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第二の人生

毎日たくさんのことが起きて、たくさんの感情を掻き立てていく。2週間も歩き続けると、このカミーノ巡礼の800kmをつなぐ村々を含む広大なスペインの土地は、まるでそっくり丸ごと自分の親しむ土地になったような気がしてくる。わたしにとってスペインは、ただの外国、というわけではなくなってきている。毎日、あの顔やこの顔に出会い、再会し、目まぐるしく起こる出来事に振り回されている。あの顔やこの顔の多くは、あと1ヶ月もしたらこの土地から消える。でも一つ一つの命が一生懸命生きている。命を燃やしながらこの道を一歩一歩歩いている。

わたしたちもう200km以上も歩いてきたのよ、とロキシーが言った夜、わたしたちはGrañònの街に着いた。Rioja州の最後の小さな町だ。町の教会の中にある巡礼宿は巡礼者にマットレスと晩御飯、朝御飯を与えてくれる。値段はなく、自分で値段を決めて寄付の箱に感謝を表す金額を入れる。5日目あたりからこの日まで、こまごまとした小さな出来事が気になって気持ちが浮かなかったので、薄いマットレスを敷いてほぼ雑魚寝状態で寝る部屋や、朝から昼過ぎまで歩いたのちにやっと辿り着いたか否やシャワーを浴びて(もちろん共同の、冷たい水が出たり水量が乏しいタイプのシャワーを烏の行水よろしくサッと浴びる)、その後は汗だくの服を手洗いして、翌朝までに乾く見込みのなさそうなどんより空の下に干す、といったカミーノの「日常」にほんの少しげんなりしていた時だった。

この日もそれらの作業を終え、19時のミサに行き、宿に戻って晩御飯作りの手伝いをしたのだが、英語ができないイタリア人やスペイン人をはじめ、ロシア人や韓国人、カナダ人やフランス人と協力しあいながら50人分の食事とテーブルを用意するというオモシロ行事をこなしながらも、それも半分乗り気、半分はまだ気が乗らない状態でやっていた。

食卓のとき、目の前に座っていたフィンランド人とフランス人の男女の2人組と話す機会があった。フィンランド人のイルッカは50歳くらいの男性で、フランス人はシルヴィアという45歳くらいの女性。聞くと二人は英語ができず、さらにお互いの国の言葉も一切知らないという。それなのにウテルガで宿にあぶれた出会いから5日、ずっと一緒に旅しているらしい。そういえばミサの前に行ったカフェテリアでも二人がワインを飲んでニコニコしていたのを見たような気がする。

驚きを隠せないわたしにシルヴィアは、「彼とは共通の言葉はないけど、一緒にいるととっても心地よいの」と言い、わたしは「フィンランド人は静寂を愛するので、わたしの彼もイルッカみたいに静かなんですよ。話さなくても落ち着ける関係って心地よいですよね」と返した。二人はとても物静かで、だけどとっても素敵な雰囲気をまとった人々だった。少しするとイルッカはわたしにフィンランド語で話しかけ、シルヴィアはフランス語で話しかけてきて、しまいには頻繁に通訳を頼んでくるようになった。今までは全く必要を感じていなかったのだろうが、意思の疎通ができるチャンスがあるとなると色々言いたくなるのが人のサガなのかもしれない。また、フィンランド語とフランス語を通訳できる人は巡礼の地ではそこまで多くはないだろう。2人はこれを伝えて、あれを伝えて、とわたしに頼んでくる。ひゃー勉強した甲斐あったぜーー!と楽しくなってきて調子に乗ってしまっている自分がいた。このあと悲しいできごとが起こるとも知らずに…。

食事のあとは瞑想の時間がありますので、参加したい人は参加してください、というアナウンスがあり、まずは解散。シルヴィアと二人で瞑想の部屋の前で開始まで待っていたところ、シルヴィアが子どもの話を始めたので、「子どもは何人いますか?」と聞いた。シルヴィアはふふ、と微笑んで下を向いたので、わたしのフランス語が通じなかったのかな、と思い、もう一度わたしは「子どもは何人いますか?」と聞いてしまった。シルヴィアは目に涙を溜めて、何かを言ったのだけど、わたしはそれを聞き取れなかった。でも彼女が子どものうちの一人を亡くしてしまったことはなんとなくわかった。なんとか泣かないように、他の場所を見て何か面白いコメントをしようとしているシルヴィアを見て、わたしはどうしていいか全くわからず、同じように涙をこらえて笑いを作るしかなかった。

瞑想の部屋が開き、ドアの前で待っていた人々が部屋に流れ込んだ。その混沌の中、彼女とは少し離れた席に座った。そこは教会の中の秘密の部屋らしく、石でできた椅子が壁についていて、美しいキャンドルがいくつも灯され、階下には巨大なレリーフが煌々と照らされていた。まるで地下壕の宮殿を見つけたみたいに、秘宝のように黄金の大きなレリーフは輝いていた。シルヴィアの隣にはやっぱりイルッカが座っていて、暗闇の中でもシルヴィアの目には涙がたまっていたことがわかった。シルヴィアはどうにか意識を他にそらそうとしているようだったが、表情は暗く、またとても傷ついていた。

こんなにたくさんのフランス人巡礼者がいるなかで、英語のひとつも話せないシルヴィアがフランス人同士でつるんだり行動を共にしたりしない理由はここにあったのだろう。イルッカは何も聞かないし、言葉が通じないので巡礼の理由や過去や家族のことなど、何も話さなくても良い。それなのに、わたしは、余計なことを聞いてしまった。
どうして、想像力を働かさなかったんだろう。どうして、一度聞いたときに流されたとき、そのままにしておかなかったんまろう。どうして、楽しかった会話をこんな形でダメにしてしまったんだろう。

瞑想のあいだ、わたしはひたすら祈った。どうかシルヴィアの心が少しでも軽くなりますように。どうかシルヴィアが悲しみに暮れて涙する時間が、少しずつ短くなりますように。シルヴィアは、きっとそうしたくないのかもしれないけれど。ずっと悲しみの中にいることを、彼女は望んでいるのかもしれないけれど。そしてわたしはやっぱり醜い。何度消そうとしても、浮かんでくる願い。心のどこかで、どうか、シルヴィアがわたしを許してくれますように。と祈る自分がいた。

子どもを失うとは、どういうことだろうか、わたしは経験したことがないからわからない。でも、自分が死ぬことよりつらい経験であるだろうと想像する。そのつらさの度合いは想像に及ばない。この巡礼でたまに見かけるアメリカ人のある女性も、昨年息子さんを亡くし、巡礼をしているという。彼女は誰かと歩いたり、会話を楽しんだりすることはあまりない。ゴールを決め、歩きに熱中したり、どこまで遠くに行けるか自分との闘いを繰り広げているわけでもない。息子の名前を書いたポンチョを身につけ、空虚を見つめてゆっくり歩いている。話しかけても笑いはしないし、目を見て応答することもない。ある朝、歩いている彼女を追い越すときに一瞬声をかけたことがあるが、彼女の顔を見ただけでその後30分くらい胸が苦しくて、泣きながら歩いたことがあった。もしわたしが彼女の立場だったらどうするだろうか、とか、果たしてこんなところまで歩きに来れるだろうか、とか、彼女の耐えてきたつらさ、悲しみ、苦しみ、そしてここに来ることに決めた強さを想像し、敬意と同情の気持ちがどんどん湧き出てきて、もうどうしょうもないほど涙がでてきたのだ。ときに、なんて人生は苛酷なんだ。

瞑想の時間はとても素晴らしいもので、瞑想というよりは静かで特別な空間で少しばかり自分と向き合ったり言葉を交わしたこともない他の人々の人生や意志について少しばかり思いを巡らせる時間となった。最後にキャンドルを隣の人に渡し合い、今心に浮かんだことを言う、という時間があった。シルヴィアは何も言わなかったが、終わりに、ではそれぞれの巡礼がより良いものになることを祈ってハグをし合いましょう!とホスピタレイロ(教会の巡礼宿の人)が言ったとき、わたしのところまで歩いてきて、両手を広げてハグをして、何度もキスをしてくれたのだ。嬉しかったけど、ますます胸が痛くなった。きっとシルヴィアもずっと、わたしのことを考えていてくれたのかもしれない。胸がいっぱいで、シルヴィアに、変なことを聞いてごめんなさい、というタイミングさえ逃してしまった。言うべきか。言わないべきか。10分後には就寝、朝起きたら元気に話しかけよう、と思ったけど、朝見たら彼女の荷物はもうすでになくなっていた。

Grañònを出る朝、ウェンダリンと一緒に出発した。ウェンダリンはテキサスから来ている女性で、何度か宿がかぶって話したことがあり、この日の数日前には朝ごはんに誘ってもらってトルティーヤ(じゃがいも入りのオムレツ)をご馳走してくれたりととても話しやすくて思いやりに溢れた人だ。ウェンダリンとはこの後数日一緒に過ごすことになるのだが、山を歩きながらこの話をしたところ、「きっと彼女は何も話さなくても良い、言葉の通じない人といることを選んだけど、それでもあなたに話したかったんだと思う。彼女はきっと、感情をほんの少し解放する機会を必要としていたのかもしれない。キスして抱きしめに来たのはきっと感謝していたからだよ、だから謝らなくても、気にしなくても大丈夫だよ」と言ってくれた。

その後少し気持ちが楽になり、ウェンダリンと話し続けながら歩いた。久しぶりに晴れ間が見えた心地の良い朝で、人生や価値観や視点、過去のことや好きな文学の話など色々な話をした。ウェンダリンと話すと、どんなことでも前向きに、でもちょっとおもしろおかしく、そしてとても哲学的に盛り上げてくれるのでとても楽しい。年は20歳くらい違うけれど、キャーキャー話したりして笑い合いまくっている。2人で「今日は目的地を決めずにとことんゆっくり行こう」と決めてのんびり歩くことにした。

この日は久しぶりに晴れていたので、エミールが旅に使えるかもよ、とくれたミニプラスティック物干しにまだ濡れている洗濯した靴下などをぶらさげて、それをバックパックにかけて歩いていた。これをつけると必ずたくさんの人に話しかけられる。特に後ろから自転車で追い越す人々からは「ヒューヒュー!いいね!!」と大笑いされるし、同じ巡礼者からも写真撮っても良い?と各国の言葉で話しかけられる。この日も何回か声をかけられたが、次の村、Redecilla del Caminoの入り口に差し掛かったときには地元の男の人にも「きみ!!なんて素晴らしいんだ!ちょっと写真撮りたい!」と声をかけられ止められた。すると、その男性と一緒にいた別の男性がやって来て何か質問してくる。「フランス語はできる?」と聞かれたので、できます、と返すと「わたしの巡礼宿であなたの洗濯物を乾かすことができるから、15分くらい寄っていきませんか?朝食も出します」と言ってくれた。ウェンダリンに説明し、どうする?と聞いたところ、好きにして良いよ、と返ってきたので、お言葉に甘えて巡礼宿に行くことにした。徒歩10歩くらい(笑)の、すぐそこの巡礼宿はピンクの壁の綺麗な家で、オープンして2ヶ月という。めちゃめちゃ人懐こくて可愛い犬もいた。宿の主人はわたしの洋服を乾燥機に入れると、わたしたちをダイニングルームに招き、歌を歌いながら陽気にオレンジジュースを持ってきてくれた。ダイニングルームにはピアノやギターが置いてあり、本棚には心理学や記号学についての本や小説が置いてあり、「わたしはピアノを習い始めたばかりなのです!なにか弾けたらぜひ弾いてください!」と言い、クッキーやコーヒーなどをどんどん運んでくれた。わたしとウェンダリンがいくつかの曲をピアノで弾くと大喜びして宿の主人とその友達(わたしの写真を撮った人)の2人は大喜びして踊り始めた。その姿が本当にかわいくてわたしたちの心は何度も溶けそうになる。2人はスペイン語と英語とフランス語で色々話してきて、わたしたちも大笑いして大盛り上がり。あまりの盛り上がりっぷりに窓の外を行き交う人々や巡礼者たちは何事か、と中の様子を見てくる。わたしたちは飲み、食べ、歌い、踊り、話し、楽しんだ。朝の9時ごろ。宿の主人とその友達がまるで映画に出てきそうなキャラで、ウェンダリンとまるで映画の中に紛れ込んだみたい!と大ウケする。そのうち窓の外をいきなり白い馬が通り過ぎていき、ウェンダリンとさらに大ウケ。

ゆっくり行こう、と決めてなかったら断っていたかもしれないこのお誘い。宿の主人は、ずっと仕事も人生もうまくいかなくて、ひとりぼっちの人生だったけど、どうしてももう一度何かに挑戦して銀行からお金を借りてこの宿を始めたんだ!英語も去年から習い始めて、もっともっと宿を良くするために毎日勉強してるよ。昨夜はレンズ豆のスープを作りすぎて鍋から溢れだして大変だったよ…。今のところ一日6人くらいに来てもらえてて、それだけでもやっていけそう。10人来てもらえればかなり良い!もうひとりぼっちじゃない!セグンダ・ヴィーダ(第二の人生)さ!と言って、どんどん食べ物を出してくれて、満面の笑顔でわたしたちを送り出してくれた。乾かしてくれた洋服はほかほか、わたしたちのお腹は砂糖菓子でいっぱいになって、心臓が溶けちゃうみたいにスウィートな時間をもらった。

その後も小さな魔法みたいなことがたくさん起きたので、ウェンダリンとわたしはこの日をマジックデーと名付け、奇跡の起こるまま楽しむことに決めた。毎日色々な景色を見て、色々な人と出会い、色々な出来事に遭遇する。

この日を境にわたしとウェンダリンとイリーナは3人で行動を始めたのだけど、それもおとといで終止符を打ち、また考え事をするために一人で歩きだした。まだまだ巡礼の旅は続く。まだ半分以上、ある。

ウェンダリンとイリーナの話はまた今度。巡礼の旅はまだまだ続きます。


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