何故、人は他人に「譲る」のか?優しさに潜む闇。

※これは個人の独断と偏見です。

結論、「生き残る為」ではないかなと私は考えています。

草食動物(種類にもよる)を考えるとわかりやすい話ですが、よく群れますよね?
すると、『自分が食べられるリスク』を減らせるのですよ。
だから、人に物を譲って他人を生かすことで、自分が取って食われないようにしているのではないかな?
なので、人は社会的な動物なのかなと考えたりします。

現に、自分自身の実力で生き残ることに自信がある。だからこそ、実力不足で生き残れなくとも納得できる。
そんな人が居たとしたら、そんな人は自ら望んで群れる必要はないでしょう。
同族で群れることはせず、ただ生きる為に勝ち取り食らう獲物の命の存在に感謝するだけではないのでしょうか?

これって、人は『自分自身を大切にする』ことが大事であることにも繋がると思うのですよね。

自分が『生きる』為に狩り…『好きなこと』をし、それを人に与えたことによってたまたま得たお金に感謝する。
または、『感謝』され自分の存在を認識してくれたことに感謝する
または、ごく稀に『相手の好きなこと』で『恩返し』を受けたことに感謝する(相手側がこちらの悩みを知らないと難しい。また逆も然り)。

それが、1番健康的な人生なんじゃないかな?と考えたりします。

そもそも、皆がこのように生きることが出来たのなら、悲しい事件なんて、戦争なんて存在しないのではないかなと。

結局、草食動物は確かに賢いけれど、言い換えれば自分の実力に自信が無いとも言えますね。

足が速ければ、逃げる知恵を身につければいい。
足が遅ければ、隠れる知恵を身につければいい。
だけの話です。

人間も草食動物も、「生きたい」と思う割に「生き抜く術を考える」のを種族に甘えて放棄している様に思う。

ここでは最初の例えから、よく草食動物なんて言っていますが、肉食動物でも群れる種族は居ますから、多分肉食動物のある種類にも言えることではないかなと考えます。

結論、優しさは『ズルさ』です。
優しさ…譲りは、個人が生き抜く為に人にするものだと考えです。
とはいえ、完璧な存在なんていないので。
ある程度自分の努力でどれだけできるかを積み重ねてきた上で、初めて見付けた『どうにもできないこと』を他人に助けて貰う為の、多少のズルさは必要なのかもしれませんね。

その際に、本当にズルさにならない様に、人に贈り物を『与えられる』人になりたいですね。

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