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父の夢

昨日久しぶりに父の夢を見た。父は施設の個室に寝ていた。部屋のカーテンは閉め切ってあったが、午後の光がカーテン越しに部屋を優しいオレンジ色にしていた。私は父の枕元に座り、お布団から出ていた父の手を握った。それだけの夢だった。それだけの夢だったけど、会えて嬉しかったな。ラインで母にそう言ったら、「いいなあ」と返ってきた。「私も会いたかったなぁ」という意味である。

父は2018年に他界した。51歳で若年アルツハイマーと診断され、69歳でこの世を去った。穏やかで優しい人だった。最近、私は頑張っているので「私ね、頑張ってるんだよ」って父に言いたくなったのかもしれない。 

下は父の一周忌に私がSNSで綴った言葉だ。とっておきたいのでここにも残しておくことにする。


今日からちょうど一年前の2018年6月7日、父は69歳で他界しました。この一年間、月日の経過と共に私はいろんな形で父を惜しみ、そして度々訪れる哀しみの波に涙を流しました。同年の11月には父の父も99歳で他界し、喪中ハガキの典型文に父と祖父の死を要約してしまうことにためらいを感じている間に年が明け、多くの方にお知らせをしないまま一年が経ちました。

去年の暮れにアメリカに住む友人がお母様を癌で亡くされ、その直後にご遺族からクリスマスカードを受け取りました。それは、生前のお母様のご希望で、友人知人に贈りたいと残したメッセージに家族写真が添えられたカードでした。お二人の息子さんもSNSで、地域の新聞に載った追悼記事と共に、彼女の人生と人柄について触れた美しいメッセージを投稿していました。お国柄の違いもありますが、私は彼らの喪に服すというより、彼女の生き様を祝福する姿にはっとし、深く心を動かされました。そして私もまた父の人生と最期について語りたいという思いがあることを感じていました。

父がこの世を去ったのは一年前ですが、私達家族は何年も前から少しづつ彼を失っていました。父は18年前に若年性認知症と診断され、長く苦しい闘病生活を送りました。

いつも優しくてかっこよかった父は私と姉の自慢の父でした。仕事で世界を飛び回り、出向いた先々ではたくさんの人に慕われました。しかし父は18年の歳月をかけて、少しづつ人格を失うという恐ろしい病いに人生を委ねざるえませんでした。母は父と共に真っ正面から病気と戦い、献身的な介護をしました。父の最期を考える時、私は同じ病気で苦しむ他の家族に、どうか勇気を持ってもらいたいという強い思いに駆られます。私の両親が多くの人たちに助けられたように、同じ病で心が折れそうになっている方々に、多くの助けの手が差し伸べられることを切に願うのです。

先日、ごく身内で父の一周忌をしましたが、母がどこからか探し出したホームビデオをみんなで見ました。20年ほど前に家族4人で行ったバリ旅行の映像で、母も若く、元気だったころの父が、話したり笑ったりしていて幻を見るような思いになりました。そして、大事な人を惜しむということは、その人がずっと心の中に生き続けるということなんだなと、しみじみと思いました。

下は一年前、父の葬儀で私が読んだスピーチの原稿です。


6月7日早朝、父は静かにこの世を去りました。私が知らせを受け、ホスピスに向かう車中からは、前日1日降った雨が上がり、澄みきった朝の空気に初夏の富士山がくっきりと見え、父が天へと旅立った日の空が美しかったことが胸に刻まれました。

病気が発覚した後のことだったと思いますが、父はある時「パパは人生においてとてもラッキーだった」と私に話してくれたことがありました。「家族、友人に恵まれ、就職や転勤もいつも良いタイミングで訪れ、世界を見ることもできた」。謙虚で穏やかでいつも周りの人から愛された、父らしい言葉でした。

またある時、父は私と二人で品川の原美術館に行った帰りに、仕事時代の知人に、自分の病気のことや早期退職した旨を話したことがありました。自分の病気から目を背けることなく、素直に世界と向き合っていた、これも父らしい姿でした。

長い闘病生活の初期、父は趣味の絵画や音楽や散歩を楽しんでいましたが、私が帰国し長女を出産した頃には病気が進行し、非常に苦しい年月を過ごしました。しかしその側にはいつも母が全力で父と共に戦い、支える姿がありました。病気によって変貌した後も、母もそして周りの多くの人も、優しかった父を愛し続け、亡くなった今も、そしてこれからも、私たちは生涯彼を、愛し続けることと思います。

私は幼い頃から、絵画が好きで、父が買った画集を眺めたり、忙しかった仕事の合間合間に、父と美術館を訪れたり、父と一緒に風景画を描いたりするのが大好きでした。ここに私が美術を志し、大学へ渡米する際に父がくれた手紙があります。普段は多くを語らなかった父がくれた大事な言葉ですので読ませてください。


Dear Mio

ついこの間まで絵の好きな小さな女の子だったMioがいよいよ大学生になり一人暮らしをすることになると思うと感慨無量です。知っての通りパパが好きな絵画にちなんでつけた彩夕子が音楽が好きになり、Musicにちなんでつけた実音子がArtの道に進むことになったのはうれしい誤算でした。

今までと違ってArtを専門にやることになると自分の才能やCreativityに限界を感じることもあると思いますが、パパが常々思うことは「美に限界はない」ということです。これは有志以来様々な工芸品やArtを見てわかるし、どんな人にも各々、魅力、美しさがあることを折りにふれ感じることから言えます。

Artistsの役割はこの隠れた美を形に表すことだと思います。Mioは天才じゃないかも知れないけど、ハルさんやバーバから受けついだセンスはあるので自分で自分を磨いて花を咲かせて下さい。

これからは口うるさく言ってくれるママもいないので自分で自分のことをしっかりやって、周囲に流されず、目標を見失ず頑張って下さい。図体はデカイけどかわいいMioがいなくなるとパパとママも寂しくなります。特にママは寂しがりやなので時々MailやTelを下さい。 with Love パパより


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