恋を知らないきみに私はキスをする
0.プロローグ
「あかりくん。申し訳ないんだけど呼び込みしてくれるかな?」
テーブルを水拭きしていると店長さんから声を掛けられる。私は手を止めて、はーいと振り返る。
「えー? 呼び込みですか?」
「そうなんだ。ほら、今の店内ってこうでしょう?」
「あー……まぁ確かに」
さっきまでは空いていた席が少なかったけど今では空いた席が散見される。私は見回してから少し考える。クラスメイトや友達たちにはここでバイトしてるのは教えてはいるけど、制服はとても可愛いメイド服。しかもバイト先であるここは女性が気兼ねなくいられるためにというカフェだ。それに店長さんの言葉だから私は頷く。
「分かりました。チラシはありますかー?」
「ありがとうあかりくん。チラシはこれだけど、くれぐれも気を付けて」
「はーい! いってきまーす」
「行ってらっしゃい」
チラシの束を抱えてお店を出る。カランとドアベルがこれからの出会いに祝福してるようだった。
1.恋人のフリ
チラシを配るなら多分駅前の方が良いかもと思って駅前の広場に立つ。
「喫茶わるきゅーれのチラシでーす! 女性喫茶店なのでどうかご来店くださ〜い!」
あんまり張り上げたことないけどここは頑張って声を上げて通りかかる女の人に向けてチラシを渡していく。
────そういえば何時に戻ってきてとか教えてもらってなかったなぁ……。
そんなことをふと思いながらチラシを配っているところでナンパされた。
「あれ〜。お姉さんめっちゃ可愛いじゃん。どうどう? これからウチらと遊ばん?」
「え、いや……嫌です」
「まぁまぁ、そんなこと言わずにさ〜」
チラシを持っていた左手首を掴まれた時にゾワっと悪寒がした。
「はっ、離してください!」
咄嗟に声を張り上げて手を振り払う。距離をとってキッと睨む。そんな時だった。
「片桐さん。お水買ってきたよ。水分補給はしっかりとやっとこ」
「な、なんだよお前」
「……ぁ」
私とナンパしてきた人の間に割って入るように男の子が来た。彼はクラスの子で……そして私は覚えてることがあった。でもそれはこの子は知らないことを私は知ってる。だってあの時とは違う見た目だから。
「何って……ツレ何だけど。まぁ良いや。行こ」
「あ、う、うんっ」
「はっ? おい、待てって!」
私の手を引いて足早で駅前広場から離れる。少し後ろから見える彼の顔はなんだか少し気まずそうだった。
☆★☆★
もう夜になりかけてきた空。人気もあまり無いけどでもそこまで暗くも無い公園のベンチで少し距離を開けて座る私たち。
「…………ごめん」
「? どうしてあやまるの?」
「いや……その、まぁ……困ってたように見えたとはいえさ、急に触っちゃったし」
そう言う彼は一向に目を合わせなかった。さっきもそうだった。
「全然大丈夫だよ。きみだったから助かったよ〜きょーやくん」
「えっ……あれ………僕の名前教えてたっけ?」
「あはは。も〜。クラスメイトなんだから知ってて当たり前だよ?」
そう。彼の名前は恭弥。嶋山恭弥。クラスメイトの男の子。そして、私の恩人。でもきっとそれはきょーやくんは知らない。知らないというより覚えてないかも。
驚いた顔で初めて私を見つめる彼の前髪で少しだけ隠れた目を見て微笑う。
「ご、ごめん。あんまり人のこと覚えるの苦手で……」
「あっはは! だよね。だと思ったよ〜」
私が笑うと彼は苦笑する。そういえば学校にいる時もきょーやくんの笑顔は見たことが無かったと思う。大体、微苦笑してたりする。
「……っと、か、片桐さん……?」
「あかり」
「へ?」
「さっき私のことツレって言ったでしょ?」
「あっ、アレは言葉の綾というか!」
きょーやくんはわたわたと両手をパタパタさせて言葉を絞り出すように言い始めた。
「分かってるよ〜。でもさ。名前で呼んでくれた方が私は喜ぶのにな〜?」
「えっと…………ごめん、考えさせてくれるー、かな……」
「ふふっ、しょーがないなー。いいよ〜」
「あ、ありがとう」
きょーやくんはほっとした顔をしつつ微笑した。
────やっぱりちゃんと笑ってくれないかー。
「……?」
「どうしたの片桐さん」
「へ? ううん。何でもない。って、あっ! そろそろお店戻らなきゃ!」
ふと時計台に目がいって時刻を確認する。
「あー、やっぱりそれ制服だったんだ」
「えへへ、そうなんだ〜。似合う?」
「うん」
「ひひ、ありがとっ。きょーやくん」
ベンチから立ち上がってきょーやくんを見ながらはにかむ。
「そうだ。ねぇ、きょーやくん」
「えっと、な、なに?」
「もう少しだけさ、なっとこうよ」
あの頃から抱いてたこの感情を私は知ってる。だから。
「恋人に!」
2.初めてのことだから
翌日、早くに登校出来た私はきっと一番乗りだと思ってた。だけどその時は違った。
「……あ」
教室に入れば窓際の席で机に突っ伏して寝てる男子に目が行った。
────なーんだ。一番乗りじゃなかったか〜。でも、ふふっ。きょーやくんの寝顔見れて良かったなぁ〜。
そっと近付いて隣の席に座る。鞄を置いて同じように突っ伏して彼の方を向く。昨日と違うのは眼鏡をしてたこと。それと、左手には親指で挟んでいる本があった。きっと読んでる最中に寝てしまったんだと思う。
────きょーやくんの眼鏡姿似合うな〜。寝顔、かわいいなぁ〜。
きっと今の私の顔はニマニマしてるだろう。自覚できるくらいには。暫く眺めた後、スマホを取り出してこっそりと写真に収める。
「……ん、……」
スマホのシャッター音が微かになったからだろう。きょーやくんは瞼を震わせてゆっくりと目を開けた。
「……ぁれ」
「あ、起こしちゃった? おはよ、きょーやくん」
その時ガタガタッと音を立てながらきょーやくんは起き上がってとてもびっくりした顔を浮かべる。
「あ、えっ……と……み、見苦しいもの見せたね。ご、ごめん」
「ぷっふふっ。も〜! なーんで謝るのさ〜」
その驚いた調子を見て吹き出す。きょーやくんはバツが悪そうな顔で眼鏡を取った。
「いや、その……僕の寝顔なんて見たって何にもなんないでしょ?」
「え〜、可愛かったのにな〜」
「か、可愛いってどこが!?」
「ふふっ、ないしょ〜」
「えぇ……。教えてくれても良くない?」
☆★☆★
お昼休み。
「ねね、きょーやくん。一緒に食べよ〜」
「え、あぁ、うん。良いよ」
二つ返事で了承してくれたきょーやくんを連れて、空き教室に入る。
「あれ、きょーやくんのご飯ってそれだけなの?」
「うん。あんまり食が太くなくてね……」
彼の手には学校の近くにあるコンビニで売ってるメロンパン一個と紙パックコーヒー牛乳だった。
「ふーん、そっか。いつもそれで終わってるの?」
「んー……マチマチって感じかな。食べない時もあるし」
「えぇっ!? だ、大丈夫なのそれ!?」
「はは、うん。慣れてるから」
袋の口を開けてメロンパンを少し取り出しながら食べる彼は頷いた。余程の少食というよりも……
「……もしかして拒食だったりする?」
「うーん、どうだろ。考えたこともなかったなぁ」
メロンパンを頬張りながら遠い目をしていた。私は自分のお弁当に目を落とす。色とりどりのお弁当。よしっ。
「きょーやくんっ」
「う、うん? どうか……」
「は、はいっ! あ、あーん……」
「え、えぇっ!?」
ご飯を少しだけ箸で摘んで彼に向ける。
「ち、ちゃんと食べなきゃだめだよ?」
「い、いや、でもこれ……」
「い・い・か・ら・!」
「は、はい!」
私だって初めてやるから恥ずかしい。やると決めたからにはやらなきゃ。期限付きで恋人関係になったけど、少しでも良いから彼と触れ合いたいから。きょーやくんと交わした約束。それは、1週間だけ付き合うこと。それまでは恋人らしいことをして、きょーやくんに私を知ってもらうんだ。
「あ、あー……ん」
きょーやくんは少しだけ身を乗り出して私のあーんを受けてくれた。その時、ほんの少しだけ耳の先が赤かったと思う。
────あ、恥ずかしがってくれてるんだ。
そう思ったらきゅっと胸が痛くてむず痒くなった。そして私はそれを隠すように口を開く。
「ほっ、ほかにも何か食べるっ?」
あっ、声が上擦った。私もドキドキしてるんだ……。
「あ、えっと……き、気持ちだけで……大丈夫だよ」
きょーやくんは俯き加減で呟いた。彼は自分の首に右手を当てて、私と顔を合わせないようにしていたと思う。耳が真っ赤だったから。
「…………こんなこと、しちゃだめだよ片ぎ……あかりさん」
「っ、……!?」
それは反則だよきょーやくん。
「き、急に名前呼ぶのは反則だよきょーやくん」
ボッと火が出るように顔が熱くなったのがわかった。
「で、でも、あんしんして。その……こんなことするのきょーやくんだけだから」
「そ、そっか……」
きょーやくんは顔を背けつつ目は私を見てた。だけど互いに恥ずかしくてその後は静かだった。
☆★☆★
「き、きょーやくんっ。い、一緒に帰ろ?」
「え? あ、う、うん。良いよ」
放課後。きょーやくんを連れて下校をする。恋人らしいことのひとつ。一緒に下校する!
「あか……今日はバイトあるの?」
「今日はお休み〜」
「そっか」
名前を呼んでくれると思ったけど人の目を気にしたんだろう。途中で言いやめた。惜しいなぁ。
「あっ、じゃあさ。デートしない?」
「で、デー……ト?」
目を丸くしたきょーやくんに頷く。
「そっ! だってほら、私たち付き合ってるでしょ?」
「う、うん。そっか……うん。そうだね。わかった。どこか行きたいところはある?」
「んー……とはいってもそこまで無いんだよねぇ〜」
「ふふ。そっか。じゃあ……僕が気晴らしに行くとこあるんだけど、行く?」
「行くっ!」
私は頷いて彼の左腕に抱きつく。
「うわっ、ちょ、片桐さん!?」
「えへへっ」
☆★☆★
バスを使って揺られること数十分。きょーやくんと一緒に丘の上の広場へ来た。
「うわぁ〜! 綺麗だねぇ!」
手摺に手をついて景色を眺める。
「喜んでくれて良かった」
隣で同じように立つきょーやくんに顔を向ける。
「ありがとうきょーやくん!」
「えっ?」
「こういったところ来たことないんだ私」
「そう、なんだ」
少し気まずい感じがして右手で横髪を抑えるように彼から顔を隠す。話すたびに思う。彼と話す時は明るく行こうって。
「僕もね、最初はこんな場所来たことなかったんだ。ずっと本の世界だけで十分かなって思ってたのもあるんだけど……」
きょーやくんが話を続けるのに耳を傾ける。そっと彼の方に目を向けるときょーやくんは優しい目をしてた。
「昔からの友人に外の空気吸ってこようって半ば強引に連れられてさ。うん。あいつには助かったかな。それと同じであかりさんと来れて良かった」
「………………!」
目が合った。初めて見た彼の優しい微笑み。私は目を奪われた。あの時みたいに。
「……ふふっ。そっか。うん。そうだね。また来ようっ。やくそく!」
「うん」
互いに小指を結んだ。
「それじゃあ、この後はどうする? 何処か寄ってく?」
「んー、じゃあこれから私の家においでよ」
「早くないかな!?」
「あっはは! じょーだーん!」
半分本当だった。半分本当だからこそ……もっと一緒にいたかった。初めてのすきなひとだから。
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