偏見

創価学会の悪口を言う人は、みんな偏見を持ってるんだって思ってた。

創価学会を知らない。池田先生も知らない。
こんなに素晴らしいのに。

こういう人たちは、創価に関わったことがないんだろう。

入会していても悪口を言うのは、信心のことを何も知らないだけなんだ。

人間革命の本を知ってもらえれば、みんな感動するはず。創価を好きになるはず。

ネットもツイッターもやらない。風評被害にあうだけ。私たちは被害者だ。

でも広宣流布しているから、これこそが正しいんだ。

正法を弘めているんだから。

だから、創価の良きところを伝えるために、たくさん勉強しないと。

聖教新聞もとって、公明新聞もとって、

友人に渡す用の本もたくさん買って、

池田先生のご指導カードも、寝る時間を削って朝まで作って。

未活動の部員への家庭訪問も、少しでも池田先生との繋がりを作ろうと、何十人もお手紙書いて、

パソコンで可愛い会合のチラシ作って、

支部の活動新聞も独自で作って、

毎日毎日、会合と家庭訪問と仏法対話と選挙と休みなく動いて、

400人のメンバーをなんとか信心で幸せにしたいって、婦人部さんたちに頭下げて、メンバーの親に頭下げて、

10年間、必死に必死に活動してきた。

池田先生が喜んでくれるなら、何でも頑張れる。これが広宣流布だって信じてた。

私の生きがいだった。

コロナが始まって、ツイッターをするようになって、創価批判をしている人を初めて見たときは、この人何考えてるの?って信じられなかった。

こういう人たちがいるから、創価のイメージが悪くなるんだ。広宣流布の邪魔になる。

書いてる内容も世間の勝手なイメージだ。偏見で物事を見るから、悪く見えるんだ。

なに適当なこと書いて。何も知らない人間がよく創価のこと書けたもんだ。

なんて思ってた。

でも、内容を真剣に読むと自分の経験を元に書いてる人がほとんどで。

やり取りしていくうちに、

あ、創価のほうがおかしいんだ。

ってようやく気づいた。


幹部や先輩の言葉は優しい。私のために指導してくれてる。
でも、よく考えれば自由も権利もなくなっていた。全然わからなかった。これが洗脳というものなのか。

いまの私にとって、創価は全部悪いわけじゃない。

病気も克服できた。前向きな自分に変われた。職場を大切にできる自分になった。友達もたくさん増えた。相手のために頑張れるようになった。

活動家になって、すごく充実した人生に生まれ変わった。

その恩は確かにある。

宗教ってそういうものであってほしい。


"法が正しい"からといって、その人間もほんとに正しい?

創価学会はすべて正しいの?

創価の批判をしている人に対して、我々が偏見を持っていたんだ。

これだけ。これをみんなで考えていきたい。


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