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森が呼んでいる(3)フィンランドの長い冬をたくましく生き抜く方法

フィンランドの冬は長い。
短い夏が終わりを告げる8月中旬から、突然日が短くなり、肌寒くなるのを感じる。きらきらと眩しい太陽が射し、草も花も木も雲も虫も穏やかに笑って生命の素晴らしさを讃えていた夏はあっという間に、そのほほ笑みでわたしたちの身体をくすぐりながら風のように駆け抜けていってしまう。

フィンランドの秋は、ほぼ冬。というか秋と冬の境目がわかりにくく、連続性を持っている。現地の人でさえ、いつから冬なのか明確な定義は持っていない。フィンランドにも紅葉はあり、夏が終わる頃になるとまず楓が黄色くなり、落葉をはじめる。次にブルーベリーの茂みが紅くなり、続いて建物などに優雅に絡みつく蔦も紅く染まり、白樺の葉が黄色くなり、楢の葉が茶色くなる。これらは東京よりも1か月以上早い時期に起こるので、10月中旬には鮮やかな彩りは森や街からは消えていく。それはもうとても灰色。冬の始まりである。でも現地の人は「まだ秋」と言ったりもする。気温は3度でも。3度だとまだ冬とは言えないのか。みんな、冬に突入したことを頑なに認めようとしないかのように、「まだ冬じゃない」と言う。

ヘルシンキでは10月の終わりには雪が降り始める。そして雪が溶けて春が訪れるのは、4月の中旬頃。およそ半年が冬ということになる。春といっても日本のように、花見をしたりパステルカラーのアンサンブルなんか着たり薄手の靴下を履いたりする春ではなく、まだまだ気温は0度近くで外でのんびりビールなんてとても飲めたものじゃない。コートやマフラーは必須だ。でも氷点下を数か月経験した後の身体は知らない間に頑丈になっていて、気温が2度くらいだと「今日はなんて暖かいのだろう!春だなぁ」と良い気分になってくるから不思議。

フィンランドに住むようになって、最初の冬はとてもしんどかった。住む前に現地の友達からは「夏は天国みたいだけど、冬は本当に過酷だよ。フィンランドの冬をあなたは何度か経験しているけれど、数日滞在するのと、ひと冬を越すのじゃ全然違うから」と警告を受けていた通り、ラップランドに遊びに行ったり、クリスマスの期間だけ知人の家に集まってパーティーをしたりサウナに入ったりさせてもらうのと、夏から秋、そして冬へと移行するあの地獄のような日々を歩むのとは大違いだった。

灰色の空。朝の通勤時間も真っ暗、16時にはまた真っ暗の外。閉鎖的になっていき、愚痴や不安が増えだす人々。光が失われるだけで、人はこんなにも豹変するのかというほどの、ため息、浮かない顔、消極的な身体。夏が、なんだかわからないけれど何を見ても心がときめいて、全てを明るい方向に考えられて、明日が楽しみで、何もしなくてもいつも楽しく過ごしていられる季節だとしたら(これは日本ではあまり感じられない高揚感で、ヨーロッパ、特に北ヨーロッパならではのものだと思う)、冬はその逆。何をしても気分がいつも沈んでしまう。どんなに楽しいことがあっても持続的な喜びではなく、大きなエネルギーを要して作り出す必要がありながら、長くは保てない楽しさばかりになってしまう。

一年目の冬、わたしはとことんどん底に落ちた。自分の年齢を憎んだ。容姿を憎んだ。才能のなさを憎んだ。幼い頃の劣悪な家庭環境を恨んだ。特技のなさを憎んだ。その頃、フィンランドで出会う人のほとんどはミュージシャンやアーティスト、俳優や映画製作などに携わるクリエイターだった。彼・彼女たちは社会の底辺に簡単に落ちることができるようなクラスにいる、とてもぐらぐらしたところに立っている移民の自分からは本当にキラキラした存在に見えた。当時よく遊んでいた友達はスウェーデン語系フィンランド人ばかりだったので、必然的にスウェーデン語・フィンランド語・英語を自由自在に操れる人たちで、出自によってはドイツ語やポーランド語もペラペラだった。語学が堪能だとインプットの領域も格段に広がるので、所有する情報量が凄まじく、また素晴らしいユーモアの持ち主で、賢くバイタリティに溢れているので友達同士でコラボレーションを企画してそれを仕事に繋げたり、新聞に載ったり、賞を受賞したりと、様々な方面で活躍している人たちだった。今となればそれは素晴らしいことだと大喜びできるし、他人の人生として自分のそれとは完全に割り切って考えられるのだけれど、その頃は毎日、毎秒、自分と誰かを比べていた。自分は醜く、この土地の言語を話せず、仕事もなく、すでに30歳で、一体わたしは何をやっているのだろうと毎日思って苦しんでいた。でも、日本にも帰りたくなかった。日本を去る時のわたしの年収は500万円、29歳にとっては決して悪い収入ではなかった。でも日本で「当たり前」という空気になっているすべてのこと―「女子力」とか、「勝ち組」とか、「朝活」とか、レイシズムやセクシズムの感覚が鈍いところとか、「ダイエット」とか、「アラサー」とか―が息苦しくて仕方なかった。フィンランドという土地が好きでやってきたわけだが、そのフィンランドが愛し返してくれているわけではなさそうだという気持ちになり、居場所のなさがわたしを絶望の底に突き落とした。自分や役立たずで、特別な才能もなく、頭が悪く、姿勢が悪くて…と自分を責める言葉なら何時間も何十時間も言い続けられた。

自己嫌悪はどんどんエスカレートして、「もういっそのこと死んでしまいたい」と思うまでに時間は要さなかった。友達と会うと、いつも暗い話をした。落ち込んでるだとか、この人はこの前のパーティーで話しかけても無視してきたからきっとわたしのことが嫌いなんだとか、暗い話題には事欠かなかった。友達が輝いている姿をSNSで見かけると、嫉妬した。誰かが輝くことが、自分から輝きを奪われていることではないはずなのに。この時期は人生でも最もつらかった時期の一つだと思う。車通りが多い道を歩くと、ふと、トラックが横目に見えて、今すぐここに突っ込んだら楽になれるのかなと思ったり、歩道橋を歩いていて、勇気を振り絞ってここから飛び降りさえすれば、すべて終わらせることができると思ったり。自殺願望は10代の頃にも20代の頃にも持っていたけれど、30を過ぎても持つことになるとは思わなかったし、その幼稚さや心の狭さが自己嫌悪をますます悪化させた。しかも自分が羽ばたくためにやって来た土地で。

その頃、仲良くしてくれていた友達のうち、しょっちゅう家に呼んでは料理をしたり遊んだりしてくれていたあるカップルが突然あまり連絡をくれなくなった。「最近鬱気味で、心が沈んでる。だからまた近々会いたい!話を聞いて欲しい!」メールをした時の返事が、あまりノリが良くなくて、それ以来ばったりという感じだった。そのことを他の友達に話したら「あー、フィンランド人は、まさに今みんな季節的な鬱にかかってるから。だからあなたの鬱を助けることなんてできないと思ったのかも。自分も落ち込んでるのに、友達と鬱だ、冬は気が滅入る、と言い合ったらますます足を引っ張りあって落ち込むと思ったんだと思う。たぶん、自分を守るためにやむを得ない行動なんだと思う」という返答がきて、あぁ、つらいのはわたしだけなんじゃないんだ。と気づいた。

フィンランドの冬は、暗くて長い。日本では考えられないくらいの多くの人が冬の影響を受ける。繊細な人なら猶更、そのダメージを真正面から被る。本人こそ気づいていないが、周囲にははっきりとわかるケースも多い。いつもはあんなに面白い人が、なんだか元気がなかったり。一度落ちると、なかなか上に戻るのは大変なので、みなそれぞれ気をつけて楽しいことを見つけたり、ネガティブな気を持ってくる人には近寄らなかったりなどの予防策を採っているのだ。そのくらいフィンランドの冬の威力は強い。フィンランドの冬を避けるため、夏の間は思い切り働き、冬の間は半年どこかの南の島に住むライフスタイルを送っている人も少なくはない。皆、避けるのに必死なのだ。

できるなら避けたい、冬。しかしフィンランドに住んでいる限り、冬はやって来る。冬は誰にでも等しく訪れるし、その期間は決まって長くて、でもこれがなくなってしまってはフィンランドはある意味フィンランドではなくなってしまうし、地球のためにもフィンランドは永遠に寒くあるべきで、それがフィンランドのレゾン・デートルと言っても過言ではないのだ。しかし、長い冬がくるたびに精神を崩壊させるわけにもいかない。あの地獄を2度と味わいたくないわたしは、2年目には、8月31日、つまり夏の終わりとともに、鬱にならずに冬を乗り越えることのみを目標に全身全霊で駆け抜けた。結果、大成功。その年は鬱にならなかったのだ。それ以来、冬と上手に戯れながら辛抱強く低空飛行を続け、気が付いたら春の到来!という、鬱にならずに冬を克服する術を身につけたので、ここにわたし流のやり方をまとめておこうと思う。リストは上から、効果的なもの順(わたし調べ)。ちなみに、冬がそこまで耐え難くない地域に住む人にとっても、失恋したり落ち込む日々が続く日には騙されたと思って実践してもらえれば、効果が期待できると思っている。

◆◆◆mino流、長い冬を乗り越える方法◆◆◆

1.運動をする

運動をするとアドレナリンなど幸福を感じるホルモンがたくさん分泌されるので、てっとり早く憂鬱な気持ちを払拭するのに最も有効な手段の一つ。オススメは複数の異なる種類の運動をすること。激しい運動、グループで受ける講座はさらに効果的。わたしの場合、2年目の8月31日にジムに入会し、ボディコンバット、ケトルベル、ボディアタック、ボディパンプを中心に週に4~6回通った。他にはヨガ、ボルダリング、水泳、筋トレ、ジョギング、ダンス、ブラジリアン柔術、キック・ボクシングなどを行った。ジム友達とボルダリング友達を作ったことは非常に良い結果に繋がった。どちらも元から友達だったのだけど、ジム友達は同じく秋~冬の鬱から逃れたいと必死の人だったので、毎日のようにジムに誘ってくれた。ボルダリング友達は、ハマってる人に誘われて行くうちに、そこでどんどん友達繋がりで友達が増えて、グループチャットで「今日行く人~?」と声を掛け合う仲になったことで行く機会が増えた。通い放題のプランを選んで事前に購入しておけば、元を取るために出来るだけたくさん通おうという気にもなる。すでにハマっている友達のスポーツをやるのも効果的だ。なぜならこちらが多少消極的でも誘ってもらえるので、自然と行く機会が増えて趣味に繋がる。スポーツをすると、心が荒みがちでも数十分後には我を忘れて必死になれるので、終わった後のスッキリ度が格別に違う。本当に生まれ変わったように爽やかな心持になれる。体型も引き締まるし、身体も強くなるし、レベルアップするたびに小さな自信がついていくし、良いことづくめのアクティビティだと思う。


2.新しい趣味を持つ

新しいジャンルの運動を始めたら、その勢いで新しい趣味を持ってみる。楽器を習うも良し、編み物や陶芸を始めるも良し、語学を学ぶも良し、コンピュータープログラミングを習うも良し。できるだけ、それがやりたくて仕事から家路までウズウズしてたまらなくなっちゃうものが良い。中毒性があるもの、しかしやると全体的にプラスになるようなものが良い。あと、この趣味を通して新しい友達ができるようなものが良い。(編み物なら編み物レッスンの会に顔を出すなど)。

3.料理に凝る・居心地の良い部屋を構える

冬は寒い気候ならではの料理が美味しい季節。例えばチーズ。例えば根菜。友達を呼んでラクレット・パーティーをしたり、オーブン料理に挑戦したり、ポトフを作って身体を芯から温めたり。寒い外とは反対に、家の中はとことん暖かな場所にしておく。もし、長い間片づけていない場所(台所の棚やクローゼットなど)があれば、家で過ごす時間が必然的に長い冬は掃除にもピッタリの季節。掃除している間は結構嫌なことを忘れていたりするし、何かを磨いたり綺麗にしたりすると心もスッキリする。長い時間を過ごす冬だからこそ、部屋はできるだけ過ごしやすい場所にしておきたい。

4.パワージェネレーターみたいな友達と会う

この時期は特に、いつ会っても明るくて、パワーをくれて、楽しい気持ちになれる友達と過ごすのが良い。パワーをもらってばかりだと悪いので、与え合えるような仲になれるのが一番。お茶を飲んだり、ワインを飲みに行ったりして腹を割って大笑いできるような時間を過ごせれば、暗くて寒い冬もわたしたちから元気を奪えない。

5.テーマを決めて調べ物をする

普段から気になっていること、または自分があまり把握していないことに今がチャンスとばかりに手を伸ばしてみる。わたしの場合は、2週間に1テーマという感じでテーマを決めて、それに関するニュースや情報や本を読んだり、取り扱う映画を見たりして、「わたし冴えないのに何のために生きてるんだろ」という「哀れな自分」に酔いしれて自分のことを考える時間を減らし、他のことに集中する時間をより増やすようにする。自己憐憫はつまるところ過剰な自己愛の末路なので。自分の人生、自分のスペック、自分がやりたいこと、そんなことは暗い季節に考えるもんじゃない。具体的なテーマは「ムガール帝国の歴史」「UFO・カルトの興隆とアメリカ文化史」「絶滅危惧動物」「ファストファッションと児童労働」「各国の議会制度」「カクテルの種類とスタイル」「ミスコン問題」「シューベルトの交響曲」など何でも良い。テーマを決めたらとにかくできるだけたくさんの情報を集める。大きな歴史だけじゃなく、そこから漏れている小さなストーリーや歴史も見る。問題点や専門家の意見を多角的な視点から集めて精査する。何かに集中している間はやる気ホルモンである甲状腺刺激放出ホルモン=TRHが分泌されるので、脳は快楽を感じるようになっている。楽しいと感じるテーマをどんどん選んで、1週間や2週間という風に期間を設けて、それに関する知識を集中的に深める期間として定めるとゲームみたいで楽しい。

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人によって趣味も考え方も違うので、これらの方法が誰にでもぴったりというわけではないと思うけれど、どれも何かに依存をしたり、刹那的な刺激や快楽を求めるものではなく、持続的で、自分を内側から良い方向に変えていけるアクティビティだと思っている。春が来る頃には、冬を乗り越えたまた一段とたくましくなった自分と、新しい技術や知識、趣味が備わった自分がそこにいる。ほんの短期間だけどちょっぴり進化したようで、たとえそれが幻想だとしても鬱で苦しむよりはよっぽどそちらの方が良い。結局自分のことを救えるのは自分しかいないのだから。できるだけ強く、たくましく、柔軟に、穏やかに、温かく、賢く、生きていきたい。

春になると、冬の間ずっと土の中で息をひそめて忍耐強く姿を隠していた森の植物が、一斉に芽吹き、強く上へ上へと伸びていくのは、きっと冬の間に静かに力と栄養を蓄えていたからに違いない。だからわたしも、長くて寒くて暗い冬にこそ、心や身体に栄養を蓄えながら過ごしていくつもりだ。

(※このページに貼った冬の写真は、すべて希少な「晴れ」の日に撮影したものです。普段は晴れてない日が殆どです。それはそれは本当に暗いです。全くフォトジェニックじゃないし、どんなにスクリーンの彩度を上げてもとことん暗いです。何もかも灰色にしてしまう、それがフィンランドの冬なのです…)


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