイメージを探求することでなくてはなるまい。メディア・イメージがわれわれの生活や欲望を抑圧するイメージなのではなく、それらがまさにわれわれのいまここから離脱したいという呪術的な欲望を実現していることを認めたところから、その探求の旅は始まるのだ。

■■■■まとめ おわり■■■

どうですか?奥深くて面白いでしょう?

ヴァナキュラーな視点で写真を見たり、景色を見たり、他人のがらくたを見たり、人を見てみる。それは、表層的ではないまた違う次元でものを楽しむことでもあり、他文化や他者に自らを摺り寄せて考えてみる機会でもあり、また自分の生まれ育った環境や社会化の中でむくむくと育った欲望と向き合う機会でもある。

【過去テキスト】

不思議惑星キン・ザ・ザ(Кин-дза-дза! Kin-dza-dza!):

https://note.mu/minotonefinland/n/n3d2e049be0ff

日本からのサプライズの贈り物:

https://note.mu/minotonefinland/n/n1f33b547e2f4

フランスについて、2014年夏に思うこと:

https://note.mu/minotonefinland/n/n5bbe675bd806

エミールの故郷への旅(前編):

https://note.mu/minotonefinland/n/n8d7f3bc8d61d

エミールの故郷への旅(後編):

https://note.mu/minotonefinland/n/n6ccb485254c2

水とフィンランド:

https://note.mu/minotonefinland/n/n82f0e024aaab

ヘルシンキグルメ事情~アジア料理編~:

https://note.mu/minotonefinland/n/nb1e44b47da30

フィンランドに来た理由:

https://note.mu/minotonefinland/n/nf9cd82162c2

ベジタリアン生活inフィンランド①:

https://note.mu/minotonefinland/n/n9e7f84cdc7d0

Vappuサバイバル記・前編

https://note.mu/minotonefinland/n/n2dd4a87d414a

サマーコテージでお皿を洗うという行為:

https://note.mu/minotonefinland/n/n01d215a61928

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