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港区女子から見た自由が丘

偉そうに、元・港区女子が!……と言われそうですが。今日は思いっきり上から目線で、地元・自由が丘を語ってみたいと思います。 

中高生時代と結婚前のおよそ10年間、港区の住民でした (パパ活や”いただき“をする女子じゃないです!) 。中高は学校も港区だったので、遊びに行くといえば週末なら銀座。平日は目黒・品川、そして渋谷でしたね。

当時の渋谷は、他の街と比べたら素朴なイメージ。東急本店(当時)か西武デパートで、ショッピングやおやつ(といってもガッツリ食事系)をしてました。

バス乗り場には、私たち港区女子のグループを待ち受けている近隣私立の男子グループが……。彼らの狙いはたいていC子。小柄で目鼻立ちのクッキリしたアイドル・タイプでした。

C子には本命がいて売約済みなので、「付き合ってください」と言われても断っていました。決まり文句は「他にもっといい人がいるでしょ?」 

あぁ、人生で一度でいいから、そんなセリフを言ってみたいものです……。

話が逸れましたが、渋谷から更に東横線に乗って10分ほどの自由が丘。お隣駅の田園調布が母の実家です。祖母は私が遊びに行くと「自由が丘で好きなおやつ買ってらっしゃい」と、お小遣いを渡してくれました。

私はピーコック(現イオン・冒頭写真)で輸入もののポテチとか、モンブランでクッキーなんかを買って帰り、祖母や叔母とおしゃべりしながら食べました。 

小学生の頃に近所の駄菓子屋さんに通っていたのと同じ感覚です。お散歩がてら白金の明治屋におやつを買いに行く中学生の港区女子からしたら、自由が丘はひなびた郊外に見えましたね。

だけど大好きでした。結婚してからは、ずっと自由が丘に住んでいます。

こういう普通のセレクトショップが好き。お向かいは子ども服のプチバトー。

そんな街になぜ全国から人々が押し寄せたのかというと、おそらく事情は第二次大戦の終戦後に遡ります。自由が丘はかつての闇市で、よく情報が集まっていたのでしょう。

マスコミにもパイプがあったはずで、広報手腕がその頃から培われたよう。’90年代には青山を凌ぐほどのハイエンド認定。いつの間にか新規出店のテストマーケット地になっていたのは、ご存知の通りです。

JK時代の港区女子から見ると、セレブな住宅街に小さなブティックやカフェが点在していた原宿(当時)のほうが、100倍オシャレでしたが……。

大学生になっても、東横線沿線なら大人な雰囲気で人気が出始めていた代官山の方が、100倍オシャレだと思っていました。

田舎町のはずの渋谷が突然ブームになったのは、この頃です。パルコができた影響でしょうか。郷ひろみさんのヒット曲(1976)に「渋谷で買った〜♪」の歌詞が出てきてビックリ。庭にしている街の名が全国放送で歌われていたら、ギョッとしませんか?

ターミナル駅の渋谷が名所のようになったことも、自由が丘の知名度に貢献したのかも。渋谷から足を伸ばせる街ということで、元々の客層は主婦中心だったのが↓、若者の街になっていきました。

娘が小さい頃にはまだバブルの余韻があり、自由が丘ではチルドレンミュージアム(当時)のブランドものの子ども服が大人気。よくセールの列に並んだものです。

バブルが去ったあとはモツ鍋店やら屋台ふう居酒屋など、時代に即した出店が話題になっていました。変化に強い理由は、やっぱり商店会(商店街振興組合)さんの結束があるからではと思います。

結婚した当時には幼馴染のRちゃん夫妻が自由が丘の中心地に住んでいて、お祭りやイベントの際に商店会のお手伝いをしていました。皆さま、とっても仲が良かったし。   

娘がお世話になった保育園では、バザーの度に商店会さんから焼き鳥のバーナーなどをお借りしていたのも、楽しい思い出。

私はその頃、代官山の音楽事務所に勤めていました。繁忙期には東京タワーの灯が消えるまで働いたり、ショーの現場で午前様もザラ。帰る方向が同じだった社長や先輩に車で送ってもらい、話し足りない時にはラズヒルことラズベリー・ヒル(当時)が定番でした。

新宿や渋谷と違って夜が早い自由が丘は、さすが元祖・主婦層の街。7時8時には多くのお店が閉まり、飲食店も例外ではありません。

ラズヒルはロータリー近くにあり、珍しく12時過ぎまで開いているカフェバー。ファミレスを豪華にしたような明るめの内装で、深夜族の憩いの場でした。

おサレなカフェはマダム御用達の立田野に変わってた。「19:00閉店のカフェってないよね」と思っていたら、やっぱり……

変化はあれど、娘が高校生ぐらいまではまだまだ昔の面影が残る街でした。うちの食いしん坊の愛犬(1996-2007)にとっても、自由が丘はおやつスポットがいっぱいのお気に入りお散歩コース。

自由が丘駅北口前にあるスタバは、元は時代がかった衣装屋さんだったんです。スタバになってからしばらくは空いていて、犬と私が外から覗いていると、店員さんが出てきておやつの注文を取ってくれました。

混むようになってからは、犬を柱に繋いで店内へ。寂しがって鳴く犬を、風俗の呼び込みのおじさんがあやしてくれました。

つるつる頭のおじさんは、いつもかがみこんで犬と目線を合わせました。「いい加減にしろ」と言いながらも、嬉しそうにうるさい犬の相手をしていました。 

向かいの天ぷら屋さんの女給姿の店員さんたちにも、犬は人気がありました。しばらくぶりに行くと飛び出してきて、「来ないからどうしたのかなって話してたのよ」と言われたりしました。

犬が亡くなった後、呼び込みのおじさんに報告に行きました。黙って聞いていたおじさんは、真面目な顔で一言「また犬飼うの?」と。

「ううん、二度と飼わない」と答えると頷いて、「それがいいよ。俺も犬飼ったけど、その後は飼わない」と。初めて聞く話でした。

駅裏のあのあたりは今ではソフィスティケイトされて、もう怪しげな風俗はないよう。おじさんもいつからか見かけなくなりました。

消えてしまった懐かしいあのお店、このお店。だけど瞳を閉じれば、娘や犬と歩いたあの光景が、今もありありと瞼に浮かびます。

時代は個性重視になり、皆が皆自由が丘に殺到するということはなくなりました。「閑散としている」なんて言う人もいますが、港区女子に言わせれば「元に戻っただけ」。いっときはモンブランのクッキーなんか順番待ちが酷くて、とても買えませんでした。

それでも、外から来た人はひと目でわかります。オシャレだから!

完全スッピン、本日の自由が丘おでかけスタイル。ショルダーはカルディのエコ。5/14までセールで店内全品10%オフです!

私たち地元民はラフな普段着で、変わり映えのしない古株のお店に行きます。たまに新しいお店に入ってみて接客が親切だと「やるなぁ」と感心しますね。

ダサい地元民をバカにしないとは、マーケティング・センスが秀逸。

自由が丘の話を夫とするときは、「あのお店、まだあるのかな?」が枕詞。それぐらい、気がつくと別のお店になっているのが日常茶飯事。

ですが、どんなに変わっても、自由が丘は自由が丘。お高い港区女子がホッとくつろげる、心のふるさとです。 

近いうちに、またぜひおいでくださいね。きっと新しい何かがみつかるでしょう!