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子供の脳出血 息子の闘病記~退院後の生活 #19

脳動静脈奇形という病気(病態ともいいます)は本人が全く気付かないことが多いのです。生まれた時から持っているわけですから、それが普通の状態で常に血流が異常だったわけですが、表面的には全く異常がないのです。
あのころ検索した中に、同じ病気で高校3年生のある朝突然亡くなったという記事がありました。健康優良児のように育ち野球部で活躍していたといいます。夜頭が痛いから寝ると言って、そのまま意識が戻らないままだったそうです。なんて切ない記事だったか。
とても他人ごとではありませんでした。

うちの場合、中学1年生の冬までは、本当に忙しく寝不足も続いていました。塾は週3回、夜は10時過ぎに帰ってきます。部活はテニス部に入り、必死で毎日走っていました。(特に運動制限を受けていませんでした)

「今日は、走り込みで3番だったよ!」

最初は、安いラケット買ったのですが、夏が過ぎる頃には新しいラケットがほしいというので、ラケットを買いに行きました。
「すごく、力があるからこのくらいのものがいいですよ。」とお店の人に勧められるままに購入。あまりの高額にびっくり・・・
「おまえ、相当うまくないとカッコ悪くない?」
息子はすごくお気に入り。部活でもショットを褒められたと喜んでいました。

秋になると頭痛の頻度が増えて、ロキソニンを飲むことが多くなりました。そして12月に脳出血でした。
一般的に脳出血後は3か月たつと脳外科的には普通に生活しても大丈夫なんだそうです。なので、出血後は3ヶ月後に2度目のガンマナイフを予定しました。

出血後は「デパケンR」、これは抗てんかん薬です。脳に傷があるとてんかん性の痙攣をおこしやすくなります。そのほかに止血剤「アドナ」「トランサミン」が追加になりました。
「先生、トランサミンって血栓を起こしやすくなるんじゃないんですか?」「確かにそれもある。でも、再出血を抑えるのに有効といわれてもいるから。」

退院後はしばらく自宅療養をしていました。本当は4月から学校に行けると思っていたのでがっかり。でもやっぱり無理がありました。ほとんどの時間寝ているか、ぼーっとしていたように思います。あとは漫画を読む、ゲームをする・・・これは脳外科のドクター皆さんが驚いていました。

興奮すると血圧が上がるから、学校生活はまだ無理だということです。中学生だから、興奮しないでなんて100%無理な話ですよね。ましてや、うちの息子の場合はなおさらです。おふざけが服着ているようなものですから。

一つだけ変化。「頭が痛い」というのが減りました。

学校に戻ったのは9月です。中学2年生が半分終わってました。担任の先生には「記憶がかなりおかしいような気がします・・・大丈夫でしょうか」と心配されました。11月に塾に復帰。そこでスイッチが入ったのか、思考回路が繋がったのか・・・いわゆる「普通」の中学生に戻ったように思います。

このとき「部活に戻りたい」とドクターに話したら、とっても怒られました。私は内心「そうですよ・・4回も脳出血しているんだよ。おまえは」
どうやって話しても納得しなかったのです。だからドクターに相談させた。息子は涙を流して、納得はしたものの、気持は荒れていました。

帰りの車の中で「もういいよ!部活なんか!」

この状態から、落ち着くのに3か月ほどかかるのです。そして中学3年生になります。

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