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硝子レンズは無色透明 3

2024/03/10 ビッグサイトにて開催されるJ.GARDENで発行予定。
オリジナルBL小説「硝子レンズは無色透明」の進捗を公開しています。

テーマは「メガネ」
今回のJ.GARDENの特設ジャンル「メガネ」に合わせて絶賛執筆中です。


~あらすじ~
眼鏡工房で働くアンリは、金持ちから搾り取ることが生き甲斐と言って憚らない。
ある日、ブルジョワの放蕩息子として有名なジャンから眼鏡の注文が入る。
お金のためにと屋敷に通い詰めるうちに、アンリは少しずつジャンに惹かれていったが、ジャンが黒魔術師ではないかと疑われ始めて……


1、2をまだお読みでない方は、こちらからどうぞ。


 角の薬局の品はいい。
 魔女と呼ばれる主人が迷信的な話ばかりするのは困るが、売っている品は本当にいいのだ。他の店では手に入らない珍しいもの、混ぜ物のないよく効く薬、茶葉や酒の味もいい。一体どうやって仕入れているのか謎だが、とにかくこの辺りで一番の薬局だ。
「そうか、そうか。気に入ったかい。愛の女神の金粉入り茶葉だからね」
 魔女は皴だらけの顔をさらにしわくちゃにして笑った。
 先日、ローダナムのおまけにくれた茶葉が美味かったのだ。売ってくれと言ったら、これだ。
 なんだ、愛の女神って。宗教警察がいかに怠慢でも、訳の分からない神の名を口にするなんて危険だ。もちろん茶に金粉なんか入っていなかった。
「金粉なんか入ってた? 全然気付かないで飲んでたな。次はよく探してみるよ」
「またそういう憎まれ口を叩く」
「普通に茶葉を売ってほしいんだよ。味が良かったからさ」
「味がいいと思ったってことは、まじないが体に合ったってことだよ。良かったねえ」
 アンリは隠さずに苦笑いする。
「自分で飲む分じゃなくて、お客さんへの手土産にするんだけどな」
「いい人かい?」
「上客なのは確かだよ。おばちゃんが期待してるようないい人かどうかは……神のみぞ知る、じゃない?」
 ちょっと嫌味を滲ませてやった。余計なお世話だ。会うたびに恋をしろ、いい人を作れとうるさくて仕方がない。
「仕事熱心は結構だけど、あんまり遅くまで出歩くもんじゃないよ」
 魔女は縮んだ体をうんと背伸びさせて、棚の上の方の茶葉の箱を取ろうとした。踏み台を使えばいいものを。あとちょっとのところで皺だらけの指は棚板の下を掠めるばかり。
 見かねたアンリは魔女の頭越しに、見覚えのある小さな木箱を掴んで下ろしてやった。
「ありがとう。大きくなったねえ」
「踏み台使えよ」
 アンリは財布から銅貨を出した。魔女はカウンターの下からちょっと見栄えのいい袋と革紐を出して、箱を包んでくれた。
「最近ここらは気が悪いんだ。噂になってるだろう、人が消えるって。だから今日もあまり遅くなるんじゃないよ」
「どうせまた取り締まりだろ」
 何年か前にもあったのだ。浮浪者を取り締まるという王令が出て、警察が夜出歩くものを片っ端から投獄して騒ぎになった。
「あれとは違う。気の流れなんだよ。異界への扉が開きやすくなってる。特に夕暮れ時は危ないから、あんたも重々気を付けるんだよ」
「はいはい。気を付けます。ご心配どうも」
 品物はいいのだ。
 だが、この手のお喋りに付き合うのは苦痛だ。
 

 
「久しぶり。来てくれて嬉しいよ」
 久しぶりといっても、前回の訪問から二週間も経っていない。
 ジャンは頻繁にアンリを呼び出した。
 彼の最初の注文品が完成したあとも、すぐに妹マリー嬢のオペラグラスを依頼された。その製作の間に、コンスタンティン家での茶会に招待されたりと、親しい付き合いが続いている。
「マリー様のオペラグラスは問題なさそうですか?」
「気に入ったみたいだったよ。あの子もこれでもう少し、持ち物に気を遣うようになるといいんだけどね」
 アンリはいつものように木箱を開けた。
「今日は特にご指定がなかったので、最近手に入ったものを持って来たんですけど」
「見せて見せて」
 アンリの言葉遣いもすっかり砕けてきた。ジャンが本当に気さくなので、アンリも気を許すしかなかった。
「サングラスを提案しようと思って。いくつか見繕ってきました」
 読書用の次なら、屋外用と相場は決まっている。コンスタンティン家は狩猟権も持っていて、ジャンもたびたび出掛けるのだと言っていた。それならばと、乗馬や狩りに使えそうなフレームと、煙水晶や緑石柱を選んで持ってきたのだ。
「わ、すごい、これどこで取れたの?」
 案の定、ジャンは煙水晶に食いついた。
「ゲルトニア産です」
「変わった色だね」
 ジャンが煙水晶を陽光に翳す。うすい茶褐色に黄味がかった暗い色だ。この黄色が珍しく、きっとジャンが欲しがるだろうと思ったのだ。
 宝石商から買い取るのは苦労した。珍しい色石は当然高額で、競争相手も多い。アンリは日頃から宝石商に付け届けを欠かさず、いい石が手に入ったら譲ってくれるよう頼んでいたのだ。それでも値段交渉は難航したが、本当にいいものが仕入れられた。
「このまま部屋に飾ってもいいくらいだね。ああでも、レンズにしたところも見てみたい」
「カットしたらきっと、琥珀みたいな色になりますよ。絶対にジャン様に似合うと思ったんです」
 今度はつるを太くして琥珀を埋めてはどうだろうか。読書用は銀装飾にしてみたが、彼は金や黄色の太陽の色が似合う。屋外で使うならなおさらだ。
「いいねぇ。そしたら装飾に、いっそ琥珀を使ったらどうかな」
「俺も思いました! それならやっぱりフレームは鼈甲ですね」
 アンリはわくわくすく気持ちを隠さず、口をつくままに言葉を発する。
 彼といる時は、好き勝手に想像の翼を広げていいのだ。口が過ぎるとか、相手の好みじゃないかもとか、そんな慎重さを気にする必要もない。
「そうだった」
 何かを思い出した様子で、顔を上げたジャンが煙水晶をテーブルに置く。
「君を呼んだのはね、頼みたいことがあったからなんだよ」
「はい。サングラス以外がいいですか?」
「君のための眼鏡を作らせてくれないかな?」
 この客はまた突拍子もない注文をしてきた。
「ボクやマリーの眼鏡を誂えてる君が、すごく楽しそうだったから。ボクもやってみたくて」
「ジャン様のメガネをご自身で選ぶのじゃなく?」
「そう。君の眼鏡選びだよ。どんな素材でどんなデザインにするか、ぼくが全部決めるんだ」
「はあ……」
 ジャンは一度立ち上がると、文机に積み上がった本の中から一冊を抜き取った。
「ちょっとこれを見て」
 テーブルに本を広げてから、ジャンは腰に下げたケースから眼鏡を取り出す。もちろん、ラコルデール眼鏡工房で丹精込めて製作した、あの眼鏡だ。
 アンリは思わずそれを見つめた。製作時に飽きるほど見たはずだが、実際に人がかけているとまた趣が違う。
 視線に気付いたジャンが本から顔を上げた。アンリが眼鏡を見ていたと分かったのだろう、つるにそっとう指で触れて微笑む。
「これ、すごく気に入ってるんだ。みんなに見せびらかすために、父の講義に出席したりしてね。どう? 似合ってる?」
 いたずらっ子のような笑みに、ドクリと胸が鳴った。
 美麗な容姿を、罪と表現することがある。人を惑わす美貌は悪魔の証だと説教した司教がいた。
「よくお似合いです」
 アンリはそう答えて、なんとなく一度目を逸らしてから、またジャンの顔に視線を戻す。
 眼鏡は知性を表すが、容姿を損なうという側面があった。顔のまんなかに余計なものが乗っているのだから、邪魔になるのは仕方ない。だから職人はレンズをうすくし、フレームを細くすることに腐心している。なるべく華やかで上品は装飾をあしらい、邪魔に思われない眼鏡を作りたいのだ。
 しかしジャンが提案した、瞳がフレームの真ん中に収まる程よいサイズのレンズは、決して彼の容姿の邪魔になっていない。ギリギリまで細くしたレンズフレーム。三度も位置を変えたブリッジ。そしてつるに施した銀の葉が、繊細ながらはっきりと存在を主張していて、ジャンの性質を表しているようだ。
 我ながらいい仕事をした。
 眼鏡を見ていたのだが、そうすると自然、ジャンと目が合う。微笑まれて――彼は本当に人好きのする笑い方をする――アンリは照れ隠しに本に目を落とした。
 本はおそらくアンゲル語で書かれている。
 アンゲル語どころか、公ラヴァンドゥ語の読み書きすら、アンリは得意ではない。仕事で必要なものをなんとか覚えた程度だ。
 それはすでにジャンも知るところで、別にアンリにアンゲル語を読ませようとしているわけではない。
「銅板に銅めっきと銀めっきをして、浮き彫りを施した彫刻作品について書かれている」
「金属カメオってやつですね。へえ、わざわざめっきでやるんだ」
「下地が鉄板でも、銅めっきの層を厚くすれば同じことは可能だと思うんだ。そうすれば眼鏡にも直接彫刻ができないかな?」
「細工を貼り付けるんじゃなくて、直接彫りものを?」
「そう。つるの幅を広くすれば板面は確保できる」
 ジャンは親指を人差し指で何かを挟むポーズをする。その指の間は一、二センチほど。眼鏡のつるとしてはかなり幅が太いが、なくもない。
「あと、亜鉛めっきを試してみないかい?」
「真鍮ではなく、亜鉛ですか」
「鉄の錆を防ぐのに、亜鉛がもっとも効果的なんだ。」
 鉱物の性質について細かい説明があったが、正直まったく分からなかった。アンリは分かることだけ頭に詰めておくことにする。
 亜鉛が他の金属と比べて鉄の錆防止に向いていること。亜鉛は低い温度で溶けるので、鉄の炉を使ってめっき加工が可能だろうということ。最近各地に亜鉛精製工場ができて手に入りやすくなったということ。
「厚みと重さが課題ですね。でも、彫り物である程度減らせる」
「腐食対策としては銅めっき一層目で十分だから、髪の中に入る部分の銀は削り落として問題ない」
「鉄板、どこまで薄くできるかな……幅を持たせて腐食対策もするから、かなりペラペラにしてもいけそう」
 だんだん想像できてきた。
 なるべく薄く鉄を打って、新しいめっきを施す。そこに銅を二回、銀を一回重ねて、亜鉛を傷つけないように彫る。面白そうだ。これが成功すれば、新作として売り込めるかもしれない。ああでも、亜鉛はどのくらいの値段だろう。鉄より高くないといいのだが。
「あの、この新しい眼鏡は、俺が使うことになるんですか?」
「もちろん。君の眼鏡を作るんだから」
「でも、それは……」
 なんだか不思議だ。客の注文で自分の眼鏡を作るなど。代金はジャンが支払って、眼鏡はアンリが使うのか。それはまるで。
「失礼します」
 控えめなノックの音のあと、女性が部屋に入って来た。
 ジャンの妹、マリーだ。アンリももう何度も顔を合わせている。
「マリー様。本日もご機嫌麗しゅう」
「こんにちは。いただいたお茶を淹れてみたのよ」
 角の薬局で購入した茶葉だ。
「いい香りだね。どこの輸入会社かな」
「近所の魔女の店で買ったんですよ。主人は怪しげだけど、品は確かなんです」
「魔女! このあたりに魔女がいるのか。会ってみたいね」
 ジャンは嬉しそうにティーカップを手に取った。
「新しいオペラグラス、早速観劇に持って行ったの」
「いかがでしたか?」
「素晴らしかったわ。周りの評判もよくて。なにより、役者の顔が本当によく見えるの。まるで目の前にいるみたいに」
「最高の褒め言葉です。職人たちに必ず伝えます」
 マリーも椅子に座り、しばし三人で茶を楽しむ。
 彼女もまたジャンと同じように、自由気ままな質であるようだった。第三身分とはいえ、職人のアンリをあるで友人の訪問のように扱ってくれる。
「それで、兄さんはまた眼鏡を作るの? 顔はひとつしか持ってないくせに」
「顔がもっとたくさんあれば、同時にいくつも眼鏡をかけられて最高だね。増やせないか検討してみるよ」
「ヤダ、そんな化け物みたいな兄さんなんか」
 アンリは耐えきれずに吹き出した。
「す、すみません」
「アンリはボクの顔が増えたら嬉しいよね? 眼鏡も増えるんだから」
「ジャン様が増えたら、自分と議論を始めそうですね。バラバラに喋ってそう」
「確かに。アンリったら兄さんのことよく分かってるわ」
 ひとしきり笑い声が響く。
 晴れた日に、窓際でお茶を飲みながら笑う。なんて穏やかな時間の過ごし方だろう。
「今回はボクのじゃなくて、アンリの眼鏡を作ろうと思ってるんだ」
「なんでまた」
 怪訝そうに首を傾げるマリーに、アンリはカップを置いた。やはり誰が聞いても奇妙な注文なのだ。
「誰かの眼鏡を誂えてみたいんだよ。自分で一から作ることも考えたんだけどね、それじゃあ何年かかるか分からない。ならボクが素材やデザインを全部決めて、ラコルデールで作ってもらうのがいいだろう」
「ごめんなさいね。迷惑なら断っていいのよ」
 マリーが気の毒そうに頬に手を当てた。
「とんでもない! ありがたいお話です」
 咄嗟にそう言っていた。注文はありがたい。最新の素材を教えてくれたのもありがたい。そしてなにより、万が一にもこの注文を他所へ持って行かれては困る。
「決まりだね。早速デザインを決めよう」
  それからテーブルの上の木箱を指差して、こう言った。
「やっぱりサングラスも欲しいから、一本頼むよ。この煙水晶でね」
 彼は間違いなく上客だ。でも、やっぱり少し変わっている。
 アンリは笑顔で頷いていた。新たな注文が嬉しかったのが半分、もう半分は、ただなんとなく嬉しかったのだ。ただ自然と笑顔になったのだ。
 

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