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夢と目標と、そして仲間と進むこと…

50代後半、小さな目標(マイルストーン)を達成しながら、夢に向かっている。
どんな風にして夢や目標が生まれていったのか。


中学生の頃から夢や目標に向かっていた

赤毛のアンが大好きで、アンのように夢見がちでぼんやりするのが好きだった。ただ一人でぼんやりし過ぎて、自分とは何ぞや自分を大切にすることがまるで分らず、目標を持ち、それに向かって努力をしなければならないことを高校生になってようやく気が付く。
努力して達成することは面白い事だった。
ただ反動も大きくて、大学生になってからは、バイトをして海外に行くことばかり考えていた。
先の事はあまり考えられなかった。
思考力が乏しかったのだと思う。

救いとなったデザイン仕事

アメリカ短期留学をしたり、中国語学留学を経験し大学を卒業。
なんとなく営業事務や貿易に携わり、社会人に慣れた頃、大好きだった兄が亡くなった。
それから自分の人生の長さを考えた。
やりたいことをやらないと悔いが残る。
同じ仕事をするなら、向かない事務仕事よりもデザインの仕事をやりたい。
そして夜間スクールに通いながら、紆余曲折してデザイナーに転職。

日々に追われて、夢も目標も持てない時期

結婚し出産のために仕事を辞めた。実家は共働き家庭だったため、家庭の主婦にとても憧れていたので全く未練はなかった。
しかし、家庭の主婦という立ち位置は私には向かなかった。どうも自分はワタシを分かっていなかった。
離婚を経て、小さい息子を養育するため追われる日々。
ちょうど両親も他界し、日常に頼る人もいない。
50歳手前で正社員として転職できた職場。昭和的な閉塞感のある職場だけれど面白いデザイン仕事ができる。しかし男社会な職場。このままでいいのか、養育する子供のため、理不尽だと思っても仕事だけは何とかこなす日々。

コミュニティの出会いがもたらした新たな展望

コロナ禍で、ふと見たweb記事から知ったコミュニティ。
そこからスポンジの如くいろんな事を知っていく。
アサーティブコミュニケーション、
ミッションステイトメント、
習慣化、
日々の運動、
日常の延長線ではなく逆算して自分の人生を考えていくこと、
そして目標のようなマイルストーンを設定していくこと。
目から鱗が何度も落ちた。
ブレインロックもバリバリと剝がされていく。
高校生以来、たくさん本を読むようになった。
高校生以来、夢や目標を持つようになった。


最近、横浜国際マラソンに参加し、10キロを走ってきた。
年に一度、マラソン大会に出るのは私の目標だ。
以前の私には考えもしなかった。

マラソン?走るなんて面倒。

今は面倒でも何でもない。
平日約30分歩いている。
それはバス通勤の区間を歩くようにしただけだ。


平日朝に早起きをして、3Dで映像を作成している。

早起き?とんでもない、いくらでも眠たいのに無理無理。

今では何でもない。
早起きは習慣だ。
そして少しの時間でも何かすることが小さな自己肯定感にもなっている。0.2%、いや0.1%かもしれない。でも進んでいる。何かを作っている。

何なんだ、この変化は・・・


それは仲間の力。
そして仲間が増えれば増えるほど、興味も増してやりたい事も増えていく。
夢や目標は、まるでバイキングの御馳走のようだ。

その先は何だろう。

プライオリティなのか、選択する技術なのか。
その先は自分を知ることなのだろう、と現在の私は思う。

自分の伸び代はどこら辺なんだろう。
自分の可能性を知りたいから、興味ややりたい事はなり振り構わず増えていく。
かまやしない、私の人生だ。
そして、共に歩んでいる仲間の夢や目標を応援している。
共に進むから楽しい、
共に進むからワクワクするんだ。

そんな記録をこれから綴っていきたい。



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