徒然は最高だ。#21

震災から10年。いま思う事。

関東は少々風は吹いていたがお日様に恵まれた今日だった。
宮城も晴れていたようでいよいよ春に季節が変わる準備の時なのだなと感じたうららかな1日だった。

10年前の今日。
私は都内の会社のビルの14階にいた。
ほぼ予兆もなくいきなりきた揺れはいままで経験したそれとは全くといっていいほど違うものだった。
幸いな事に頑丈なビルだったため、特に大きな被害もなかったが自らの身の安全が確保できたあとの心配は宮城で暮らす家族の事だった。携帯は一切通じなかったため、同じ宮城出身の知り合いと公衆電話に並んだ事を覚えている。
その後被害の全貌がどんどん明らかになり、未曽有の大災害が日本に牙を剥いた事を知るのであった。

災害から時間がたつと、いろんなソースの情報の中で時間の概念を絡めて語られる事が多くなると感じる。
「もう10年」とか「まだ10年」とか…でも被災した人たちからすれば時間が解決する事はごく一部であり、その方たちが抱えているもののほとんどは時間が解決してくれない。
これほど辛い事があるだろうか?

そういう絶望的な未来を考えながらふといまの現状に目をやると、災害の爪痕が癒えていなくとも、風はそよぎ、鳥はさえずり、子どもたちは走り回っている。
何かを抱えながら生きていくと言うことは人間に課せられた使命なのかもしれない。
それであればいま悲しみにくれる人たちに私たちが出来る事は何なのか?
いまの未熟な私にはその答えを出すことを出来ずにいる。

人の心に寄り添う事はそうそう簡単に出来る事ではないが、この絶望的な「いま」を一つずつ積み上げながら生きていくのが我々に課せられた使命なのであれば、その記憶を常に心に置いておくことで、その重い荷物を少しでも分け合いながら生きていければと思う。
自分たちが災害と真に向かいあった時に何が出来るのか?何をするべきなのか?
それを真剣に考える機会とするべきなのかとも思う。

自分の故郷が今日より明日、明日より明後日、少しでも元気に笑える時間が増えていく未来がくるように自分に出来る事を積み上げていきたい。

この大事な日にそんな事を思ったのである。


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