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ティータイムのひととき

「あー生きるのってめんどくさいね」
「えー」
 完全に全身の筋肉が緩んでいる。完全に相手に気を許しているとも言う。口から出た文字がたまたまこういう風に並んでしまっただけで、別に意味なんてない。チカはそれを知っている。だから、さっきまで今度一緒に行くアフタヌーンティーの話をしていたのに、急に私が全てを投げ出したことに形だけ驚いた素振りを見せてくれた。いつもの流れ作業。
「すみません、うっかりうっかり」
「また始まった」
「でも、この世のめんどくさいをかき集めたら、大体生きるのめんどくさいに集約されない?」
「まあ確かに。じゃあ私も生きるのめんどくさい」
 運ばれてきた紅茶にミルクを注ぐ。ミルクがゆっくりと形を変えながら泳いでいる。不格好で可愛いから砂糖もあげちゃう。金魚のエサみたい。二十年後も同じことをやっていたら糖尿病が〜とか言われるのだろうか。まあそんなことは知らん。細かいことを気にして長生きするよりは太く短くだな。一瞬の輝きをこの手に。でも苦しんで死にたくないな。全ての観点から見て激甘な人生を送りたい。チカに目をやると、こんなに寒いのにクリームソーダを注文したようだ。バニラアイスがなかなか溶けないのか、一生懸命ストローでグラスの底に押し込んでいる。
「なんか今度、男の子と出かけることになったんだよね」
「わざわざ私に話してくるってことは、ヒヨリはその人のこと結構異性として見てるね」
「まあ、そうなるわな。だってたっちゃんとは訳が違うでしょ。たっちゃんなんて、あっちがまだ声変わりとかしてなくて、私がベリーショートで、どっちが男か女かわからないようなときから知ってるんだよ?そこが今更どうこうって逆に難しいけど、これから知り合う人なんて、声の感じとか、手の大きさとか、そもそも体格が、全てが違うのよ。そう、全てが。少なくとも、生物学的には」
「今日は一段と口数が多いね」
 ひとくちでいっきに話したので、喉が渇いてしまう。何も考えずにカップに口をつけると、小さく火傷した。随分冷めた頃かと思っていたが、読みが甘かった。そして私は猫舌である。遅れてミルクと砂糖の甘ったるさが口の中に広がった。
「でも久しぶりの浮いた話だね」
「いや全然地に足ついてるよ」
「どうだかね。そんな頑なにならなくても、浮いてたって良いじゃんか」
「ねえ、チカは気球に乗りたいと思う?」
「またまた唐突に。うーん気球か。乗ったことないけど、ちょっと憧れるかも」
「私はまだそれに乗る勇気が出ないのよ」
「なんで?地上じゃ見れないような景色とか見れそうじゃん」
「確かに上空から見る景色なんて絶景も絶景だと思うよ。綺麗すぎて全てを手に入れたような気分になると思う」
「仰々しいにもほどがあるわ」
「でもね、気球の球の部分がいつ破裂するかわからないのが怖いのよ」
「ほう〜」
「鳥とかがいきなり飛んできて、すごい速さで球の部分を突き破ったとするでしょ?そうしたら、みるみるうちに球の部分は萎んでいって、森に墜落するの」
「そりゃ大惨事だね。でも鳥って球の部分を突き破れるほどの威力があるのかな」
「それで、気球の球の部分を熱していたバーナーの火がさ、その辺に燃え移るのよ。私が燃えるかもしれないし、一緒に乗った相手が燃えるかもしれない。もしかすると、二人とも燃えちゃうかも。森の近くに住んでいる人たちにも迷惑をかけるかもしれないね」
「なるほどねー。そんなわけで憧れを押し殺して、地上の景色で満足するように自分を躾けているのね」
「そんな事故に見舞われたら、仮に生き延びたとして後遺症が残るよ。確実に高所恐怖症にはなりそう。上手く頭を打って記憶喪失にでもなれれば、全部忘れちゃうけど」
「こういう話を今度の男の子にもするの?」
「するわけないじゃんか。絶対にやばい女だと思われる。何かの拍子に一緒に気球に乗るかもしれない相手に」
「えー面白いけどなあ」
「傍観者は本当に無責任だわ。まあどんなにヘルメットを被ったり用意周到でも死ぬときは死ぬんだけどね」
「ヒヨリって本当にわかんない。でも、私が相手の男の子なら絶対に好きになっちゃうな。放っておけない感じがする」
「だとしたらその男も相当やばいな。やばい奴同士なら気球が墜落したとて生き延びれそうだけど。私を放っておかないで、いつまでも構ってるのチカだけだよ」
 カップの底に砂糖のつぶつぶが残っている。しぶとい奴らめ。私も此奴らのように生きてやる。そう思いながらティースプーンで突いたりした。チカのクリームソーダはいつの間にかパステルカラーの液体を少し残して真っ赤なさくらんぼだけがこちらを見ていた。伝票を抜き取って席を立つ。まずはこの暖かい店内から飛び出す勇気を。

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