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働き方改革と人手不足

働き方改革と称して、超過勤務を無くしていこうという取り組みは大切かもしれない。しかしその事が言われてから、業務内容の見直しや改善を図れた企業はどのくらいあるのだろうか。

目次

1 働き方改革という大義名分
2 依然として変わらない業務
3 解決できない問題
4未来は明るくなるのか?


1 働き方改革という大義名分

働き方改革のひとつに時差勤務というのがある。うちの会社では通常介護と育児の条件を満たせば申請できる。さらに、夏季休業取得期間については、ライフアンドワークバランスを推進するために、誰でも申請できる。

ライフアンドワークバランスとは「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指す From Wikipedia

ならば、残業しないとかそういう単純な事じゃないはずなんだけど。  

面白いのは時差勤務を申請したら、超過勤務は行わないようにすること。
と記載されていた。一理ある。
でも、仕事をするのに朝早く入って早く帰れるようにする場合、少しでも静かな時間に自分の仕事を済ませたいとか思うわけで、もっと早く来る人達がいる。同じように家庭での朝の時間をこなしてから出社できればかなり楽になる、皆が帰った後に自分の仕事に集中することもできる。それを超過勤務という言葉でひとくくりにされてしまうと、集中したい業務が出来なくなる。これも働き方改革の一環の事業だから、仕方がないかもしれない。
まさに、労働時間の短縮と生活の向上なんていう大義名分は美しい。

2依然として変わらない業務

でも、業務内容を見直そうという試みについては非常に遅れている。既存のルールは変えない。合理性の追求もしない。非常勤ばかり増やして正規職員を減らしている。人がいれば業務が楽になるかと言えばそうではない。
監理監督者であれば、判断しなければならない案件が増加する。担当者が判断しないからだ。いやむしろできないといっていい。責任ある仕事を任せるのであれば、相応の給料を出す必要がある。これらは依然として変えないで時間ばかり短縮と旗を振っている。

結果、残業手当などの支出が減るので、会社としてはいいのかもしれない。
こういう旗の振り方で、なんとかしようという姑息なやり方が日本的経営なんだろうか。いずれにしても、労働時間の短縮を図っても、業務が滞ってしまうのであれば、結果的に改善にはならない。当たり前のことだ。

管理監督者の立場で言えば、あらゆる相談を受けていると自分の業務が出来なくなる。結局邪魔が入らない時間になって集中して処理することになる。考える時間、問題解決に何をすればいいのかなどの集中したいことは、業務時間の中では困難になっている。

業務改善に必要な事  

会議を減らして、結果を共有できるシステムにする。事案決定までの時間を短縮する。稟議制というシステムが数多くあると思うが、回ってくる書類をすべて検証している上司がどのくらいいるんだろう。
実際、書類の体裁が整っていれば判を押しているのではないかと思う。それ以前に何度かオフラインで話して、事前に予備知識を持ってもらったりすれば、「ああ・・あれね」となり、問題点も最初から解っているのでそこだけを検証する。稟議で回る書類は、「これでいい」というもののはず。それこそ、電子決済だけであれば、効率がいいと思う。

そしてもう一つ。余計な仕事を増やさないことだ。仕事のための仕事のようなものがある。書類の体裁を整えるために、最初からきれいな書類に編集しなおす作業。監査対応のための綺麗な書類。これだけあれば要件を満たすのに、要件を満たすことを確認させる書類を要求する。あきれてものがいえない。どこへ行っても、同じ様式であれば効率がいいと思うが、ではそのシステムが効率的にできているのかと言えば、考案者が想像力にかける人ならばそれは後退の一途をたどるのである。

システム構築をする際、最も大切なことは膨大なデータベースをどう変化させて活用できるものにするかということなのだが、データベースは孤立化し共有できないだけでなく、システム構築の考え方が異なる会社が作成すると、現存するデータベースは連携しないのだ。結果的に人に頼るしか情報を得ることが出来ない。

3解決できない問題

人の問題だ。
職場で「鬱」の人が出たとする。業務を軽減する必要がある。
しかも、リハビリ期間ともなれば時間制限・業務制限・そして来てもらうことが大事だから・・・という人に焦点を当てたケアが一般的なので、やはりそれは職場で温かく迎えるしかないと思う。しかし、5人でやる仕事だとして、それを4人でやることの大変さ、そしてそれぞれが独立した仕事で自分の持つ仕事との関連性がない場合、まさに二人分引き受けなければならなくなる。これ、「仕方がない」で済ませていいのだろうか?
そういう職場が相当ある。うちの業界だけでもかなりの数だ。

結局元気な人が疲弊している。

他の人でもできる業務かもしれないけれど、そこには一人分の仕事があるので、二人分やるということを引き受けたくはない。給料をもらっているわけだし、労働者の権利を守ることも大切だし、人にやさしい社会であればそれは必要な事だと思う。でも、体と心が持ちこたえる人材に全て委ねていいのだろうか。
それは違う。こんなことをしていれば組織が疲弊して成果を上げる事なんてできなくなると思う。もちろん病気というのであれば、治る可能性もあるので期待感がある。時限設定なら耐えられるかもしれない。これが、まったく仕事ができない人の場合・・時限なし・・・絶望感が漂う。
かといって、そういう人を排除すればそれでいいのか・・・という道義的な問題を避けることはできない。

色々な人がいて、協力し合って温かい理解を提供できる。そういう会社が理想です。あるいはそういう組織でありたい。

なんてどこかの社長が言ってそうなセリフ。もちろんどこかの管理職辺りも言っているかもしれない。
「人の問題」は過去の経験からも未来を考えても絶対に解決しないと思う。社会には凸凹があって当然かもしれない。その人に合わせたやり方があればそれは伸びる。でもね。会社は幼児教育やってるわけじゃない。

新人を採用するときだって、この人がいいかどうか。なんて簡単にわからない。でも、ある程度年齢を重ねて経験を重ねるとわかるものだ。
会社は給料を払って仕事をしてもらうわけだし、仕事というのはやはりその意義ややりがいがなければおもしろくはない。もちろん給料は実力に合わせて伸びるべきものだし、ようやくエンジニアの採用に高給枠ができたようだけれど、実力と金額の高低はあっていいと思う。
外資系の会社であれば、最初から数回の面接だけで決めることは無い。その人の持つ経歴や能力を図り、本当に支払う給料に見合うかどうかを判断している。それをすべてに当てはめることは難しいと思うけれど・・・

やっぱり一緒に仕事をするなら、元気なほうがいいし仕事を前向きに取り組んで結果を出してくれる同僚の方がいい。
でも人はそれぞれ。ちょっと前なら「変わってる人」ぐらいで済んだけれど今は「病気」だから・・・守らないといけなくなった。当たり前だと思っていたことも通じない相手。そういう大人にどうやって対処していく?

4未来は明るくなるのか

人手不足・・・これは実質的に人数が足りない場合、例えば飲食系やガテン系、中小企業の工場、倉庫などの業務などでは不足と言われている。

もう一つの人手不足・・・その事業所での定員が決まっている場合、一人でも欠員(いないのではなく、仕事ができない)すればその職場は人手不足で業務過多になる。

上がらない給料・・・いったいどこにお金が回っているのだろう・・・
これだけ、初任給も上がらない国はないだろう。それだけじゃない。
多くの国民が上がらない給料に疲弊している。現実10年前よりも給料は下がっている。社会保険料の引き上げ、厚生年金の引き上げ、そして税金。
色々な手当てや補助があってもそれは生活保護者と非課税世帯。サラリーマンはそういう恩恵にあやかれない人が多い。

正直これだけ並べると真っ暗な気持ちになる。

ただ言えることは、長年働いてきて「人は捨てたものじゃない」って思っている。出会いと別れ、いろいろある。でも人の出会いは本当に面白いと思える。なぜって、どうしょうもない部下にあたったとき、ああ・・こういう出会いって私に考えることを与えているなって思った。どうすればいいのか毎日考えていた。相手はどう思ったかわからないが、自分はかなり学ばせてもらった。そしてそういう問題はすべて自分に返ってくることを知った。おかげで、自分の過去と成長してきた過程を見直してみたり、今の自分を形成してきたものは何だったのかと見つめなおした。

きっとどんな出会いも成長するためのものかもしれない。いい時もある。でもそうじゃないとき、どうやってその問題を解決するのか教えてくれる。

社会で生きる事は、一人じゃないということを教えてくれる。多くの友人に恵まれてきたし、多くの同僚と先輩と後輩に恵まれてきた。いつも一緒にいるわけじゃないけれど、何かの時に思い出せる友人がいる。幸せなことだと思う。

明るい未来とは、自分が作るものだということ。


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