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母親卒業宣言と子育て卒業修学旅行

遡ること2018年の2月、
次男坊高校三年生の2月。
私立大学の一般入試が始まった。


次男坊の本命は京都の某私立大学の法学部。
関関同立と関西では呼ばれるうちの1つであった。


高校受験、大学受験など進路については私個人的な考えとしては、
その家庭の経済状況や受験は情報戦であることなどから子と親の意思の疎通や母親のサポートは必要と考えている。必要な生き金は使うが、無駄金は1円たりとも使いたくない。無知の上に情弱で無駄にするお金などどこにもないからだ。

お金に余裕のある家庭は、
子に任せたらよろし。


ましてや、受験全盛期はインフルエンザにノロウイルスとなぜ、この時期に受験させる!……という、
プレッシャーてんこ盛りの時期である。


栄養状態や精神状態に気を配り、自習室に行くのにお弁当を持たせ、塾代を払い、
プレッシャーをかけぬよう陰日向からのサポートは並々ならぬもの。


しかもわが家には、
何も知らんけど口は出したいいっちょ噛み雪路(姑)まで抱えているのだ。受験期の苦労は今思い出しても自分に「ご苦労さん」と言ってやりたい。

それはさておき、
そんな二人三脚で受験に臨んだのであるが、
本命の大学にどうしても行きたい…ということで受験は京都5泊6日泊まり込み作戦を取った。
受験会場まで15分で行けるのだ。

ま、浪人しても介入するのはここまでよ…と思っていたので、
京都5泊6日泊まり込み大作戦の初日にこう言った。


「今までは、お母さんとあなた、二人三脚で受験に向かって来ましたよね…お母さんはここで母親業を卒業したいと思います」

びっくりしている次男坊に畳み掛ける。

「あ、それとこれまでは電車で言うとお父さんとお母さんの車両に乗せてあげてましたよね…子供だったから。
もう、自分の車両を作って乗り換えてください、ここでお別れです。線路は好きな道に進んでください。もしかしたらうんと遠くに行くかもしれないけど気にせず進んでください、あなたは自由です。
ここでお別れです。楽しかったわありがとう。」

…と告げた。

もともと、自立(自律)させるまでが子育てだ…と思い、ゴールは子離れ。
そこまできたらお互い、自由に生きよう…と思って子育てしてきた。実に動物的、エサを自分で取れるように育て上げるのが私たちの使命だったのだと考えている。


次男坊はすぐに私の真意を理解したようで、
「今までありがとうございました。本当にお世話になりました。これからもお世話になることもあるかと思いますが、その時はよろしくお願いいたします。今までのこと心から感謝しています。」


…と深々と頭を下げた。

他所から見ると、
「おまえんち、めっちゃ仲良いな…」
と言われるがうちほど子どもを他人と思っている家族はいない…と息子たちは言う。
親子といえど別人格、親であっても子にはなれない。

自分という自転車のペダルを漕がねば転んでしまう
他人のペダルは漕げないのだ。
併走は出来ても代わりに漕いでやることはできない。

自分の人生を生きる。
愛は溢れるほどあるけど、
愛ゆえに冷たい…と言われる子育て法であるが、
「俺は受験してくるけど、おかんはもうこの5泊6日を子育て卒業修学旅行として楽しんできてください」
と、言われて(奴も、私という人間をよくわかっている) 朝早くから夕方遅くまで美術館に行ったりギャラリーを巡ったり若冲を追ったりして心の底から京都ライフを楽しんでしまった。

本音を言えば、
お兄とは次男坊が産まれるまでの2年7ヶ月間、
2人っきりの蜜月があったが、
次男坊と2人きりで旅をするのは初めてだった。
本当に楽しかった。
夜になってツインのベットで今日あったことの話をして眠る。多幸感に包まれる5泊6日だった。
子育て卒業修学旅行だったけど死ぬ前の走馬灯に幸せの景色として必ず映像が浮かぶであろう。

そんなことがありつつ、
志望校に無事に合格した。

その年の、9月に乳がん発覚して子宮頸部も同時手術で切り取ってそれぞれにガンが出たけど、
虫や動物なら死んでるな…と思った。
充分に生きた気はした。

死を意識した時、やはりあの5泊6日が浮かんだ。
結果的にまだ死なないみたいなんだけど、
子育て卒業宣言したおかげで私はもう自由に生きて行けるのだ。

子育ての最終目標はどこですか?
私はもう手放して自分の人生を自由に生きてます。



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