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85/1095 中途半端でもやってみるという価値

さぁ、毎日更新すると意気込んで始めた1095日間チャレンジも、気付くとだいぶ休憩しておりましたね。誰も気づいてないと思うけど。

誰も気付いていないし、気付いていたとしても気にならないので、このまま継続して書いていくことにしますよ。引き続きの1095日間チャレンジ。

こういうのもだいぶ変容したと思うのです、私自身。

以前は、決めたことを決めた通りにできないと、もうその時点で心が折れてやめたりしてました。完璧主義、とも呼ばれるあれですね。

誰に何を言われたわけでもないのだけれど、自分で自分を責めて、自分で自分を許してあげられなくて、それならやめてしまえとそこで止めていた。

こういうのを自家中毒と呼ぶのかもしれないですね。
自分で自分に酔っている状態。別名、自己憐憫。

今そのことを思い返してみると、結局のところ、可哀そうな自分でいることで得られるメリットを握りしめていたのだなあと思うのです。

可哀そうな自分でいることで得られるメリットって、なんだろうね?

可哀そうでいることで、人からの注目をひきたいということが一番の目的なような気がする。注目されていたら、ひとりにならずに済む。寂しくならなくて済む。

だから、できないという自分でいることで可哀そうな自分を演じ続けて注目を集めるというレールに沿ってやり続けるのだろうけれども。

これはしんどかったよね。私はしんどかったよ。
出来ない自分でい続けることは、エネルギーのいることだった。

だってできる自分を抑え続けなくちゃいけないのだから。
できるのにできないふりをするのは、全力でブレーキかけ続けているのと同じ。本当にエネルギーのバランスがおかしかったな。

ちょっと話を戻して。

完璧にやらないといけないと思い込んでいたのだけれど、それって結局やらなくていい理由をつけていただけだと思うんだよね。

今の職場で働き始めて、そんな言い訳みじんも通用しないような環境に慣れていくと、完璧であることなど一ミリも求められていないことに気付いていったよね。そんなことよりもまずやってみること。やってみながら試行錯誤してみること。試行錯誤しながらよりよくしていくこと。

その行動自体、その行動量自体が自分の力になっていくし、その姿こそが周りに影響を与えていく。そしてきっとその姿が【信頼】なんだと思うんだ。

だから中途半端でやっていく。そのままでやっていく。
隠さずに進んでいく。

それで私は進んでいくよ!

あどまーに!

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