息子の生い立ち 続き
息子は医療処置が必要になりましたが主人や下の子はじめ周りの方の協力のもとに毎日が充実した日々を送っていました。
大腸の一部を切除した影響でひどい便秘になってしまい成人の使うサイズの量の浣腸液を使い、毎日浣腸を行って居ました。
ひどい時には専用の器具を使い洗腸までしてました。時には、2時間以上かかり、1日に3度も浣腸をすることもありました。
今、思い返してもこれは本当に大変なことで親ながらかわいそうだなと感じ、代わってあげたいことの1つでした。
普通にお通じがある事はとても有難いことなんだと思います。日常的の中で家で兄弟でお風呂に入れる事、家族で過ごせる事がなんて幸せな事なのだろうと思います。
息子が6歳になる頃、笑うと口角が片方しか上がらず不自然さが気になりリハビリのため通所していた病院で検査を受けました。
検査の結果、脳に腫瘍ができていることがわかりました。寛解してから4年以上経ったので再発しないだろうと安心しており、まさかとの思いがあり頭は真っ白、崖から真っ逆様に突き落とされたようでした。
帰りに食事に寄ったファミレスでは食事が喉を通らなかった事は今でもよく覚えています。
癌の検査のために通院していた病院で再検査し前に膀胱にできたものとは別のガングリオブラストーマという悪性脳腫瘍ができていました。
後日入院し、抗癌剤治療し腫瘍を小さくし手術しました。しかし、腫瘍をとっても顔面麻痺はが治らず詳しい検査をしました。
結果は左内耳から前と同じ横紋筋肉腫ができていて顔面神経を圧迫し顔面麻痺が起きていたのでした。
先に切除したガングリオブラストーマとは別の腫瘍がで発生しており考えられないことでした。何と言っても辛かったのはいつも穏やかで笑ってることが多い息子が耳の痛みのためベッドの上でのたうちまわり痛がることでした。
七転八倒とはまさにこのことなんだろうと思いました。息子は言葉が話せなかったので、痛がってもどこが痛いのか中々わかってあげられずとても辛かったです。
この酷い痛みに対しては点滴から鎮痛薬を投与してもらいました。
手術で取りきれるだけ取った後、確実に病変部位の治療を受けるために型取りしたマスクをつけて固定、睡眠薬を飲ませて放射線治療をしていました。
抗癌剤と放射線が功を奏して腫瘍は一時退縮して主人一緒に喜んでいましたが、悲しいことに腫瘍が進行してしまい再手術することになってしまいました。
医師から再手術後の治療はとても厳しくなる、内耳にできた腫瘍が骨も破壊し進行し、左耳は聞こえていないだろうと説明がありました。
1クール毎の治療説明を受けるときは毎回緊張し、不安な気持ちでした。
2回目の手術を受け息子の傷は1回目と同じところにメスを入れており傷が塞がっていても傷跡が盛り上がって瘢痕を残し痛々しい姿でした。
さらに首の安定性を欠きグラグラするようになりました。息子を抱く時や座っている時は枕や手で支えていました。2回目の手術後、息子は消耗し元気がなくなってしまいました。
さらに痩せてしまい栄養状態も悪くなり体力も落ちていきました。寝返りもうてなくなり気をつけていましたが、体と耳に褥瘡ができてしまいました。
入院生活では外泊もしながら治療していました。最後の外泊では、癌の進行により下肢に力が入らなくなり嚥下機能も落ち食事も飲み込み悪くなってしまい、おかずはやわらかくし、ミキサーにかけたものを食べさせていました。
最後の抗癌剤治療で新薬を使いましたが治療の甲斐無く天国に旅立ちました。
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