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夢が見れる機械が欲しい


タイトルはムーンライダーズの曲から。
夢が見れる機械が欲しい (1985年)

 
 この間から、見世物小屋とか香具師について書いていたのだけれど、日常の裂け目というか、いわゆる非日常を演出するのがエンターテイメントならば、見世物とか香具師はまさしくエンタメだと思う。縁日やお祭りという「ハレ」の場に現れるのもそういう性質からして納得するねー。
 日常生活を送る毎日の中でかすかに感じる違和感、自分を取り巻く世界に対するわずかな感情のこすれ、生きている限り続くその気配を慰めるのが、祭など晴れの日の効用だと思う。
 日常という名のストレスに、前から後から左右から、更には見えない空間的重力に、さらされ続けながら生きるのはもー大変。
 祭にはそういう鬱憤を晴らす作用がある。
 今なら推しのライブや舞台を見るのとかも、そういうお祭の役割を果たしていると思う。

 話は変わるけど、私はnoteを始めて9ヶ月になるのですが、色々な人の記事を読ませて頂いて、そのカラフル多様な楽しい体験に、もうどっぷりハマっちゃいました。悪代官め(笑)
 で、最近知ったあるnoterさん。これがまあ、なんといいますか、noteにおける香具師的なものをぷんぷん匂わせる方でして。
 ここからは、私の思い込みが多分に入る考察になりますので、ご了承の上、まあ、気楽にお茶でも飲みながら読み飛ばして頂ければと思います。


 noteは私もそうですが、大概がHN・ペンネームで投稿するので、その時点で多少の盛りや自己演出が入るのはむしろ自然な事だと思います。そこが面白みです。
 アバターというのがありますよね。私はネットのゲームはしないので詳しくは知らないのですが、キャラクターを自分で設定して、分身みたいに作った自分でゲームの世界を楽しむのですよね。

 これをnoteでやったらどうなるか。

 あるnoterさんは、どうやらそれに挑戦?しているみたいに私には見えるのです。
 まず設定では未成年ということになっていて、保護者の比護のもとでの投稿という、ちょっと謎っぽいスタイルです。でも、記事を読むとこれはキャラクター設定なのだな、というのが解ります。書いてる内容はその人の考え方そのものだし、比護のもとなら保護者の検閲入るのかしらと思うのだけれど、それはなさそうだし。そんな感じで時々ボロが出てる(敢えて出してる?)ので、それがわかるんですね。
 ただ、コメント読む限りは、読む人は結構信じている感があり、そういう意味ではこの人の口上はなかなかの功を奏していると思います。
 ただ、サポートとか有料記事とか(保護されてるのにできるのか~?と大人はツッこもう笑)お金が絡む事案があるので、運営が少し目をつけてるようです。


 ここで私が思うのは、その人の作品(世界、といってもいい)にお金を払うのは、「詐欺被害」になるのか、という事。
 創作物はそもそもが作り事であるから、それを欲してお金を払うのは、通常モードである。  
 ただ、公に出されている創作物全てにしつこいくらいに「これはフィクションで事実とは異なる」旨が記載されているのは、創作物が描く世界はどこまでもリアルになり得るのであり、それを見た人が現実にあると思ってしまうことが往々にしてあるという事からである。
 それこそ、人間が人間である所以である。


 で、このnoterさんに話を戻すと、設定したキャラで書いてるので、投稿自体がフィクションで、記事も当然創作物、フィクションという事になるのだけれど、それを事実だと信じている人が割といそうなので、トラブルになる前に運営が介入したという感じ。
 で、私が先ほど言った、その人の作品もしくは世界にお金を払うのは、「詐欺被害」になるのか、という事。
 これって、結構むつかしい問題だと思いませんか?
 「この作品はフィクションです」とは言っても「この投稿はフィクションです」とは言わない。いちいち、ね。
 他の投稿された方もあると思いますが、フィクションのつもりで投稿した記事を事実と受け取られた事って結構多いと思います。
 事実、私もある方の記事を読んでいたく感情移入してしまい、激励のコメントを送ったところ、それはフィクションの物語であり、作者の方に却って恐縮されてしまった、というアホアホ体験がございます(笑)(恥)


 些少な金額でも、相手がそれを事実だと思ってお金を払ったなら詐欺になる気はします。
 でも、バレずにずっと騙しきれれば、それは事実に限りなく近くなる気もするのです。
 そこに創作物が人に与えるものの意味があります。そこが難しいところですね。
 香具師の口上で楽しんで、わかっていながら騙されるのとは意味が違います。


 なので、夢を売るのには責任がともなう。
 騙す限りは、徹底的にやれ!
 事実になるくらい、ふりきって、演じて、騙しつづけろ!
みんな、夢を見れる機械が欲しいんだ。
 でも、もしかしたらほんの思いつきで始めた事が思いのほかみんなにウケちゃった、だけかもしれない。もしウソを本当にするのならば、ある種の狂気と覚悟がいる。
 ちょこちょこボロを出してるのは、やはりその辺りの躊躇なのかもしれない。
 まあ、お金を取らずにやる方法が一番無難ではありますが、そのぶん夢の鮮度が落ちます故、むつかしいですな。
 なぜだろう、お金がからんで生々しくなるほど、夢は現実味を帯びてくる。このあたりは、私も今後追及していきたいテーマの一つであります。夢と現実、生きること、イノチガケ、の意味。

 以上、私の自分勝手な思い込みの見解でした。長々と退屈なごたくにお付き合い下さり有難うございました。
 何か思うところがありましたら、コメント頂ければ幸いです。



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