道の駅のうどん屋で「正義」について考えさせられた(2)
おれと友人の榎木は、その道の駅のうどん屋に毎週のように通い詰めていた。
フードコート形式になっていて、その並びにある他の店舗も良さそうなのだが、気がつけばうどんの食券を買っている。
それくらい、このうどん屋にはまっていた。
その日、おれはカツカレーの単品を注文した。価格設定的にこれだけが妙に浮き上がっていて、それはつまり相当の自信があるのだろうと予想されていた。
やがて食券番号が呼ばれ、待ち焦がれていたカツカレーがおれのもとに現れた。そいつは期待を裏切らなかった。スプーンを口に運んだ手の力が、ふにゃふにゃ抜けていく。
……まさに絶品。
柔らかだが存分に肉々しい歯応えの豚カツ。軽やかに、さっくりと揚がっている。そして濃厚な黒カレーとふっくら白い飯。その3プレイヤーズセッションがたまらない。おれの口腔内でジャジーな喜悦がスイングした。
「ううむ」
おれは唸った。
「むむう」
榎木の頼んだ鳥天丼セットも、負けずに美味いらしい。その榎木の唸りに、おれもまた唸り返す。
「……ううむ」
「うむむ……」
互いに唸り続ける、ふたりの三十男がそこにいた。
しばらく食後の余韻に浸っていると、辺りはいつの間にか混雑していた。
連休のなか日だ。混むのも当然だろう。昼近くになって、道の駅全体が賑わい出したようだった。なにかイベントでもあるのかもしれない。
フードコートの各店舗にも客が溢れている。
うどん屋の厨房でも、例の太った店主が目が回るような忙しさに見舞われていた。急に来たラッシュに、さすがに対応が追いつかないようだ。無理もない。この店は、完全なる彼のワンオペなのだ。食券カウンターにも次々と注文がたまっているようだった。
「おなかすいたー」
舌足らずな声で空腹を訴えながら、小さな女の子がそこらを走り回っている。休日で家族連れが多い。
店の人間は忙しくて大変だろうが、それも商売繁盛。けっこうなことだ。
下げ膳をして、おれ達は出口に向かった。
その途中、榎木が後ろを振り返って、そのまま動かない。なにかをじっと見ている。
「どうした」
「なんだ、あれ」
榎木の視線の先、客の男が、うどん屋の店主に口汚い言葉で絡んでいた。
「ねえ、さっきから舐めてんの? 舐めてんべ、完全に。ざけんじゃねえぞ、コラ。お前、聞いてんのか。なんか言えや」
その口調は、もはや恫喝だった。
店主にしつこく絡んでいるのは、おれ達とほぼ同年代と思しき男。服装や仕草に、たまらない北関東ぽさが漂う。全体的に「むかしちょっとヤンチャしてました」とでも言いたげな、つまりは、ここら一帯地域の男としてごくごくありふれているスタイル。標準的典型的な元ヤン野郎。一山いくらの逸脱メンズ。それに違いない。
一方、うどん屋店主の目は完全に泳いでいた。
しどろもどろに「うう、ええ、まあ、その、はい、それは……」と消え入りそうな声でぼそぼそと。
丸々とした顔を歪ませて脂汗を浮かべている彼は、厨房でひとり奮闘する自信に溢れているあの姿とはまるで別人のようだった。
彼は本来立つべきステージから引きずり降ろされ、不当に辱められていた。
元ヤン野郎はそんな店主の様子にマウンティング、小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
「なにビビってんの(笑)」などと、さらにしつこく絡み続ける「あのさ、おれが頼んだセットのは、けんちんうどん。これ、きつねうどん。あきらか違うでしょ」
その文句の具体的内容を耳にして、おれはちょっと驚いた。
そんなつまらない間違いを得意気に追求して責め立てている、こいつは一体なんだ。こうして店主の時間を拘束している間に、余計にまたフローが滞る。お前は、なにがしたいんだ。作り直してもらうなら、そう頼めばいい。それだけの話じゃないのか。なにをそんなに主張する?
「見れば分かるじゃん。変にごまかしてもらいたくないわけ。おれ、そういうキャラだし」
ああ、潤滑に回るべきオペレーションが、不当に停止されている。この元ヤン野郎のせいで。
ゲームに例えるなら、こんな客は落ちものパズルの妨害ブロックだ。さっさと消えてくれ、おじゃまぷよ。スムーズな連鎖がおれの信条なのだ。
おれは以前、都内の小規模ビデオ店で深夜レジをしていた。そのとき出くわした理不尽なクレーム客の広角泡を飛ばす口元。その応対によって貸し出しと返却の両方が停滞、狭い店内に溢れる客の列。まるで失敗したテトリス。
それらの記憶が瞬間的に思い出されていた。
「パパ、なにしてるの?」
さっきから辺りを走り回っていた女の子が、野郎の側に来て声をかけた。元ヤンパパは幼い娘にわざとらしいくらいの柔らかい笑みを向け、
「このオジサンがね、間違ったことしてるから、謝ってもらおうとしてるんだよ」
優しく言い聞かすようにそう言った。
「……な、だからさ、まず謝ってよ。そっちが悪いんだから。おれら客だよ? 金払ってんだからさ。まず謝って。ちゃんと誠意みせてよ。こんなの子供でも分かる話だって」
再び店主に向き直った野郎の言葉を最後まで聞かぬうち、おれは憤然としてそこに歩み寄っていた。
「……さっきから、何様のつもりなんだよ。お客様か? その得意げなカスタマー面、マジで鼻につく。お前のどこが正しい。 その根拠は、少しばかりの金を払ってるっていう、ただそんだけだろうが」
おれは一息にまくし立てた。
まったくもって同じような台詞を、かつて出向先のオフィスでも吐いたことがあった。いっときシステムエンジニアをやっていたことがある。色々と我慢がならないことが多く、そして最初からあまり我慢をする気がなかったのかもしれない。
気がつけば、そうした我慢を要求されるような枠組みから、おれはすっかり放り出されていた。
「そのスカスカな頭に下らねえ正当性プリインストールしやがって。そのクソ仕様、おれにプレゼンしてみせろ。即却下だ。ド低脳クソ野郎め」
そしてゲロのような暴言を、怒りとともにまたぶちまけている。
いつしか舞い戻っていた寂れた地元。4号バイパス沿い、道の駅の食堂でクソを相手にゲロを吐く。
こんな吐瀉物も二度目なら、淀みなくこの喉を通っていく。
「……は? なんなの? あんた関係ないだろ。なに勝手にキレてんの? ねえ殺すよ? 逆に? マジで」
いきなり現れた見知らぬ男の暴言に一瞬固まったが、その人相風体から見て勝てない相手ではないと、どうやらこいつは踏んだらしい。
その打算が透けて見えるような分かりやすい表情の変化をみせて、クソ野郎はおれに凄んできた。
おれの頭には、より一層の血が上る。
おれと野郎は、たちまちつかみ合いになっていた。
「おい、やめろよ。落ち着けって」
榎木が駆け寄ってきて、後ろからおれを羽交い締めにした。そして相手から少しでも引き離そうとする。
「ユーヤ、そんな奴やっちゃいなよ」
女の声が聞こえた。おそらく野郎の嫁だろう。恐ろしいくらい頭の悪そうな声だ。
「おお、やってやんよ」
妻のその声援に応え、いきってみせる元ヤン旦那。
バシッ。
突然の衝撃が、無防備なおれの顔面に加わる。
おれが榎木に引っ張られて、互いの身体が離れるタイミング。
そこを見計らって、クソ野郎がおれの鼻先にパンチを食らわせた。
瞬間的な痛み、それからジンジンと痺れるような感覚がたちまち広がる。
「ちょづいてんじゃねえぞ、コラァ」
少し離れたとことで、こちらに凄んでみせるクソ野郎の姿。それが滲んで見えるのは、痛みによって涙が自動分泌されているからだ。
「ユーヤ、いいパンチ!」
スポーツの声援のようなクソ野郎嫁。
「……大丈夫か?」
おれの耳元で榎木が囁く。
アドレナリンが分泌されているのか、あまり大した痛みは感じない。しかし大げさなくらい鼻血が出ている。手の甲でそれを拭う。
その血の熱さに、おれは激昂した。
「……死ねェェェェ!」
叫びながら、おれは野郎に向かって真っ直ぐに駆け出していった。
急激に、そして大量に分泌されたアドレナリンの効果によるものか。時間の流れにエフェクトが掛かって、リアルタイムスロー再生が始まる。
——騒ぎを起こしたおれ達の周りを、野次馬たちが囲っている。そうして形成された空間は、まるでリングのようだ。流血沙汰を非難して眉をひそめるようでいて、さらなるなにかを期待している表情の無責任な連なり。視界の端に、それらが確認できた。いいぜ、モブども。その期待に応えてやろう。もうゴングは鳴った。鳴らしたのは、どちらかといえば奴の方。まあ見ていろ。あの野郎を、いますぐ砕いてやる。——おれの足が地を蹴って、身体が跳ね上がる。それから今度はもう片方の足の裏、地を踏みしめぎゅっと掴んでから強く蹴り出して、再び跳躍。その運動の連続に伴って、視界を占める相手の姿が拡大される。クソ野郎との距離が詰まっていく。——いかにもダサいサーフブランドの紺色ロンT。同じようなものを、中学の頃おれも着ていた。それもしかして新品で最近買ったのか。あの店、まだ大池通りにあるのか。マジかよ。——勝ち誇ったような表情のまま野郎がこちらに目を向ける。意外につぶらなその瞳の奥の、鈍い輝き。そこに焦点が流れ込む。アドレナリンにドーパミンが混合、クロックアップして引き延ばされたタイムラインの、さらに細かく刻まれたその刹那のこと。相手の意識がこちらに逆流入してくる。
……ここは私鉄沿線。最前線。
準急停まらぬ駅近くの安造りアパートの外装。駐車場にはローンで買ったワンボックスカー。玄関入ってすぐの台所。冷凍食品のたこ焼きとオムライス、土曜の昼はいつもそれ。最近のインスタント、マジ馬鹿にできない。でも嫁のパスタだって、まあ普通に食える。大親友の彼女のツレだったお前。でもその大親友にはしばらくずっと音信不通。本棚にはONE PIECEが並ぶ。居間に転がってる1クール前のプリキュアの玩具。ガキは無邪気で可愛いもんさ。週明け早番出勤マジ怠い。下の世代は職場の礼儀を知らねえ。それでもこうして、家族三人生きていく。あらゆるものに日々感謝、マジ感謝、ときには顔射。ガキが寝てる間に。ときには浮気。おれだってまだいけんだぜ。風俗付き合えねえんじゃ、仲間内で男も廃る。でも滞りなく愛ってやつは、ここにある。
……レペゼン、家賃四万五千円。
そのとき脳を浸したこれらのイメージは、ある層に対するおれ自身の偏見に満ち溢れていて、つまり一方的な侮蔑を込めて自分が作り出した類型的妄想に過ぎなかったのかもしれないが、やはりそうではない。
これは真実、眼前に迫った野郎の意識が流れ込んできたものに違いない。思えば、すでにおれのなかの因子が目を覚ましていたのだろう。
「……らあァァァァ!」
加速する勢いのピーク点で踏み切って、おれは飛んだ。
空中で上体を倒して両足を揃え、蹴るというより身体ごとぶち当てるような攻撃を標的に繰り出す。
つまりドロップキックだ。
着地のことなど考えていない。全身全霊を持って対象を粉砕する。おれの破壊衝動が、クソ野郎に直接ぶち当たる。
その瞬間から、タイムラインは通常速度で再生される。
おれのドロップキックは胸板にクリーンヒット、野郎は大袈裟なくらい派手に吹っ飛んでいった。同時におれは落下。やはり受け身は取れず、腰を地面にしたたか打ちつけた。
「ユーヤ、しっかりしてよォォォ!」
おれはしばらく立ち上がれない。だが野郎も起き上がってはこない。倒れている野郎のかたわらで、嫁が金切り声を上げている。その様子からしても、かなりのダメージを相手に与えられたようだ。おれの暴力衝動は満足な結果を得て充足された。
「大丈夫か?」
榎木に助け起こされ、痛みが響く腰骨をかばいつつ、おれはなんとか立ち上がる。
「……待ちなよ」
野次馬を押しのけてその場を去ろうとしたおれたちの前に、クソ野郎の嫁が立ちふさがった。
ヒョウ柄のフリースにスウェットのズボン。安っぽい茶髪の前髪をクリップで留めていた。部屋着のまま外出してきたようなその格好は、実際に目にする前から想像がついていたものと同じだった。
絵に描いたようなヤンママだ。
「ただで済むと思ってんの?」
ただ想定外だったのは、そのヤンママが当たり前のようにポケットから刃物を取り出したことだ。
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