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No.015 心の体力は自分からは見えにくい。

たまに自分を過大評価してしまう。
こんにちは、mintchoc(ミントチョコ)です。

今日のお題は「心の体力」です。
身体的な体力は分かるのに、心の体力って、見えにくくないですか?

先日、前職場の関係者の方とお会いする機会がありました。
「mintchocさんのことだから、もう次に向かって進んでいるんじゃないかと・・・(うんぬんかんぬん)」
―――そうか、この人たちには、私はそう、見えているのか。

人前ではニコニコしていることが多い。
そのせいか、だいたいいつも穏やかに、元気にみられる。
自分に近しい人以外から、必要以上に心配とか干渉されたくない。
そんな理由でだんだんと身についた私の仮面。

でも、欠点もある。
長い期間をかけて築いたその仮面の悪い面は、
「自分自身もだませてしまう。」ということ。

退職してから、自分のペースで日常を送ることに重きを置いてきた。
退職当初は、感情も治まらない、食べるものも治まらない、ごく普通の日常の生活を送ることさえ、なかなかにハードルは高かった。
やっと2月に入って、自分の時間軸のようなものに「やっとうまく乗れてきたかな?」と感じ始めているところ。
感情の起伏も以前よりは穏やかになり、食べるものも暴飲暴食からは脱することができた。
ただ、それ以外は「なにもしていない」という感覚。
もっとあれもこれもやりたいことをやっていきたいんだけど、のんびりしてしまって、怠けているという感覚。

でもほんとうは違うんだよね。
「なにもしていない」んじゃなくて、まだ「何もできる状態じゃない」。

「怠けてないで、なにかしなきゃ」って焦る時がある。
もちろん怠けていてなにもしていない、という時もあるけれど、
一歩立ち止まって「ほんとに?」って思ってみてもいいのかもしれない。
それほどに、心の体力は見えにくい。
自分のことなのに、「怠けている」、「もう動ける」と勘違いする。
でもほんとは「まだ動ける状態じゃない。」

「仕事関係の人と会った事」が私に与えたのは、過度なストレスによる身体的影響だった。
睡眠が浅くなる。急な動悸がする。空腹が分からなくなる。感情の浮き沈みが激しくなる。必要以上に自分が怠けている感覚を襲う。
一か月かけて頑張ってきたことが3歩くらい後退してしまった。

会ったことには後悔はない。
「話がある」というのであれば、全部聞いたうえで、自分の選択をする。
社会に出たときから、私が大切にしていることの一つだから。

ただ、今回は心の体力が自分で分かっているつもりになっていた。
必要以上に落ちていることに私自身が気づけなかった。
「もう動ける」と勘違いしてしまった。

みんなは、どうやって、自分の心の体力を把握しているんだろう?


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