当たり前という差別 人を人ととして扱う
「夜明け前」という映画のバリアフリー上映を観てきた。
サブタイトルは「呉秀三と無名の精神障害者の100年」
呉秀三さんは東大医学部の教授で
都立松沢病院の院長だった方。
精神病者の私宅監置に関する調査をして
その報告書をまとめたのが100年前の1918年。
この映画はその報告書を中心に
呉先生の人物や活動と
日本の精神医学、精神障害者の歴史を辿るドキュメンタリー
私宅監置って、「自宅で監禁」ってこと
多くは座敷牢
その状況は悲惨なものばかりだったけど
「100年前は酷かったんだな」
って見方は違うと思う
2018年にも息子を25年監禁してた父親が逮捕されたし
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4185/index.html
2016年の障害者施設での大量殺人事件
犯人に批判的な意見ばかりじゃなかったよね
呉先生を「優しい人」と評してるのもあったけど
私はそれより
「人を人として扱う」
という表現の方がしっくりきた。
人を人として扱う
そんなの当たり前じゃんって思うでしょ。
それが「当たり前に存在を無視してる」という差別もあるんだ。
今回はじめて「バリアフリー上映」で映画を観た。
テロップとは別に
すべてのナレーション、音に字幕がついてた。
ナレーションとは別に
映っている画面を言葉で表現する音声がついてた。
手話ニュース、字幕放送とかで、耳が不自由な方が映像を見ることは意識があったけど
目の見えない人が映像を見る、ということを意識したことがなかったの。
初めて気づいた。
「バリアフリー上映」というもの自体、知らなかったの。
そんな人間が作った映像が、映像を目で見ない人に親切であったわけがない。
知らないことが誰かを傷つける
当たり前に存在を意識しない、無視してることが誰かを傷つける。
直接的じゃなくたってね。
みんながみんな同じ条件、同じ価値観ではないと知っておくこと。
相手が自分と違うという前提で、違いを知ろうとすること。
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