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10年前の思考が今の自分を作るなら…

こんな記事を読んだ


読み終えて、なるほどなぁ…と思った。

私は基本的にみんな
「なりたい自分になっている」と考えている。

10年前の自分は何を考えて何を吸収していただろうか。

姑と一軒家に同居して5年、石の上にも三年と言うがクセ強めの浮世離れした姑との暮らしは思っていた以上に過酷だった気がする。


気がする…というのは15年が経過して
私が過ぎてしまったことに対してあまり執着しないからだ。

しかし、休みの日は枕元に立って、
「今日、どこ行く?」と聞いてくる姑。
1人ではどこにも行かない。公共交通機関に乗れない姑はどこに行くにも私と姑と夫の3人組であった。


お風呂に入っていても洗面所を使いたければ使う。
お風呂に入ってくつろぐことなどできるわけがない。
料理できない、息子をお風呂に入れたことがない
息子のお弁当を作ったことがない、
おにぎりが握れない…書き出したらきりがないのだ。
母親としてはかなりの落第点だが、
本人はいたって普通だと思っている。
天然過ぎる天然。


そしてこの家に私のプライバシーなど
どこにも無い。


朝起きると、
捨てたはずの私の服を着ている。
「ウチやったらまだ着れるから…」
と言うがどう考えてもデザインが若すぎる…。
寝起きに自分の捨てた服を着ている姑と遭遇する衝撃…。筆舌にし難い苦痛である。

捨てたゴミまで見ているのだ。

おかげで、
ストレスから70代の聴力になるという見た目とのギャップにみんなが若干ウケる状態になった。

しかし、まあ、なぜ我慢ができたのか、
ひとつには自分で選んだ人生だからということ。
夫と結婚したいということも姑を引き受けるということも私自身が決めたのだ。

高校は仏教高だった為、
基本的に仏教精神が浸透している。
そのせいか
個人的にめちゃめちゃ親近感を感じているのが
みうらじゅん氏である。

語感でおもしろくして散らす…という行為。
まさに自分。


みうらじゅん氏の著書に
「親孝行プレイ」なるものがある。
親孝行はプレイである…という考えに至ったみうらじゅん氏は親を接待する…ということに考えが至る。




だいたいのみうらじゅん氏の本は読んでいるのだが、
10年前に読んだこれは衝撃だった。
親を会社の上司と見立てて接待するのだ。
親孝行をプレイにしてしまう。
目からウロコ。

そうして10年前に施したインプットが、
辛いことをおもしろく置き換えながら人生をサヴァイヴするというもの。

10年後のアウトプットで真面目にふざけた49歳に
なってしまった。

今も同居はハードモードだけれど、
よくやったな自分…という感慨と今現在も、
波風立てず脳内でおもしろ変換して散らす…という
技を身につけた。

どのみち、姑もずっとあのやり方で生きてきたのだから、そのまま彼岸に行くまでそっとしておいてあげるのが良かろうと思う。


10年前の自分、みうらじゅん氏に傾倒しててよかった。ゆるキャラですっかり有名になってしまったけれど、私は不安な気持ちを「不安タスティック!」と
POPな語感に置き換えるという手法「マイ仏教」や
観光地のお土産のカスみたいな絵ハガキを集めて編集した「カスハガの世界」がとてもくだらなくて好きである。

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