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【魂レベルの幸せ探求者へ】#1  ガンポンさん法話 日本語訳

目醒めた魂の居場所づくり

をしている

HIROEです!

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チャルーンサティ瞑想マスター

ガンポンさん法話を訳しました。


「悟りの境地へ」本物の瞑想マスター


日本人の精進している僧侶たち

菩薩心のある目醒めの道の探究者

光り輝く子供たちを育てている先生たち・親たちへ


真なる法話を受け取ってください!

byHIROE



元大学の体育教師だったガンポンさんは、

若干25歳の時、

友人の先生の水泳レッスンのお手伝いで

飛び込みの見本を見せている時に、

飛び込みを失敗し、

プールの底で頭を打って、

全身不随になりました。


タイ人ならではの、

将来は、得度して僧侶のトレーニングをしたら、

結婚しようと計画をしていたのですが、

一瞬にして夢が消えました。

すべてを失いました。

職、恋人、友人、そして健康もです。


それから、

ガンポンさんと家族の

苦悩の人生が始まりました。



全身不随でありながら、

寝たままで、手首の動きでSATI(意識)を育て、

真理を体験した瞑想マスターのガンポン先生の

魂の優しい言霊が、

タイだけでなく世界中に共鳴して、

健全者の魂の灯も点けています。


ガンポンさんがSATI瞑想でどのように

心を解放したかの法話は

どの人の心にも響き、

忘れることはないでしょう!


スカトー寺では、

訪問者はほとんど涙していました。

ガンポンさんに同情してでなく、

自分の苦しさの解放からです。


本音で聴き、話せる癒しです。

この動画の日本語訳#1(#1~2)です。


カムキアン和尚法話#1日本語訳

カムキアン和尚法話#2日本語訳

カムキアン和尚法話#3 日本語訳

カムキアン和尚法話 #4 日本語訳



ガンポンさんは、

カムキアン和尚の弟子です。




=ここからは、ガンポンさんのお話し=


カムキアン和尚、僧侶の方々に敬意を称します。

また、すべての方々の幸運を祈ります!


どなたが

DHAMMA(真理・ブッダの教え)に

興味があるのでしょうか?


本日ここで、

DHAMMA真理のお話ができることを

嬉しく思います。


普段はこのように人に話すチャンスは

ないのです。

お役に立てるお話ができるように

志しています。


私は障碍者でほとんどどこへも行きません。

家にいます。

なので、大した知識はないです。

ただ、自分の体と心のことは、知っています。


これらの様子を観察しています。


真実をお話しするつもりです。

まず、私に何が起こったかをお話ししますね。


私の人生・お話を楽しんでいただけると幸いです。


みなさんは、

どうして私が全身障碍者になったのか

知りたいのではないでしょうか?


これには理由があるのです。


ちょっと過去にさかのぼりますね。

22年前、私は大学の先生でした。

3年働きました。


水泳指導の時に、悪運は起こりました。


注意散漫で、不安定な状態と

姿勢で急いだため、

飛び込みに失敗しました。


プールの底で頭を打ち、

全身不随になったのです。


底に沈んだまま、

動くことができなくなったのです。


1人の生徒が、

私が通常以上に潜っているのに気づき、

救助してくれたのです。


そして、バンコクの病院に運ばれました。


医師は、私の第五頚椎が損傷のため、

神経に影響して全身不随になっていると

言いました。


その後、

全身不随障害者としての

人生が始まりました。


2回の手術をしました。


1つ目の手術は、損傷した部位の骨を、

別の骨でサポートしました。

物理療法4か月を受け、

自分で腕を動かしてみようとしましたが、

力がなくてできませんでした。


私の腕を見てください。

とても弱弱しいです。

手はほとんど動かせないです。

指はいつもこのように曲がっています。


首から足は全く動きません。

全身の感覚がないです。

痛みも感じません。

腕に針を刺しても痛みません。

腸のコントロールができません。

ほとんどベッドで横になっています。


時々この車いすを使います。

他人の介助に頼っています。

単に、

自分のことを自分で面倒見れないのです。


このような生活を24歳から、

22年間続けています。

今、46歳です。


最初はかなり苦しみました。

心身共にです。

まるで夢のようです。


この世に自分以上に苦しんでいる人は

いないと思っていました。


これは過去の話です。


仏法を学び、実践する前は、

一生こんな状態で生きていくしかない

と思っていました。


どのように、

私の人生を価値あるものに

できるのだろうか?


どのようにこの障害者としての人生を

意味のある生き方へとできるだろうか?


なにもしなければ、

何もおこらず、苦しみだけです。


だから、

私は、内的な居場所を求めました。


しかし、

見つけることはできませんでした。


当時の父は、私のことで本当に

つらい思いをしていました。

悩み事がつきませんでした。


苦しみの出口を

仏法、真理の学びに求めました。


沢山のお寺に参り、

たくさん仏法を学びました。


たくさんのリトリート

瞑想実践の場へ出かけていきました。


帰宅して、私に学びのシェアをしてくれるのです。

父は、私たち兄弟に良い見本を示してくれました。

家族にも良い影響を与えてくれました。


父は、この2月に亡くなりました。


父の教えに心を傾け、

思慮深く感じています。


私にとって本当に

意味があり、

価値がある存在でした。


父に教わった、仏法を学び、

実践しているときは、

苦しみが和らぎます。


横になって、

考えにふけり、

思考の思うがままになっているより

ずっと良いです。

これは時間の無駄ですから。


苦しみを乗り越えることができれば、

苦しみは自信の要因になります。


苦しみがなかったら、

仏法は必要なかったかもしれません。


それ以降は、長い間、

真理の本を読み、

法話を聞き続けました。


しかし、

まだ瞑想実践まではできていませんでした。


もし、読書で真実を理解できるのであれば、

既に私はかなり悟っているはずです。


読書に16年費やしましたが、

苦しみは以前と同じようにありました。



実践ができていないからです。



以前は、

私のような障害者は、

実践はできないと思っていました。


特に瞑想実践は、

座禅、歩行、横になる、立つ

4つのポーズがあり、

私は全くできないからです。


座禅も組めませんし、歩行瞑想もできません。

どうやって、

瞑想実践できるのでしょうか?


でも、とりあえず挑戦してみることにしました!

#2へ続く。。。。。











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