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わたしがフィンランドに来た理由

今日はざっくりと、わたしがフィンランドに住むことになったいきさつについて書きたいと思います。

わたしとフィンランドの関係の始まりは、9歳のころ。朝起きたら泥酔から醒めたばかりのフィンランド人がうちにいました

今でも父の親友である、サンタクロースのような風貌のこの人は、カイ・ニエミネン(Kai Nieminen)氏といって、実はフィンランドの著名な詩人であり、また日本文学翻訳家、日本文化研究者で、『源氏物語』、『奥の細道』などの古典や、『こころ』『細雪』などの純文学、『キッチン』などの現代日本文学をフィンランド語に翻訳した人なのですが、うちではただの二日酔いのおじさんでした。父と朝までゴールデン街で飲んでいたようです。

でも心がとても綺麗な人で、話し方などはのんびりしていて、文学のほかに音楽(アコーディオン奏者としてCDも出している)や芸術にも造詣が深く、ムーミンの世界観をそのまま体現しているような知的かつ哲学的かつほんわかしている人で、また妻のエリナさん(Elina Sorainen)はいわゆるフィンランドの女性、と言うべきか、強くて優しくて知的で素晴らしい女性で、またフィンランドを代表する陶芸家(多摩美術大学でも教鞭を執ったことがある)なのです。二人のほのぼのコンビネーションに、会った瞬間からノックアウトされました。

【写真】カイさんとエリナさん。お二人のサマーコテージにて。ちなみに二人の慣れそめはカイさんが東大で、エリナさんが多摩美の大学院で学生をしていた時に東京で。もう何十年も昔の話だそう。そして父が二人に初めて会ったのはこれも何十年も前にフィンランドのバス停でのようです。

長く続く家族ぐるみの交流によって、わたしは子どもの頃からムーミンやサルミアッキ、アラビアの食器やキシリトールに囲まれて育ち、フィンランドは身近なものとしてそこにありました。でもさしてフィンランドに特別な思い入れはなく(とは言っても普通の人よりは身近な存在としてフィンランドを見ていましたが)、「父が誘ってくるから行く場所」という感じでした。


【写真】ヘルシンキ大聖堂。フィンランド語でTuomiokirkko(とぅおみおきるっこ)といいます。

ところが、5年前の春、運命的な出逢い(この言い方はとても陳腐だけれど、そうとしか形容できません)が訪れました。

わたしは宮崎出身(6歳からはずっと東京)なのですが、時折父と宮崎に帰省して、国際音楽祭などに足を運んだりしていました。その年はフェミニズムを研究するために大学院に入った年なのですが、5月に父と宮崎に数日帰省し、唯一予定ががなかった夜に市内を目的もなく歩いていたところ。突然交差点で父が金髪の男女と思い切りぶつかり、父は二人を見た瞬間、「あなたたちはフィンランド人ですか?Oletteko te suomalaisia?」とフィンランド語で聞いたのです。二人はびっくりして(わたしもびっくりしました)、二人が作っているテレビの旅番組の撮影のために日本に来たこと、福岡、沖縄、宮崎と旅をしてきたけれど英語を話せる人がいなくて苦労したこと、宮崎で何をしたらいいのか分からず彷徨っていたことなどを教えてくれました。父が「じゃあこれから一緒に夕飯でも」と二人を誘ったろころ、二人は「英語を話せる人さえなかなか見つからなかったのに、なんでこのオッサンフィンランド語で話しかけてきたんだろ…」と不思議そうな様子でしたが、ぜひ!と一緒に過ごすことにしてくれたのです。

結局その夜は店を3つハシゴして、夕刻6時頃から朝の4時過ぎまで大いに酔っぱらって大盛り上がりでした。その二人はニナとヨハネスという恋人で、TVや映画製作会社を共同で設立して、YLEというフィンランドの国営放送のスウェーデン語チャンネル(フィンランド語の公用語はフィンランド語、スウェーデン語の二つ、準公用語にサーミ語)で二人の旅番組を放送していて、オーストラリア編に引き続き日本編を作成するために日本を1か月間旅しているということで、話してみたら父との共通の友人も多く、またわたしともすごーーーく気が合って、興味や趣味も同じで(さらにヨハネスとわたしは同い年と判明)、あっという間に仲良しになったのでした。

その3カ月後にはこちらがフィンランドを訪れ、今度は1週間毎日みっちり一緒に過ごし、二人の友人をみんな紹介してくれて、パーティーを開いてくれました。また二人が再び日本に遊びに来てくれたり、わたしがパリに留学していた時はパリまで遊びに来てくれたりと交流が続き、わたしは同世代の友だちができたことで、フィンランドを今までとは違った形で楽しむようになりました。

【写真】ニナ

【写真】ニナとヨハネスがパリに遊びに来てくれたとき。

ちなみに5年前にわたしがヘルシンキに遊びに来た時には彼らの友人をたくさん紹介してくれて、その時に会ったのがヨハネスの親友のキムやその彼女のエマです。

【写真】一番左がキム、その手前がエマ

他にもリナやステファニー、カティヤやロッタなど色々な人に紹介してくれて、おかげでわたしはフィンランド人の友だちを一気に50人くらい作ったのでした。さて、その時にエマに呼び出されて(のこのことやって)来たのが、今一緒に住んでいるエマの弟のエミールです。

初めて会った時エミールはわたしの真ん前の席に座っていたのに、お互い話すことはなく目を見ることもなく(エミールは極度の人見知りで初対面の人とは全然話さない。わたしも実は照れ屋なのです(^∇^))終わりましたが、会った時からすっごくかっこいいな!と思っていました(てへ)。

【写真】左からエミール、ヨハネス、ニナ、キム、エマ

2012年、学生生活を終えてイギリスに本社があるインターネット広告会社で働き始めたのですが、日本で働くとどうしても心がギスギスしてしまって、心のうるおいが欲しくなり、なんとなくフィンランド語を習うことにしました。


【写真】ヘルシンキにあるアアルトが設計したアカデミア書店にて。

【写真】ヘルシンキで餃子パーティー

語学を勉強しているうちに、10年間にわたり公私ともに認める生粋のフランスびいきだったわたしが、初めてフィンランドを恋しく思うようになりました。優しくて思いやりのある人々、18万もあるといわれる湖と森で過ごす不思議な白夜の夏、ロジカルで文化的事象に精通しているユーモア溢れる友人、自由で夢のある教育、インスピレーション豊かなデザインやアート、日本も見習うべきところの多いジェンダー政策など、フィンランドの魅力にとうとう気づき(遅い)、「フィンランドの友人に会いたい、フィンランドにかかわる仕事をしたい!」と思うようになりました。

そしてその後、フィンランド関係の仕事(観光局、航空会社)に就き、フィンランドをよく訪れるようになりました。

出会った時は想像もしていなかったけれど、ニナと一緒に働くこともできました。

実は父はニナたちと会った半年後くらいに「みのとニナは一生の友だちになると思うよ」と言ったのですが、その時はそうなると思っていませんでした(←わたしはこういうのがとても敏感じゃない。笑)。でも特に2012年からはほぼ毎日何かしらのコンタクトを取って、ニナは去年から日本語を勉強し始め、今夏から日本に半年間留学する予定です。

【写真】ヘルシンキのコティハルユンサウナ。ビール片手に公道に出てタオル一枚で出て休憩する男女。このほのぼのさ、大胆さはフィンランドならでは!

※ちなみに「写真撮っていいですか~」と許可を取って正面からも撮らせてもらいました。全員快諾で素敵なスマイルもらいました!

【写真】北極圏を越えラップランドに行った時に出逢ったサーミの男性とトナカイ。トナカイは可愛くて美味しいです。もぐもぐ。

仕事で来るときにみんなで会うついでにエミさんもいたのですが、そんなこんなでみんなで遊んでいるうちにうっかり恋に落ち、なんとエミさんもわたしのことを好きになってくれたのです!(はしょりすぎ)

毎日数時間チャットやスカイプを重ね、ついにエミさんと住むために日本を離れてフィンランドで独立することを決意し、ヘルシンキに引っ越したのです。

エミさんは優しくて、ユーモアがあって心が綺麗なとても素敵な人です。こう書くと通り一辺倒ですが、エミさんに恋に落ちた時は抗いがたいほど衝撃的な感覚(その前にすでに4年間友だちだったけど)でエミさんを好きになりました。エミさんがわたしをどう思ってるかなんてのはどうでも良くて、わたし自身がこんなに強く人のことを大好きになれて、それだけでとても幸せでした。エミさんの幸せを毎日心から願っていたし、エミさんをとても尊敬して、エミさんのように心が綺麗でありたいとも思うようになりました。

エミさんが話すのはスウェーデン語、フィンランド語、英語で、わたしは日本語とフランス語と英語。英語しか共通語がない二人ですが、わたしはフィンランド語とスウェーデン語を、エミさんは日本語を勉強しています。きっとそのうち、マスターするでしょう…。十年後とかに…。

なんてったってエミさんのご両親が出逢った時は、お母さんはスウェーデン語しか話せず、お父さんはフィンランド語しか話せず、エマとエミさんが生まれてからもしばらくはエマが二人の通訳をしてたくらいなので、共通語が全くない二人がどうやって恋に落ちてどうやって会話していたかみんな謎に思ってるくらいです。でも二人は今でもラブラブでケンカをしたことはないそうです。わたしたちは英語があるのでコミュニケーションに問題はないのですが、同じ言語を話せても分かり合えないことも多いこの世界で、わたしはエミさんの母国語が分からないけれどエミさんの存在自体が大好きだし、エミさんもわたしのことをとてもよく理解してくれています。二人でいてもいつもとっても楽しいし心地が良いし、エミさんにとってはエミさんの友だちとわたしとみんなで過ごすこともできるのがとても嬉しいみたいです。


エミさんのご両親も天使かと思うほど優しくて、お姉ちゃんのエマも元から友だちだったけど今もとっても仲良くしてくれてます(お姉ちゃんといってもわたしの方が年上だが)。エミさんの友だちもクリエイティブで面白くて、とても思いやりに溢れた人ばかりで、すぐに仲間に入れてくれました、超ラッキーでした。フィンランド関係の仕事の時の同僚も今でも仲良くしてくれて、ここに着々と居場所ができているような気がします。日本の友だちとお米は恋しいけれど、この地に来て早2ヶ月、のんびりゆったり、でも冒険みたいな日々が続いています。

たま~にエミさんとケンカしたり、フィンランド語とスウェーデン語学習につまづいたり、魅力的なフィンランドの人々に囲まれて「わたしってクソやな」と自信を失うこともあるけれど、ここまで来たからにはしばらくここで生きていこうと思います。

フリーランスとしてフィンランドの観光系、美術館系で仕事をいくつかもらって収入を立てていますが、何かいい仕事あったらください!(笑)

それでは、Moikka!(もいっか!=またね!)



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