見出し画像

経済発展と社会的課題の解決を両立するSociety 5.0へ(ほんとか?)

これ内閣府が発表した計画。(以下HPから引用)

「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)

狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。」

未来社会でのあり様をビジュアルでわかりやすく説明されています。

「Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります。」

なるほどハード面での課題解決というのはとても理解できます。ではソフト面ではというと世代間を尊重し合える社会になるべく、人が行ってきたことをIotを活用することで人に余裕が生まれる。本当にこれらの問題を解決できるのかしら?

確かに自動運転の無料タクシーが実現する。ボタン一つで行きたいところに連れて行く。なんていうのがあれば、高齢者の運転も解消できるかも。
病院に行けば自分の健康データが管理されているからどこが悪いのかすぐにわかり、それに合わせた処方もすぐに出てくる。少なくとも街のお医者さんはいらなくなるかも。そして学校。学力に合わせて動画配信で学習するいわゆるe-learningがメインになり、それらの課題を登録することで生徒の将来計画もAIが判断する。家でやれば「登校拒否」なんて言う概念もなくなるしいじめもなくなるかな。だって集団行動がないから個人を排除するという考え方が存在しない。学校もいらなくなるね。

ある意味、すごいかもしれない。

ただアナログ大好きな私には、いいとか悪いとかも含めて人の営みって長い時間をかけて「今」が出現しているわけで、こんな時代になってしまって機械に頼ればなんだか素敵な世界になるという考え方がどうも落ちてこない。やってはいけないことを教えなくなって、他人が教えようものなら「大きなお世話」よろしくいじめだ、パワハラだとなり誰も何も言えなくなってきているように思う。学校で道徳をやればやってはいけないことがわかるんだろうか?確かに教員に教える力がなくなっているかもしれない。でもどの業界だって最初からプロフェッショナルで凄い人になれたわけなじゃい。どの業界だって「しょうーもない人」っているだろうし、仕事できない人もいるし勉強できない人もいる。まさにそれらがすべてデータ化されて管理されたら本当に自分の才能が開花できるタイミングをなくす可能性があると思う。

人の転機というのはいつどこで起こるかわからない。

かなり前、中国からの移住者が増えた時代があった。中国から来た教授に理由を聞いたら、「中国ではいわゆる中学校3年の時に全国テストがあって、そこですべて順位付けされ国を挙げて応援するほど優秀なお子さんは北京・上海あたりの最上級の学校に入れる。各中学校に順位付けがあってそこから大学へ進む。ある一定のランク以下だともう教育を受けられなくなる。労働者になるべく教育が待っている。」と言っていた。今はどうなっているのかわからないが、中国の有数の進学校のレベルの高さには到底日本の高校辺りでは太刀打ちできないくらい差がある。10億もいるとそういうことでもしないと、いい人材を手に入れられないのかもしれない。だから落ちこぼれたたくさんの家族が日本に来ていた時代がある。もう来なくなっているようだが・・・

この構造をAIが管理したら、もう人は流動的になれないということだろう。

Society5.0の考え方は素晴らしいと思うし、ある意味理想的かもしれない。
ひとがサイバー空間でどう生きるのか。どこまで管理を許すのか。
アナログな脳には到底かなわない処理能力を有するAI。人の利便性にだけ特化したやり方は可能なのか?すでに検索エンジンでは検索した内容から広告を引っ張てくる。「あなたに合わせた広告ですよ」といわんばかり。実はかなり気持ち悪い。調べた後興味がないものだって引っ張てくる。余計なお世話だ。最近ネットで調べても余計な広告があったりポップアップで出てきたり、かなり鬱陶しい。結局広告媒体と化してるわけだが、いい面もあるかもしれない(おかげでかなりの情報を無料で提供されている)。広告が邪魔なら有料でどうぞ。となる。インターネットが始まった頃はこんなに広告なかったし、必要なサイトにすぐに飛べただけじゃない。無料で凄い論文まで読めた。おかげで、息子の病気をどうやって治すか自分で検討できた。


便利になったのか不便になったのかよくわからない。

インターネットが宝の山だったことは間違いない。その宝の山が今度はAIになっていく。その機能は多分膨大な情報の管理と活用。多分それを活かせる会社が生き残っていくんだろう。さて、日本に勝算があるのか?
個人的には「ないだろうなぁ~」と思う。なぜって、日本の会社の在り方は多分明治時代から変わってないかもって思うところがあるから。だからベンチャー企業で働き方が変わって働く意識も違うことを見ていると、これからの時代、AIと人との共存を支配されるのではなく活用できるような社会にならないといけないんだろう。

ちなみに、Amazonの倉庫のバイトをした人に聞きました。・・・即日発送のために働く人達がいる。実際「女工哀史」かと思うような働き方を強いられていた。休憩もきちんと配されているがその時間が終えると作業に入るべく通知が来る。配送準備の時間も決まっていてこの品物なら30秒だとすると、それを超えるとブザーが鳴って担当者が注意に来る。要するにCPにすべて管理されているだけでなく、こまかい作業ができない機械(ロボット)のかわりに人間がやってるというわけだ。残業もない。ただその時間働くのだ。

今、働き方改革・・・も含めて社会問題の解決を謳っているけれど、時間の管理だけでは解決しないといういい例ではないだろうか。仕事の基本は人が絡むから問題が起こる。その問題を解決して、みんなが納得できる結果をだすこと。問題そのものはデータ化することは可能だろう。そしてその対処方法もマニュアル化できる。その通りに人が動くようになってしまったら、本当に素晴らしい社会になるとは思えない。ささやかなやさしさやちょっとした手助けだけでかなり変わることが沢山ある。人の人生だって変えたりするのも、人の関わりだったりする。決してマニュアルからはそんなことは起こらない。

友達がクレーム対応の会社に勤務していた。全国からクレームを受ける仕事。完全マニュアル化してあるので、この言葉にはこの対応ということまで決まっている。「でも、人ってマニュアル通りに話したって納得して切る人いないよ」。そこでAIなら自動的に切るそうだ。楽になってるけれど、不満は集積されるよね・・・いつかどこかで爆発したり…なんてことになるのではないかと思う。

憂いているのではなく、人が人として生きることをあきらめてはいけないということ。そして来たるSociety5.0に本来の人間の在り方を取り込むべきではないかと問題提起したい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?